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2016年11月30日05:11

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柳澤健「1984年のUWF 12 涙の後楽園ホール」『スポーツグラフィックナンバー 903 2016年6月16日号』文藝春秋 2016年6月2日発売

昨日読んだ雑誌記事。
柳澤健「1984年のUWF 12 涙の後楽園ホール」
『Sports graphic number(スポーツグラフィックナンバー)903 2016年6月16日号』

http://bookmeter.com/b/B01FUUXURE
https://www.amazon.co.jp/dp/B01FUUXURE

p.94-97の柳澤健「1984年のUWF 12 涙の後楽園ホール スタンドからの関節技でフィニッシュ 前代未聞のプロレスが、観る者を圧倒し、魅了していった。」だけ読みました。

「「UWFの試合がある度に、後楽園ホールに出かけて行った。時には、九州の福岡までわざわざ試合を見に出かけた。それは、危機感からであった。UWFの試合を見に行くときには、いつも、常に、この日が最後と、そういう危機感を持っていた。」(夢枕獏『猛き風に告げよ』[集英社 1988年8月刊])

UWFは、結末の決まったショーではなく、真剣勝負の格闘技として当時の観客に認識されたからこそ、熱狂的な信者を獲得した。

夢枕獏が、1984年のUWFについて率直に語ってくれた。

「UWFが真剣勝負の格闘技ではなかったことは、いまとなってみれば明らか。でも、30年前の僕にはわからなかった … 真剣勝負であってほしいという自分の中の願望、ファンタジーを求める心が勝った。騙されたと言えなくもないけど、プロレスが総合格闘技に行くための過渡期として、UWFは必要不可欠な存在。恨んではいませんよ(笑)」p.94

「小柄な佐山聡は新日本プロレス内で行われたベンチプレスコンテストで160kgを差し上げて優勝した経験を持つ。腕相撲では坂口征二に次いで第2位。短距離走も背筋力も脚力も俊敏性も垂直跳びも脅威的な数値を持っている。身体能力の怪物なのだ。」p.95

「ひとりのアスリートとして見ると、たぶん俺が人生で見た人の中で、一番運動神経がいいですね。世界中、ロシアとか全部を含めて。生まれながらの運動神経に関してはとんでもないものを持っている。スポーツならどこ行っても成功したでしょうね。あの人はね。天才的なものがありました。(前田日明「真夜中のハーリー&レイス 2周年記念興行」2012年5月5日)」p.95

「キックボクシングの打撃とプロレスの関節技をミックスさせたスーパー・タイガーの新しいスタイルは衝撃的なものだった。かって四次元殺法で日本中を興奮の坩堝に叩き込んだ男は、ついに、いまだかって誰も踏み込んだことのないリアルファイトの領域に踏み込んだのだ。観客はそう信じた。

佐山聡が主導するようになったUWFは、観客をごく自然に誘導していく。
「UWFはリアルファイトの格闘技を戦っている」という方向へと。

しかし、UWFの先進性を理解する記者はほとんどいなかった。

「記事を書けば車代が出ますからね。当時の新日本プロレスでは、記者が試合会場に行くと、必ず5000円とか1万円とかが出ていた。佐山や前田の話を書いたって一銭にもならない」(『週刊プロレス』の人気連載「ほとんどジョーク」の選者をつとめた更級四郎)」p.95

「1984年10月5日に後楽園ホールで行われたストロング・ウィークス開幕戦は、伝説の大会になった。メインイベントは木戸修&藤原喜明対前田日明&スーパー・タイガー。

「前田のヒザ蹴りに額を割った藤原さんに対し、僕[佐山聡]が9月7日のフィニッシュ・ホールドであったチキンウィング・フェイスロックを狙ったが、投げ技で返され、「アッ」と思ったら、今度は自分がつかまっていた。「あっ、同じ技で殺られた」とわかった時は、もうおしまい。25分35秒、レフェリーストップ。」(佐山サトル『スーパー・タイガー シューティング 格闘技最強への道』[山手書房 1984年11月刊])」p.96

「スーパー・タイガーの必殺技であるチキンウィング・フェイスロックを鮮やかに切り返し、ギブアップを奪ったのは藤原喜明だった。」

「藤原喜明にとってはプロレス人生で最も印象に残る試合だった。

「オレは自分がしたことにゾッとなって、もの凄い快感が背中を走ったことを覚えている。ファンは暖かくて冷たいものだ。喜ばせることなら誰でもできる。でも、泣かせることはむずかしい。たぶんプロレス人生の中でも、満員の観客が総立ちになって泣いてくれるのは、そうめったにはないことだろう。」(藤原喜明『男の真剣勝負』[ベストブック 1994年7月刊])」

「UWFの関節技は、カール・ゴッチ由来のものばかりではない。ブラジルのイワン・ゴメスからはヒールホールドを、サンボの麻生秀孝からはヒザ十字固めを。

様々な技術を導入し、体系化したのが藤原喜明だった。UWFの関節技はゴッチ流である以上に、藤原流なのだ。

自分が心血を注いで研究した関節技の攻防が、後楽園ホールの観客を熱狂させたことも、今日の試合の主役が自分であったこともうれしかった。

藤原は泣いていた。それを見た観客も泣いた。
勝利の喜びでは決してない。プロレスの結末は最初から決められている。
いま、自分は観客の感情を思い通りに揺り動かしている。
プロレスラーならではの快感を藤原喜明は生まれて初めて味わっていたのだ。」p.97

読書メーター 柳澤健の本棚
http://bookmeter.com/u/32140/cat/12295

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