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2017年08月22日05:08

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吉野山花のふるさと跡たえてむなしき枝に春風ぞふく 摂政太政大臣[藤原良経]

吉野山花のふるさと跡たえてむなしき枝に春風ぞふく
 摂政太政大臣[藤原良経]
 残春の心を
 新古今和歌集 巻第一 春歌下 147

吉野山、この花も散り過ぎた古里には人の訪れも絶え、花なき枝には春風ばかりが吹いている。」『新日本古典文学大系 11』p.59

建久四年(1193)、六百番歌合。
残春 春の末。
花のふるさと 花の散ったあとの寂れた里の意を吉野の古里に掛ける。
吉野は古代の離宮の地なので、古京の意で古里と呼ぶ。
むなしき枝に 漢語「空枝」の訓。詠歌一体[えいがいつてい  鎌倉初期の歌論書。1巻。藤原為家[定家の子]著。弘長3年(1263)または文永7年(1270)ころの成立か。]は制詞[せいのことば 歌学用語 歌を作るときに使用を許されない詞(ことば)]とする。
参考「山人の昔の跡を来て見れば空しき床を払ふ谷風」(藤原清輔 千載 雑上)
「ちる花のふるさととこそなりにけれわが住む宿の春の暮れ方」(慈円 建久元年(1190)九月十三夜、花月百首)
「春の山風」の歌。

藤原良経(ふじわらのよしつね 1169-1206)平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿。後京極良経とも。摂政関白・藤原兼実二男。和歌所寄人筆頭。
建仁二年(1203年)十二月、土御門天皇の摂政となり、建仁四年(1204年)には従一位、太政大臣となった。しかし元久三年(1206年)三月七日深夜に頓死。享年三十八。
新古今集仮名序執筆者。新古今集入集七十九首、西行・慈円に次ぎ第三位。
千載集初出。勅撰入集三百二十首。
隠岐での後鳥羽院による『時代不同歌合 再撰本』では在原業平と番えられている。
小倉百人一首 91 「きりぎりすなくや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかもねん」
http://bit.ly/1di7DsW
http://bit.ly/ZCtCDG

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