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2017年06月27日05:37

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吉海直人『読んで楽しむ百人一首』KADOKAWA 2017年4月刊

昨日読み終わった本。
吉海直人『読んで楽しむ百人一首』KADOKAWA 2017年4月刊。

https://bookmeter.com/books/11699605
https://www.amazon.co.jp/dp/4044002762
「この一冊で、百人一首がよくわかる! 
日本で一番親しまれている古典「百人一首」。「どら焼」「竜田揚げ」「小倉餡」……これらの食べ物は、百人一首の歌が由来。角度を変えて眺めてみれば、まだまだ新しい発見があることを明らかにする。

吉海直人 1953年、長崎県生まれ。國學院大學大学院修了。博士(文学)。現在、同志社女子大学表象文化学部日本語日本文学科教授。専門は平安時代の物語文学・和歌文学。「異本百人一首」の発見をはじめ、かるたや浮世絵などの関連資料を多数発掘・紹介している。」

『京都新聞』連載丸一年五十回をもとに三倍に増量した262ページ。

「百人一首を[藤原定家による]「秀歌撰」と認定する根拠はどこにも提示されていません。
 … 
私はむしろ年代順に並んでいることを重視して、百人一首は和歌で綴った平安朝歴史絵巻だと考えています。」
p.10 秀歌撰とは異なる百人一首

「30 有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし 壬生忠岑
 
後朝の別れの空にかかる有明の月を見てからというもの、暁ほどつらく悲しいものはありません。
   
一晩一緒に過ごした男女は、具体的にいつ別れるのでしょうか。通ってきた男性は何時になったら帰るのでしょうか。その合図となったのが鶏の鳴き声や寺の鐘の音でした。これらは日付変更時点を知らせる合図でした。

現在、日付が変わるのは午前十二時ですが、平安時代は午前三時でした。丑の刻までが今日で、寅の刻になると翌日(明日)になるのです。それは夜(今夜)から暁(翌日)になる時刻でもありました。

ですから「後朝の別れ」は、すなわち「暁の別れ」でもあるのです。その別れの空に有明の月が出ているのですから、どうしても目に入りますよね。」p.97


「57 めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな 紫式部
 
久しぶりにお逢いして、今見たのはあなたかどうか見分けもつかない間に、雲隠れした夜半の月のように、あなたはお帰りになったことです。
   
紫式部は歌人としては一流とは言えません。『後拾遺集』にもたった三首しか撰入されていないのです。(和泉式部は六十七首です)。ですから純粋に一流歌人が撰ばれるのであれば、百人一首に紫式部が入るはずはないのです。

ではどうして撰ばれたのでしょうか。

藤原俊成が判者を務めた『六百番歌合』で「草の原」という言葉をめぐって議論が生じ、俊成はそれが『源氏物語』花宴巻に出ていることを告げ、「源氏見ざる歌よみは遺恨のことなり」と言い放ったのです。俊成は『源氏物語』を単なる物語ではなく、歌人の読むべき教科書としたのです。

それ以降『源氏物語』は多くの歌人達に読まれるようになり、連動して、作者紫式部の歌人としての評価も上昇し、『千載集』に九首、『新古今集』に十四首も入集。

歌人として見直されたというより、『源氏物語』の評価に付随してのことと思われます。『源氏物語』の作者だから、紫式部は百人一首に撰ばれたのです。」p.155

読書メーター 百人一首の本棚
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091294
の登録冊数は11冊で、その内5冊が吉海直人さんです。
ご照覧いただけましたら幸甚と存じます。

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