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2017年01月01日23:24

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お題61『両親』 タイトル『七か月の幸福』 前編

「すいません、もう一度……いって貰ってもいいでしょうか」

 私は震える手で上着を掴みながらいった。先ほどいった医師の言葉が何かの間違いだろうと思い込もうとしても、確かめずにはいられない。

「申し訳ありません。これ以上は……」

 彼はそっと目を伏せて告げる。私の質問に答えずに、ただこの時が過ぎるのを待っているかのようにみえる。

「もう一度だけでいいんです。もう一度だけ……きちんとした言葉でいって下さい。でないと……」

 医師の言葉を飲み込めずに口を開くと、隣にいる翔(しょう)ちゃんが私の両肩を掴んだ。

「もう止めよう、涼子(りょうこ)。先生だって辛いんだ」

「先生がなぜ辛いの?」

 私は翔ちゃんの手をはねのけ、睨むように目を合わせた。彼の瞳にも零れずに残る液体が見え隠れし、これが現実なのだと受け入れてしまいそうになる。

「先生はお医者様なのよ。先生なら何とかしてくれるわ、きっとまだ方法は……」

「申し訳ありません。本当に、お役に立てずにすいません」

「謝らないで下さい」

 私は顔を背け続ける先生を見ていった。

「これから助け合っていきましょうといってくれましたよね? 出産は一人ではなく、二人三脚以上の足が必要だって。教えて下さい、これからどうやったらこの子は助かるんですか」

「涼子、これ以上は」

「翔ちゃんは黙ってて。先生、私の顔を見て下さい。一緒に考えて下さい。ねえ、先生」

「涼子、もう止めよう」

 翔ちゃんは私を後ろから抱きしめて顔をこすり続けながら泣き始めた。

「もう……終わったんだ。どうすることもできない。これ以上、ここにいても迷惑だ。帰ろう」

「帰れないよ……帰れるわけないじゃない」
 
 私は泣き縋る彼の頭を撫でながらいった。

「この子が私の希望だったのよ。後、7か月もあれば出会うことができたのに、この子がいないのにどこに帰るの?」

「涼子……」

 ――無事に着床しました、おめでとうございます。

 医師の言葉が蘇る。彼の言葉は私に未来への幸福を宿してくれていた。

 性別の決まっていないこの子に、出会うための時間。10か月の幸福をくれたと思っていた、それなのに――。

「もう無理だよ、翔ちゃん。私、この子がいないと生きていけない」

「涼子の気持ちはわかるよ、俺だって望んでいたんだ……お前だけじゃない」

 翔ちゃんは涙を拭いながらいう。先ほどまで私のブラウスを濡らしていた彼が顔を上げ、前を向いて私の瞳を強く、暖かく包み込んでくれる。

「今、こんな言い方をするのは卑怯だが、子供なら……」

「……翔ちゃん、もう無理なの」

 私は彼の体に倒れかけながらいった。彼の薄手のジャケットがゆっくりと染みを作っていく。

「私ね、もう……子供が、作れなくなっちゃったみたい」

 ◆◆◆

「妊娠1カ月だって、翔ちゃん」

 私が彼の後ろから耳元にぼそっと呟くと、翔ちゃんは大きな瞳を何度も重ねながらこっちを見た。

「え? それって、そういうこと?」

「そう、そういうこと」

 私が頷くと、彼はほっとしたように笑顔を見せた。その後、眉間に皺を寄せながら深呼吸をし、何度か小さくため息をつきながら呟いた。

「そうか、そりゃよかった」

 翔ちゃんと結婚してから3年と3か月。

 秋風を微塵にも感じない9月に、台風のようなビックニュースが私達に舞い込んだ。彼との共同生活に慣れた頃に、やっと彼の子を宿すことができたのだ。

「一応、聞くけど、俺の子だよな?」
「バカ、他に誰がいるのよ」
「だよなー」

 翔ちゃんの嬉しそうな表情を見て、安心する。

 彼は陸上自衛隊に務めており、一度外に出ると、中々帰ってこれない。いうなら今日のタイミングしかなかったのだ。

「だから、あまり無茶しないでよ。あの時みたいに、足の骨、折って帰ってくるのは怖いから」

「ああ、あれはもうやらないよ」

 翔ちゃんは苦笑いを浮かべて焼き秋刀魚(さんま)を口いっぱいに頬張った。

 陸上自衛隊にはレンジャー試験というものがあり、男の勲章として任意参加できる訓練があるらしい。

 その訓練は究極のサバイバルで、リュックとナイフ1つで何週間も森の中に駆り出されるのだ。生きているものは全て食料として食べなければならず、翔ちゃんはナイフ一つで、兎や蛇、蛙などで生活をしていたようだ。

「給料も上がらないのに、極限まで追い込まれたなぁ、あれは。それでも足一本で助かったのはいい方だよ」

翔ちゃんは笑いながら左足を擦る。

 一番辛いのは支給される水も飲むことが許されず、自分の意思での帰還は認められないことだ。だから彼はリタイアを決意し、自ら木の棒で足の骨を折って部隊に戻ったのだ。

「そうか、これで俺も……やっと父親か」

 翔ちゃんの表情に鋭さが増す。私たちが期待していた待望の子供だ。
 普通の家庭に憧れていた夢の一歩が、今、現実に起きている。

「そうだよ、だからさ、危ない真似はもう……」

「ああ、そのことなんだが。俺もそろそろ辞めようと思ってたんだ」

「え?」

 私が驚くと、彼はしてやったりと唇を歪ませた。

「自衛隊をだよ。お前も今はまだ働いているし、少し金銭的にはきついだろうけど、新しい仕事、探そうと思ってたんだ。駄目か?」

「いいけど……何をするの?」

「一緒に花屋をするのはどうだ? 退職金だって貰えるしさ」

「駄目よ。花屋なんて儲からないの知ってるでしょ」

 私の仕事にケチをつけたくはないが、儲からないのは事実だ。それでも季節を一つだけ先取りできたり、花束を受け取って喜んでくれるお客さんを見る度に心が暖まるのも事実だ。

 だからこそ、私は飽きもせずに花屋を10年以上やっている。

「でも店を出したら、ずっと涼子と一緒にいれるじゃないか」

「そんなに一緒にいたいの? 飽きないの?」

「いや、もうとっくに飽きてるさ」

 翔ちゃんは乾いた笑みを浮かべて唇を片方だけ歪ませた。それは彼が見せる本当の笑みだった。

「何せ高校時代も合わせれば14年にもなるもんな。頻繁に会えなくても、飽きない方がおかしい」

「私は飽きてないけどね。翔ちゃんがいるから、私は今も幸せよ」

 私は彼に正面を向けていった。この気持ちは本当だ。

「そんなこというなよ、ずるいぞ。俺だけを悪者にするなよ」

 犬っぽく笑いながら誤魔化す彼の仕草に心奪われる。その笑顔に魅了され、私は恋に落ちたのだと思い出す。

 ……そういえば、あれがきっかけだったんだな。

 高校時代、彼と同じクラスで、ふと私が書いた小説を彼に読まれたのだ。
 
 その小説の内容は本当にお粗末で、娘が行方不明の父親を捜しに行く話だった。私の家が母子家庭だったので、なんとなく暇な時間を縫って書いていたのだ。

「そういえば翔ちゃん、あの時の小説、覚えてる?」

「ああ、覚えてるよ。『父を訪ねて三十里』だろ。名作だったな」

 私は小説を奪い返し、真っ赤になった顔で彼にビンタを繰り出した。それが翔ちゃんにはなぜかいいように取られて、彼も自分が父子家庭であることを暴露したのだ。

「何が名作よ。結局、完結できなかったじゃない」

「まあそうだけどさ。俺はあの物語を読んで救われた部分があったんだ。あいつらと一緒にいても、足りないものを埋めてくれる感じがして、つい読んじゃったな」

 彼と喧嘩をしてから三ヶ月後、私達はお互いの境遇を知り、惹かれ合うように近づいていった。

 翔ちゃんは一度読んだだけの文章を覚えており、私の小説の続きを催促するようになったのだ。
 
 物語を書けば彼と話ができる。短編で終わるはずだった物語が不純な動機でだらだらと長くなり、最終的に完結せずに終わってしまった。

「翔ちゃんはいつもクラスで楽しそうにしてたのにね。本を読む姿なんて想像できなかったよ」

「俺だってナイーブな面はあるんだよ。お前の店にいる誠(まこと)のようにさ、学だって持ち合わせてるの」

 翔ちゃんは頭を人差し指で叩きながら自慢げにいう。

 誠君は私の店にいる翔ちゃんの高校時代の友人だ。彼の作るアレンジや花束はCGで作るような美しさを秘めており、職人芸を常に披露してくれる。

「彼はナイーブっていうか、ただの神経質なだけだと思うけど。それに学がある人は自分の足を自分で折るようなことはしないと思うけど」

「へへ、ごもっとも」

 3年の交際を経て、無事高校を卒業した私は地元の花屋へ、翔ちゃんは自衛隊勤務で新潟に飛ばされた。

 お互いの忙しさのあまり、私達は遠距離恋愛で満足できており、彼が地元に戻って来た時に、結婚することになったのだ。

「ねえ、翔ちゃん。子供の名前はどうする?」

「まだ気が早いと思うけどな……どっちが生まれても使えるのがいいな」

「そっか。それならさ、実はもう考えてあるの」

 私は用意していたメモ帳に二つの漢字を書いた。

「ハルカっていう名前はどう? 今から9か月後なら、春に生まれてくるだろうしさ。男ならどこまでも伸びる空をイメージした遥(はるか)、女の子なら春の香りで、春香」

「いい名前だな。んじゃどっちが生まれるか、賭けるか」
 
 彼はそういって再び口元を歪ませた。いつも即答で告げる彼に最初は苛立っていたが、今ではそれを受け入れてしまっている。

 翔ちゃんの勘は非常にいいからだ。彼が認めてくれるなら、きっとこの名前で大丈夫だという確信を持てる。

「私は女の子がいいな」

「そうか、じゃあ俺は男にしよう。勝った方は何を掛ける?」

「んー、相手のいうことを一生きくっていうのはどう?」

 私が冗談で告げると、彼は苦笑いを浮かべ言葉を濁した。

「重いよ。すでに一生の愛を誓ってるのにそれ以上、求めるのか? せめて一つにしてくれよ、じゃないと俺の体だけじゃなくて、魂までもたない」

「それくらいなの? 翔ちゃんの愛は」

「それで充分だろう。後はハルカが何とかしてくれるさ」

 翔ちゃんは綺麗に秋刀魚の骨だけを残して自分の腹を気持ちよさそうに擦った。

「なあ楽しみだな、涼子。後、9か月もすれば、俺たちの子が生まれてくるんだな」

「……そうね」

 私も彼のようにお腹を擦りながら、目を閉じた。

 ……これが最初で最後の子。

 医師の言葉を想像する。

 ――心得ていて下さい。これ以上の子は難しいと思います。

 ですがこの子に関しては我々が保証します。出産は一人ではなく、二人三脚以上の足が必要ですから、我々も全力で頑張ります。

「涼子、眠いのなら寝ていいぞ。明日は仕入れだし、朝早いだろう?」

「……うん、ありがとう」

 ……この子だけは何があっても、絶対に守ろう。

 未だ膨らんでいないお腹を見つめる。翔ちゃんにも内緒で病院に通ったおかげだ。後は大事に、大事に育てるだけ。

 翔ちゃんを見ると、いつもより穏やかな笑みを浮かべていた。すでに父親としての自覚を持ち合わせているようだ。

 ……翔ちゃんとなら、大丈夫。

 彼を見て私は小さく微笑んだ。

「先に寝るね。おやすみ、パパ」

 ◆◆◆

 時計を見ると、23時を回っていた。紅白歌合戦も終盤に近付き、無意識に除夜の鐘を想像する。

 ……もう年も越えちゃうな。

 厚手のカーテンを少しだけ広げると、粉雪が静寂の中、電灯の光を浴びながら、舞い降りていた。その先には毎年訪れていた神社が見える。

 ……今年は行けそうにないな。
 
 初詣にはもういけない、安産祈願を願うのが習慣になっていたからだ。私達夫婦は、子供ができるよう、希望を持って過ごしていた。それは一種の宗教じみた行動のように、何をするにしても子供の2文字が離れずにいた。

 ……まさか呪縛になるなんてね。

 いつも以上に広く感じるリビングを見て思う。翔ちゃんはあれから自衛隊を辞めて、ずっと家にいた。ハローワークには通っているみたいだが、寝室にあるパソコンと向かい合っている姿しか見ない。

 医師の宣告を受けてから、3カ月。翔ちゃんの仕事も中々決まらず、私は仕事に復帰できず、落ち込む一方だった。

「……翔ちゃん、入るよ」

 私が一枚の紙を取り出し寝室のドアを開けると、彼はモニターの画面を消して手招いた。

 ……このぬくもりが、ひどく冷たい。

 彼は何もいわずに私を抱きしめてくれる。それが最初のうちは救いであったのだけど、今では彼の気持ちが見えず不安になるばかりだ。

 ……私がいなくても、彼は生きていける。

 翔ちゃんなら、どこに行っても生きていける。無人島でも生きていける人なのだ、私が足枷になっているような気がしてならない。

「……翔ちゃん、もうやめよっか」

「何をだ?」

「翔ちゃんもさ……飽きたっていってたでしょ」

 決めていたのに、言い出せない。
 
 覚悟を決めていたのに、最愛の人を手放すことができないのは私が弱いせいだ。

「紅白には飽きたけど、それが何かまずかったか?」

 翔ちゃんはにこやかに微笑みながら惚(とぼ)ける。だが口元は歪まず、満面の笑みが彼の本心ではないことはわかりすぎている。

 ……彼の本当の笑顔をずっと見ていない。

 私達は普通の家庭に憧れていた。ただ父と母と子がいるだけの生活。つつましく、少しの幸せだけでよかった。

 翔ちゃんは私を咎めない。私のミスでこんなことになったというのに。

「……ごめんね、翔ちゃん。私がしっかりしていれば、こんなことにならなかったのに……」

 繁忙期の配達で、私は貧血になり事故を起こした。その結果、私は下腹部を殴打し、私の希望を失ってしまったのだ。

「お前のせいだけじゃないといっているだろう。誰のせいでもない。誰も巻き込まなかっただけでも、よかったといっただろう」

「じゃあこのまま、誰のせいにもできず、こんな生活を続けるの?」

 解決できない闇の中で、私達はもがき苦しんでいる。長編の物語を書いていたように行き先が見えず、ゴールのない生活を続けている。それならば、いっそ誰かのせいにして、諦めてしまった方が楽だ。

「俺は大丈夫、お前がいてくれるだけでいいんだ」

「どうして……そんなこというの」

 ……どうして、やせ我慢するの?

 思っても口に出せず心の中で燻ぶっていく。いつも楽しそうに外に出ていた翔ちゃんが家の中にいて、楽しいわけがない。私のためにずっと我慢しているのだ。

 私がどこかに行かないように、彼はただ黙って見ていてくれる。

「私は翔ちゃんのことが好きだよ」

 泣きながら彼に縋りつく。これ以上はもう無理だ。

 翔ちゃんのことが好きだから、彼が弱っていく姿を見ていられない。

「いつも私のことを思ってくれているのが、痛いほどわかるよ。翔ちゃんは優しいから、無理して私に付き合っているんじゃないかって思ってるの。文句があるなら、いっていいんだよ?」

 私のせいだ、っていって離れて欲しい。

 彼の期待に応えられない未来しか見えない。

「文句があったら、すでにいってるよ」

 翔ちゃんは笑顔のままいう。

「馬鹿だな。俺が我慢できないことくらい知ってるだろう? なあ、涼子。幸せってさ、今が満たされていれば、起きることだけじゃないと思わないか」

 意味がわからずに尋ねると、彼は口元を歪ませていった。

「確かに俺たちにはこの先も子供ができない確率が高いだろう。それは頑張り続けた結果、出た答えだ。だけど、その過程が俺にとっては幸せだったんだよ」

 翔ちゃんは私の頭を優しく撫でてくれながらいう。

「涼子と一緒にいれるから、俺は幸せだ。今までもそうだった。だから、これからもそうなると思ってるよ」

「翔ちゃん……」

 ……ああ、彼はやっぱり卑怯だ。

 胸に秘めていた思いが崩れていく。彼がいなくなった世界を想像して、私は一人同じ部屋にいながら孤独を味わっていた。

 ……せっかく言い出そうと思っていたのに。そんなこといわれたら、もういえないよ。

 手に握っていた細い紙をそっとしまう。だが苦渋の決断で握った一枚だった。この紙に自分の人生がかかっている気がして、私はいつも別れることばかり考えていた。

 翔ちゃんの唇に口づけをすると、乾いていた。そのまま体を寄せると、彼の腹のぜい肉が私にぴったりとくっついた。

「……翔ちゃん、少し太った?」

「ああ、そろそろ動かないとな。涼子に分けてやりたいくらいだけど、いるかい?」

 一回り大きくなった顔でも、印象は変わらない。翔ちゃんのパーツが元々大きいからだ。対して私はあばら骨が見えるほど、痩せていった。
 
 同じ家にいる者同士でも、体重の増減は火を見るより明らかだった。彼は私の養分を蓄えていくように太っていった。

「俺もきちんと考えてるよ。でもやらなきゃいけないことがあるんだ。これだけは譲れない」

 彼の瞳に久しぶりにエネルギーを感じる。あの強く、気高い翔ちゃんが一瞬にして帰ってきた気がした。

「そっか……わかった。ちゃんと終わったら教えてね」

 私は彼のお腹を触りながらいう。

「私も、そろそろ覚悟を決めようと思ってる。また同じ花屋に戻ろうと思ってるんだけど、いいかな?」

 私はずっと職場から逃げていた。一足先に入る季節の花が、生まれてこなかった子供を思い出すような気がしていたからだ。

 香りを含んだスイートピーが、すっと滑らかに伸びたフリージアが、生け込んでもぐいぐい成長するチューリップや菜の花が、私の心を惑わせ、蕾を秘めた桜が、私の心を折るのではないかと――。

「もちろんいいに決まってるさ。お前が決めたことに反対する理由がないからね」

 翔ちゃんは笑いながら私と自分のお腹を交互に擦った。

「涼子、先のことは心配するな。いざとなったら、俺が子供を産んでやるからな」


 

 

後編へ→ http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1957820394&owner_id=64521149





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