mixiユーザー(id:65281462)

2017年06月01日06:03

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ズレるズレるは自分です!

 巷で良く耳にする「あの人普通じゃないね」または「ズレてるね!」と非常に強い表現を以って他人を批判する声が後を絶たない。
 しかし!ズレているのは果たして本当にその人であろうか?
 筆者の見解を以下に記す。
 あの人ズレてるね!と言った瞬間ズレているのは?実は自分自身である!
 何故か?それはズレている!と言う表現そのものが実に!ズレているのである!
十人十色よろしく、その思考において多様性が存在するのは至極当然のことではないだろうか?
 そこにその多様性を一切認めず!あたかも自分自身はその考えの中心にある!というような考えは如何なものであろうか?
 実に感心できない考えである!
ではズレている!と表現している自分自身は本当にその中心に考えがあるのであろうか?
 つまりその考えは本当にその中心を貫くど真ん中の考えであろうか?
 結論からすれば、「否」である!
 何故か?それはズレていると表現するが故の自己中心だらからである!
 では、そのような考えに陥ってしまった場合我々はどうすべきか?についてであるが、ズレているのは私自身であり、他人(対象者)もそのような考えに至った背景がそれぞれにあり、また十人十色なのでその多様性は必須である!
と思慮することである!
 然り!私と他人、違っているのは至極当然である!
 我々はいかんせん思考の同一化を求めていしまっているようであるが…。
その同一性に意味はないのだ!
 然り!このことをしっかり受け止めようではないか!
自分と他人は異なっていて当然である!
 だから、その多様性を受け入れればそれで済む話なのだ!
 あの人はあのような場合あのような考えをするのだな?
とその考えをあたかも楽しむかのように!
然りその異なりを批判するのは簡単!一方受容し寛容の限りを尽くしその考えを楽しむというのは実に困難極まりないであろう!
しかし!その多様性を受け入れる場合のみ!
そこに!平和、調和、という麗しい表現のある人生を見出すのである!
然り!人生の醍醐味とは!
この!多様性の受容の有無によって大きく異なるのだ!
今までその多様性に翻弄され、自身には何も良いことは起こらなかかった!
という者よ!その考えを捨てようではないか!
 あの人はああだが自身こそはその考えの中心を貫くまさに正しい!と主張する者よ!
変われ!
 多様性を受容するのだ!
それでこそ人生なのだ!
 
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