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2017年01月02日22:27

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お題61『両親』 タイトル『七ヵ月の幸福』 後編

「え? 翔の様子がおかしい?」

「うん。ずっとパソコンと向かい合っているの。それに子供を産んでやるって」

「それはおかしいな」

 誠君は卒業生の花束を作りながら、淡々と答えた。

「浮気かな、と思ったんだけど、そうじゃないみたいだし。何だろうね」

「あいつはそんなことしないよ、するんだったらもうとっくに出て行ってるさ」

「そうだよね、翔ちゃん何をしてるんだろう」

 春のぬくもりを覚えぬ3月に、私は雛祭りのアレンジを作っていた。赤く染まったチューリップを2本立て、その周りに菜の花とスイートピーで生け込んでいく。桃の枝を少しだけ高く挿し込んだら完成だ。

「でも最近ずっと家にいるのよ。引きこもってる翔ちゃんは似合わなくてさ。ぶくぶく太る一方で、体調も気になるけどいえないし。何か知らない?」

「あいつは昔から、そんなもんだよ」

 誠君は眉一つ動かさず、花束のラッピングを続ける。だがその目はどことなく充血しているように見える。

「夢中になれるものがあれば、どこにでも行く奴だからね。家の内とか外とか関係ないよ、子供だからその辺の区別はないんだろうさ」

 翔ちゃんは自衛隊に入り、日本各地を動き回ってきた。バイク部隊にいた彼は、二輪から大型バイク、雪国ではスノーモービルに乗り込み、各地を旅してきた。

「ずっとパソコンの前にいるけど、ネットゲームかな? 色んな世界を回れるってお客さんもいってたし」

「その可能性は否定できないな」

 誠君はラッピングを終えた商品にリボンを重ねながら答える。今度は口元が開き、欠伸までしている。

「ああいう純粋な奴がゲームに嵌まるっていうからな。家の中にいながらもペットボトルで用を足す奴までいるらしいぜ」

「それはないと思いたいけど……」

 ……もしかして、翔ちゃん自身が子供になろうとしているのだろうか。
 
 何でも要領よくこなす彼が家にいる理由がわからない。新婚時代に、家に引きこもっていたのは家具を作るという明確な理由があった。確かに何か目的があるのだろうが、私が近くにいくと翔ちゃんはさらっと別のことをやり始める。

「最近、誠君、疲れているように見えるけど、大丈夫?」

「ああ、ちょっと夜更かししてるだけ」

 そういって彼は少しだけ顔をしかめた。

「翔なら大丈夫だよ。涼ちゃんのことしか見てないのはわかってるだろう?」

「うん、そうなんだけどさ。もう半年以上も続いてるからさ、そろそろ教えてくれてもいいかなと思ってるんだけど」

 翔ちゃんは大晦日の時よりもさらに太っていた。鍛え抜かれた腹筋は今では私の枕よりも柔らかい。

「信じてやってよ。あいつも……あいつなりに努力しているみたいだしさ。それよりも涼ちゃんも体には気をつけてね」

「うん、心配ばかり掛けてごめんね。でも、ここに戻ってこれてよかった。花を嫌いになったら、外の世界には出られないからさ」

 街路樹の桜を見ると、小さくも立派な蕾がついていた。穏やかな気候を待ち望んで、今か今かと開花の準備を始めている。

 ……もう水仙の花もピークを迎えている。

 街角に残る終わりゆく花を見て春の息吹を感じとる。花の名前を知り過ぎた私に、春の季節から逃れる術はない。目を閉じても花の香りが、鼻を閉じても柔らかな風が、私の五感を刺激する。

「もうすぐ桜が咲くね。桜が咲いたら、翔ちゃんとお花見に行こうと思ってるの」

 誠君にそう告げると、彼は少しだけ笑みを浮かべて私を見た。

「……そっか。それはいい。きっといいことが起こると思うよ。僕も頑張らなきゃな」

「ん? 何を頑張るの?」

「いやいや、こっちの話」

 誠君はそういって、新たな花材を選び始めて再び欠伸をかみ殺した。

「翔にいっといてくれ。この忙しい時期に、二つも頼み事をした借りは絶対に忘れないってさ」
 

 ◆◆◆ 


「翔ちゃん、ここにしない? いい眺めだよ」

「ああ、ここら辺にしようか」

 彼とビニールシートを広げながら、端に重しを載せて固定する。後は真ん中に重箱になった弁当をおけば準備はオッケーだ。

 大きな橋の両隣に、桜並木が咲き誇っている。開花時期にばらつきがあったためか、6分咲のものもあれば、満開で散り始めているものまである。

「どう、お弁当、美味しい?」

「ああ、うまいよ。いくらでも入りそうだ」

 そういって彼は弁当を吸い込むようにして食べていく。その食べっぷりに今までの彼の姿を忘れかけてしまう。

 ……翔ちゃんが子供のようになっちゃったな。

 元々冒険心の強かった彼が、夢を追うように何かをしていることはわかっている。瞳の輝きが元に戻っているからだ。

「特にこの筍が旨いな。暇な時、よく竹山に入って、鍬(くわ)一つで掘ったもんだよ」

「翔ちゃん、今のその体で掘れる?」

 私が意地悪するようにいうと、彼は笑いながらごまかした。

「んー、この魚も美味しいな。これは何の魚?」

「鯛よ。桜鯛が入ったから、それを煮つけにして……」

 私が料理の説明を始めると、彼は頷きながら美味しそうに食べていく。

 ……ああ、久しぶりに幸せだな。

 春の季節が私の絶望を攫っていく。希望にはならずとも、この瞬間だけは本当に幸福だと思える。

 ……でも本当なら、今頃は。

 想像してはならない世界を願ってしまう。彼が一緒にいてくれるだけで満たされているのに、果てのない夢を見てしまう。

 何度も想像してきた思いが、桜の花びらが散るように儚げに消えては蘇る。この残酷な思いはずっと続いていくのだろうか。

 翔ちゃんがいても、消えないのだろうか――。

「久しぶりの外出だね、翔ちゃん」

「うん、そうだな」

 弁当を食べて一息つくと、彼は寝っ転がった。私も同じように寝そべると、空には果てしない青空が広がっていた。

 ――果てのない空で、遥。春の香りで、春香。

 名づけることすらできなかった子供を想像すると、胸が痛む。だけど痛むだけだ。出会うことができなかったからこそ、痛みも弱く、最近では泣けなくなってきていた。

 ……それはやっぱり翔ちゃんがいるからだ。

 子供を得ることはできなかったけど、翔ちゃんを失わなかった。それだけで充分だ。

 私には翔ちゃんがいればいい。

「涼子、実はお前にプレゼントがある」

「何、いきなりどうしたの?」

 寝たまま翔ちゃんを見ると、彼は起き上がり小さな箱を取り出した。

「ちょっと開けてみてくれよ」

 彼の手に収まる小さな箱を受け取り開けてみると、そこには春の花が詰まったプリザーブドフラワーがあった。

「え、翔ちゃん、まさかこれ自分で作ったの?」

 再び目をやると、色とりどりの花がお互いを主張し合うように生け込まれていた。花屋の私が見ても、驚くほどの完成度だ。

「そんな訳ないだろう。お前が驚くようなものを俺が作れるわけがないだろう。誠だよ」

「……そっか。2人で協力して作ってくれたんだね。ありがとう」

 誠君が夜更かしして作ってくれたのだろう。だけど彼からしてみれば、時間を掛けなくてもできるレベルだと感じた。

「本題はそっちじゃない。よく中身を見てくれよ」

 再び箱の中を見ると、そこには一つの桃色のUSBが詰まっていた。

「ん? 何これ?」

「それは帰ってからのお楽しみ」
 
 翔ちゃんは嬉しそうに呟きながら、重箱を取り出し、チラシ寿司を頬張り始めた。

「前にいったこと、覚えてるか? 俺だって産もうと思えば産めるんだよ。……難産だったけどな」

 そういって翔ちゃんは一人で重箱を空にして昼寝を始めた。

 ……何だろう、これ。

 USBを覗いても、何が入っているのかはわからない。何かの画像が入っているのだろうか。

 家を出ていない翔ちゃんがパソコン作業で得たものには違いない。

 寝息を立て始めた翔ちゃんの隣で、私は彼のお腹を枕にして目を閉じた。


 ◆◆◆


 家に帰り着いて、私は早速USBを接続してみた。
 
 そこには『両親を訪ねて三万里』というタイトルが書かれたフォルダーがあった。

 ……もしかして、翔ちゃんが書いたのかな?

 フォルダーをクリックすると、パソコン内のワードが開かれ、文章の羅列が続いていく。そこには10万字を超す長編の物語が描かれていた。

 ――僕の名前はハルカ。お父さんとお母さんと離れ離れになってしまって、今から会いに行くんだ。

 子供の性別は不明だが、話が進む毎にこの子の特徴が明らかになっていく。

 ――桜の花は好きだよ。僕が生まれた季節だからね。お父さんとお母さんも春の花が好きなんだ。お父さんは花よりも筍の方が好きみたいだけどね。

 桃色のフードを被ったハルカは両親を探して季節の旅をする。

 夏の森を彷徨い、秋の紅葉に思いを馳せ、冬の雪国をじっと耐えしのぐ。最後には桜の木が満開である春の国に辿り着くのだ。

「……翔ちゃん、このためにずっと家にいたんだね」

 モニターの前にいた彼を想像して、心が温かくなっていく。きっと彼は物語を初めて作ったのだろう。字だって誤字ばかりだし、句読点のつけ方もデタラメだ。

 だけど、それだけに翔ちゃんの思いがまっすぐに伝わってくる。文章を読み進める毎に、私の心はみるみるほだされていく。

「え? もうそこまで読んだの? 早くない?」

 翔ちゃんが後ろから私を小突きながらモニターを隠す。

「7か月も掛かったんだぜ、それ。もっとゆっくり味わってよ。誠に手伝って貰ったんだからさ」

「ごめん。夢中になっちゃって」

 翔ちゃんが横に居座り、解説していく。冬の話は派遣された新潟の頃を思い出して書いたこと、夏の陽気な街は新婚旅行でハワイにいったことを使ったこと……彼と私の物語が、入り交じり流れていく。

 二人で読み進めるうちに、気がつけば最後の1ページを残すだけになった。

 ハルカは両親の思いを知って、故郷・桜の国に辿り着く。

 ――僕は捨てられたんじゃない。両親に愛されていたんだ。

 子供を作る、という母親の思い。それは子供ができたからではなく、作る過程に愛情があるとハルカは気づく。

 子供を育てる、という父親の思い。それは母親を愛しているから生まれる思いで、自分が生き抜くために必要な試練だったとハルカは気づく。

 最後のページにはいよいよ、ハルカの性別がわかるシーンが来る。

「いい出来だろう? やっぱり一人だけじゃきつかったよ。読んでくれる人がいるから、わかることってあるんだな」

「……翔ちゃん、今更だけどさ。なんで私にだけ、こんなによくしてくれるの?」

 心の声が思わず漏れる。

 私でなくてもいいはずなのに、彼は私を全力で愛してくれる。嬉しいのに、その魅力に応えられていない気がしてしまう。

「始まりはいつも涼子からだったんだよ」

 翔ちゃんは照れ臭そうに鼻を擦っていった。

「あの物語を読んだ時だって、そうだ。俺が知らなかった母親への思いをお前は教えてくれた。子供が中々できなくても、諦めずに立ち向かってくれた。だから俺も頑張れたんだ」

 ――帰る場所があるから、頑張れたんだよ。

 ハルカは両親に再び出会い、思いの丈を泣きながら漏らす。そこには旅をして出会った感情があったから辿り着くことができた。

 夏の森の陽気さに喜びを覚え、秋の紅葉に哀愁を覚え、寒く苦しい雪国に両親への怒りを覚え、それでも故郷の桜と両親に再会できて、心がほっと楽になったこと。

「さすがにレンジャーは無理だったけど、涼子がいるから、俺はなりふり構わず帰ろうと思えたんだ。お前がいるから、俺がいる。今もそう思ってるよ」

「……そっか……ありがとう。翔ちゃん」

 ……ああ、神様。

 私は翔ちゃんとの出会いに再び感謝した。彼がいれば私は生きていける。春の季節をもう一度越すことだってできる。

 彼が書いた物語があれば、きっと――。

 ……この七か月は絶望だと思っていた。希望などないと思っていた。

 ――パパ、ママ、ありがとう。僕を旅に出してくれて。
 
 ハルカはフードを脱ぎ、二人の元へ飛び込む。ハッピーエンドを迎えた彼女の長い10か月の旅は両親の言葉で終わりを告げる。


 ――『お帰り、春香ちゃん』
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