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2017年02月08日08:09

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正しさを主張すると?

この世において、「正しい」とは?どのようなことであろうか?
果たして正しい人間は存在するのだろうか?いささか疑問である。
今回はそこにメスを入れよう。
結論からすれば自分を「正しい」とした時点で、それは最も愚かしく、最大の誤謬である!
と言いたいのだ!
何故か?自身が自身を「正しい」としたその起点がすでに的外れだからである!
何が言いたいのか?
実は我々人間にこの「正しい」と言う判断は実は「不可能」である!という事が言いたい。
何故「不可能」なのか?
それは、人間は各々が自身こそは「正しい!」と判断した場合、そこに「自己中心」が常に入り込み、やがては何を基準に?「正しい」のかではなく、あくまで自己実現、自己中心故の「正しい
」であり、それはあたかも「正しい」かのように見えてしまうが…。
それは!ただの「自己中心」なのだ!
何故か?その判断基準の中心にあるのが「自身」だからである!
では、自身が中心に正誤を判断して何が悪いのか?
実はそこに落とし穴が潜むことにお気づきだろうか?
実はそれは単なる「自分本位」における「正しさ」であり、世の基準或いは隣人の基準からすればそれは大きな「的外れ」であり!
それはあたかも正しいかのように見えて実は「最大の誤謬」である!と言いたいのだ!
何故そこまでして、自身は「誤謬」である!と言うのか?
それは、人間は本来その「正しさ」によって判断、決断するものではあるが、或いは会社に強いられて苦渋の決断というのも存在しようが?
しかし!それでもだ!
自身が自身を「正しい」と判断した時点で、始まるのはあくまで「正しいという名の自己中心」なのだ!
何故か?それは繰り返すが「自身の判断基準による正しさ」だからである!
では、自身の判断基準により「正しい」と判断するとそれが誤謬であるなら、人間は何を基準に判断を下せば良いのか?
それは、自身を「愚かな存在」と捉え、「自身に正しい判断は不可能である」とその判断基準こそが!唯一「正しい」のだ!
例示を以って解説しよう。
会社にて会議をする。
A案とB案があり、A案が多数決によって採択されたとしよう。
当然会社はA案にのっとり仕事を進めるであろう。
しかし!しかしだ!
そのA案というのはたまたま採択されただけであり、また、それは多数決であるため、少数派の意見までも取り入れ、包括的判断ではなく、あくまで多数決なのだ!
何が言いたいのか?意見が多数集まればそちらが、あたかも「正しい」かのように見えてしまうが!
実はそれこそが「落とし穴」なのだ!
それを採択して色々な問題が発生するであろう。
然り!「その判断」はやがて「誤謬」であった。とされる日が必ず来るのだ!
故にだ!自身を「正しい」と判断するのは積極的に止めよう!
そこに「真価」はないのだ!

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