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2017年06月02日23:34

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人は言う。「オレ? いままでの人生に後悔してないね」ウソウソ 『T2 トレインスボッティング』

「人生に後悔などしてない」 *1 そんなのウソっぱちだ。
レントン、サイモン、ベクビー、スパッド。
約20年後の4人はそこだけはいつわらない。

監督を一躍メジャーへと押し上げた前作で4人はダメながらも光り輝いた。
鬱屈した当時のイギリス社会。
薬中のドンぞこ人生。
でも4人のグランジな衣装は素敵で、
イギリスの底流から誕生した文化描写はハイセンスでハイポップであった。

あれから20年。4人はそのまま。
だったらさえない中年に直行は当然だ。
定職につかず、あいかわらず薬中で、前作の時代が彼等の絶頂。
それを振り返ってはウロウロしている。

本作では作中のファム・ファタール、
ダイアン *2 と一緒に地域開発事業の予算をちょろまかそうとするが、
ベクビーが脱獄。“当時”金を持って逃げたクソ野郎 *3 を追い回す。

レントンが罪の意識に帰郷し、
サイモンはレントンとまたやれると信じている。
ベクビーは妻子もちだが、収監されているあいだ、
妻と子は社会に適応し一人はみ出した状態。
スパッドはあいかわらず弱々しく死が隣に立つ。

なにかが変わるのか? なんにも変わらない。
美点は4人がこのクソ人生を受け入れ、とりつくろわないところ。
落伍者と転落者が、
時折、人々の見栄や虚飾に「狂人の洞察」 *4 を吐き必死にもがく。

唯一の希望はスパッドが彼等の人生を肯定し、
“物語”にするため歩み出す未来かもしれない。
「オレ? いままでの人生に後悔してないね」ウソウソ。


※1 おそらくその言葉に自身と他者が唯一納得できるときは本人が死ぬときだけだ。

※2 ダイアンは「結末」で以前のレントンと同様の選択を行う。だが、彼女がレントンと違う部分は、その選択に未来があることだ。おそらくダニー・ボイルは、その行動のはてのレントンの「無為」とダイアンの「有為」を合わせ鏡にしている。

※3 クソ野郎 = 金を持って逃げたレントンのことだ。

※4 底辺、あるいは、底辺を見た人間だけがわかることはある。たとえばトレラーでレントンが薬物依存と、現在の人々がはまる承認欲求や虚栄は一緒となぞらえる。もちろん一方は禁止されているわけで同様ではない。ただ、本質の意味で「人間がなにかへ依存しており自己肯定している」は真実であろう。そういう底を見た人の金言が、作品の含意を強化している。
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