mixiユーザー(id:4324612)

2017年05月28日04:36

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読まれるということ

ピクシブの件。https://togetter.com/li/1113936#c3777096

ちゃんと状況把握してないし元の作品もそれを引用した論文も読めなくなってるらしいしピクシブのシステムとガイドラインも知らないまま書くので細かな事実関係は知らん。知らんが、僕は作家なので、放流した作品への反応に作家が否を言うのはいかなる場合にもヘタレだと思う、という感想です。女性がエロ小説発表したら男性研究者から晒された、晒す側は批評や研究のつもりかも知れないがやられる側にしてみたら男から女への攻撃だ、という文脈で流れてきた。その言い分は分かるけどどういう覚悟で作品を発表してるんだろうと思った。知られたくないこと(作者の性別とか)を伏せてない以上そりゃ言われるだろうと思うな。

書く・発表する、ということ。これは、やらずにいられんからやるのであって、それ以上ではないと思う。エロ小説に「文化的価値がある」「発表される意義がある」と思って書いてるかどうかは知らないが、やらずにいられんからやってるのだろうことは想像できる。我を通すことはそのまま、敵を作ることだ。読者は生み出したいが敵は生み出したくないなんてのは無理なハナシだし、もしその状態に近づけたいなら作品の質で成し遂げるしかあるまいよ。


関係ないようだが息子が、世界のケータイの普及率を計算しようとしたら桁数が足りなくなった、というハナシをしてて、そこから劫という単位のアホなスケールのデカさ、須弥山と具舎論のハナシ、そして猿に偶然ホメロスを打ち出すまでタイプ叩かせる「寿限無、寿限無」というSF短篇のハナシまでしたところで、妻が、その小説は読んでないけど「そんなこと書くのはフレデリック・ブラウンだよね」と喝破した。大当たり。

あらすじ言っただけで誰の作か分かっちゃう。書かずにおれないから書くことが営為である作家としてみれば、これは最高の到達点ではあるまいかと思った。フレデリック・ブラウンが発表メディアのインフラ整備や表現の自由への闘争に尽力したかしなかったか僕は知らん。してたら申し訳ないけど、現在読まれに読まれた結果、日常で、普段ブラウンのことなんかいっぺんも話題にしたことがない3人がそのハナシできるような状態がもたらされてるのは彼が「なにがなんでも書いた」からに他ならないだろうと思う。

それしか能がない人、てのはいるもんでして。その能がナニモノカによって保証されるだろうされるべきだ、なんて姿勢は、まぁ甘いんじゃないの?と思いますね。
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