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2017年06月17日05:39

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丸谷才一『日本詩人選 10 後鳥羽院』筑摩書房 1973年6月刊

昔、読んだ本。
丸谷才一『日本詩人選 10 後鳥羽院』筑摩書房 1973年6月刊。

https://bookmeter.com/books/246318
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J9707S

1974年読売文学賞受賞。

目次
歌人として後鳥羽院
へにける年
宮廷文化と政治と文学

この本を読んだのは聖心女子大学図書館に勤め始めて二年目の1979年でした。
その前年、明治大学文学部を卒業する頃に、同じ著者の
『梨のつぶて』晶文社 1966.10
https://plus.google.com/108037737030783809314/posts/XUneobX4g5p
を読んでいたので、本書も読んでみようと思ったのでしょう。

それまでは日本の古典には全然興味がなかったのに、突然、新古今和歌集の冒頭、春の巻上の最初を暗誦してみたりしていました。

寒い季節に、入学試験の監督補助に動員されて、入試会場の受験生の座席の間を歩き回りながら、新古今の冒頭を暗誦していたことを、四十年近くたった今でも、思い出すことが出来ます。

この本は聖心女子大学図書館蔵書を借りて読んだので、手元にないのが残念だなぁ。
上記アマゾンで中古品が33円(と送料257円)で買えますけど。

「僕は、前々から後鳥羽院の和歌が好きでした。ただ、それについて本を書こうなんて思ったことはなかった。そうしたら筑摩の「日本詩人選」で、後鳥羽院論を書けという話がきましてね。「山本健吉先生のご推薦です」ということだった。

そのとき僕は、ちょうど『たった一人の反乱』という長編小説を書きかけていたところで、「こんなことしてたら小説が遅れるなあ」と思いながら、でも書きたくて仕方がなくて、引き受けちゃった。

そこで小説を書く合間に、後鳥羽院の和歌と『新古今』を詳しく読んでみた。ただ読むんじゃなくて、藤原定家の和歌と頭の中で比較しながら読んでいった。そうすると、二人の歌の傾向が微妙に違うことに気がついた。その微妙な違いを考えているうちに、天皇の和歌と職業歌人の和歌の性格の違いということに思い当たった。

つまり宮廷誌と純粋詩の違いです。後鳥羽院の宮廷詩のもととしては、社交としての詩があり、さらにそのもとの所には呪術の詩がある。それが、歌の本来のあり方ではないか。職業歌人ではない天皇の歌のほうが、歌の本筋なんじゃないか、という考え方になっていったんです。」
『思考のレッスン』文春文庫 2002.10 p.206 考えるコツ
https://www.amazon.co.jp/dp/4167138166
単行本 文藝春秋 1999年9月刊

ほのぼのと春こそ空に来にけらし天(あま)の香具山霞たなびく 太上天皇[後鳥羽院] 春のはじめの歌 新古今和歌集 巻第一 春歌上 2

「この歌のめでたい感じは春の朝以外のものではあり得ないし、それは読み下しただけでまつすぐに伝はつて来るものである。… これは、例の「春はあけぼの」を典拠にしての歌だつたと見ることもできよう。さう考へるならば、本歌が『万葉集』巻十の「久方の天の香具山この夕霞たなびく春立つらしも」であるといふ指摘も、単なる本歌さがしではない、もつとこみいつた意味あひを帯びてくる。

『万葉』の夕の歌は『枕草子』の冒頭の作用を受けて、いちおう時刻を消された、しかし明け方の霞となる。文学史のページごとのかういふ移り変りには、さながら暦をめくるやうな趣がある。」
丸谷才一『後鳥羽院 第二版』筑摩書房 2004.9 p.26 歌人として後鳥羽院

読書メーター 丸谷才一の本棚(刊行年順)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091201
の登録冊数は121冊です。

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