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2016年11月29日05:41

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柳澤健「1984年のUWF 11 チキンウィング・フェイスロック」『スポーツグラフィックナンバー 902 2016年6月2日号』 文藝春秋 2016年5月19日発売。

昨日読んだ雑誌記事。
柳澤健「1984年のUWF 11 チキンウィング・フェイスロック」
『Sports graphic number(スポーツグラフィックナンバー)902 2016年6月2日号』 文藝春秋 2016年5月19日発売。

http://bookmeter.com/b/B01ERVE7D8
https://www.amazon.co.jp/dp/B01ERVE7D8

p.64-67の柳澤健「1984年のUWF 11 チキンウィング・フェイスロック ロープでリバウンドしなくてもいい。明確なメッセージを持つプロレスが、徐々にリング上で展開されていく。」だけ読みました。

「1984年8月29日から9月11日までの約2週間に全10戦を行うUWF「ビクトリー・ウィークス」 … スーパータイガーと名乗った佐山聡以外に、客を呼べるレスラーはひとりもいなかったし、その佐山も、打撃と関節技をミックスさせた新格闘技のスタイルを披露しようと懸命になっていた。

かって日本中を興奮の坩堝に叩き込んだタイガーマスクの華麗なる四次元殺法を再現するつもりなど、佐山には毛頭なかった。」p.65

「選手たちの入場テーマ曲やコスチュームについてアドバイスしたのは、『週刊プロレス』の人気連載「ほとんどジョーク」の選者をつとめるイラストレーターの更級四郎だった。

荘厳かつスリリングな『ワルキューレの騎行』(リヒャルト・ワーグナー作曲)を藤原喜明の入場テーマ曲に選んだのは、東京芸術大学出身のアーティストだったのである。なんとわかりやすい話だろう。」p.65

「1984年9月7日、後楽園ホール大会のメインイベントはスーパータイガー対藤原喜明。「UWF実力ナンバーワン決定戦」と名づけられたこの試合は、UWFが始めて独自の方向性を打ち出すことに成功した記念すべき一戦となった。

スーパータイガーの蹴りは、これまでにないほど強烈で、藤原の身体に当たるたびに派手な音を立てた。ボクサーへの転向も考えたことのある藤原のフットワークは軽快で、スーパータイガーのボディにパンチを入れ、アームロックやフェイスロックでは佐山に何度も悲鳴を上げさせた。

さらに大きな衝撃を与えたのは、その試合のフィニッシュだった。ハイキックを入れても立ち上ってくる藤原に業を煮やしたタイガーは、スタンドからのチキンウィング・フェイスロック(ハンマーロックとフェイスロックを同時に行う複合技)を極め、ついに藤原はギブアップした。」p.67

「いわゆるUWFスタイルは、この試合から始まったと言ってもいい。だが、じつはこの試合には別のフィニッシュが予定されていた。

「あれは僕が佐山さんに伝えた筋書とは違うんですよ」と、更級は言う。「キックでダウンした藤原さんはピクリとも動かず、試合続行不可能でレフェリーストップになるはずだったんです。本当は。

佐山さんの談話も、あらかじめ用意しておきました。
『これだけ蹴っても倒れない。僕のキックは藤原さんには効かないんじゃないか、と思っていたらようやくダウンしてくれた。藤原さんは凄い』

ところが、藤原さんが立ち上がってきちゃったから佐山さんは困った。とっさに浮んだのがチキンウィング・フェイスロック。このあたりが佐山さんの天才的なところです。

ほとんどのファンが見たことなかったから、ビックリしていましたね。藤原さんも『ああ、ここで終わりなんだな』と思ってギブアップした」(更級四郎)

プロレスのリングにボクシングの衝撃的なKO決着を持ち込もうとする斬新なプランは、突然の変更を余儀なくされたものの、予定外のチキンウィング・フェイスロックは、以後、UWFを代表する技になっていく。」p.67

この試合も後楽園ホールで観戦したはずですが、1984年7月23・24日『無限大記念日』ほどの鮮明な記憶は残っていません。

読書メーター 柳澤健の本棚
http://bookmeter.com/u/32140/cat/12295

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