……変わりたくない。
道を行き交う人の袖が長くなっており、飲み物からも湯気が見られるようになった。
暦は10月を迎え、人の動きは緩やかに、けれど確実に変わっていく。それでも僕は迷うことなく半袖のポロシャツを選び街に出る。
人によってはずぼらで無神経だと思うだろう。だけど僕はまだ長袖は着ないし、ホットコーヒーも飲みたくない。
まだ切り替えるための準備ができていないからだ。
それは――。
……君といた季節を忘れたくないから――。
日課のランニングを終えて、コインランドリーで乾いた衣類を取り込んでいく。一人暮らしで買う予定だった洗濯機は未だ僕の部屋にはなく、休みの日に外で利用している。
……前はもっと臭かったのにな。
洗い立ての服を8kgサイズの登山バックに放り込む。汗を掻いて匂いのきつかった衣類も、今ではさほど威力は奮わなくなり、部屋の片隅で静かに眠っている。
……いつの間にか、ここにいるんだな。
地元を離れて二か月が経とうとしている。慣れない一人暮らしも、衣食住が揃えばなんとかなるもので、特に不便はない。
……今日はどこにご飯を食べに行こう。
自炊をしていない僕は毎食、外を出歩きご飯を決めている。その日の気分によって決めているが、今日は暖かいものが食べたい。
……ラーメンにしようかな。
ラーメンであれば、季節感は問われない。夏に食べる地元での豚骨ラーメンは格別に美味しく、その後のアイスコーヒーでも体は冷えない。
それにラーメンは君が特別に好きだった食べ物だ。
……よし、そうしよう。
荷物を部屋に置いた後、最近買ったロードバイクに乗り込んで再び散策することにした。
風を切り抜け、市街地へ踏み込んでいく。久しぶりの晴天は思った以上に人の心を明るくし、どこを見ても笑顔が絶えない。
……君がここにいたら、なんていうのだろう。
ふと心の声が漏れる。地元で別れた君からは一切の連絡はなく、今でも自分がこの世界で生きているという実感はない。
……会いたいな。
夏を纏った君が浮かんでいく。
半袖の君は夏の海を目に映しながら瑠璃色に染まった瞳を輝かせていた。褐色の肌に太陽の光を受けながら、無邪気に微笑んでいた君を手放した僕は誰が見ても馬鹿だと笑うだろう。
……変わりたいのに、変われない。
点滅する青信号を見ながら思う。退屈な日常を変えるために、地元を離れた。新たな世界を夢見て都会に来た。それでも変わりたくない思いが、日々膨らんでいくのはなぜだろう。
……自分の時間と、この世界がうまく交わっていないから?
二か月という期間は短いけれど、十分な時間だ。人によっては馴染めているだろう。けれど僕ははっきりとした意識を持てないため、未だにどっちつかずに虚ろっている。
自らの意思で決めたにも関わらずだ。
……変わりたいのに、君を探している。
信号待ちをしても、君に似たような人ばかり探してしまうのは未練があるから? 戻りたいから?
戻っても自分の居場所はない。自ら捨てて元の状態で帰れるほど、優しい場所ではない。
……離れれば、忘れられると思っていた。
新しい環境に入れば、何もかもが変えられると思っていた。
自分の体はごまかせても、心はごまかせない。
忘れようと思えば思うほど、君を追い求めてしまう。
再び信号が青に変わっても、僕の足は進むことを躊躇している。
……体も、か。
心だけでなく、体までもごまかすことができなくなっている。さっきまで勢いよく踏み込んでいた足も冷えて熱を失っていく。
……この移り変わる季節が、僕を失っていく。
短い秋の季節が、街と同様に僕の色を奪っていく。夏に戻ることができない僕の全てを、容赦なく攫っていく。
横断歩道を通過することもできずにいると、ふと携帯電話が鳴った。
君からのメールだった。
『会いたいよ、君は元気にしてる?』
……元気だよ。
思ってもいない言葉を電子メールに載せてしまう。強がりだけで、反応してしまう自分に自己嫌悪してしまう。
……元気になったよ、君からのメールでさ。
再び思いを連ねる。きっと今、君のいる所は秋ではないだろう。半袖の君が恋しいし、冷えたジャスミンティーが飲みたいよ。
……やっぱり変えられない。
この思いは今すぐに変えることはできない。季節が秋を超えても、君のいない季節を通り越しても、僕はきっと半袖の君を夢見る。
……考え方を、もう一度変えてみよう。
そう思うと、心がふっと軽くなる。体はこっちに持ってきてしまったけれど、心は決めなくてもいいのかもしれない。
……僕も、君に会いたいよ。
一文を残してメールを送信する。都会に来る飛行機よりも早く軽いメッセージでも、思いだけは伝えたい。
……こっちはもう秋だよ。君がいる所ではまだ先だろうけど、必ず追いつくから。
さっきまで冷えていた足が熱を取り戻す。
行き先が決まったのだから、後はエネルギーを補給して君に辿り着くため、前に進もう。
このまま戻っても、きっと後悔する。
だから僕は戻らず、君がいる『3』つ先の季節まで辿り着いてみせるよ――。
……帰ったら、衣替えをしよう。
冷たい風を浴びながらも、爽やかな香りを口いっぱいに吸い込みペダルを漕ぐ。
君がいた温かく大切だった暑い夏を思いながら、この秋を乗り越えよう。
少しずつ、うつろえる、ままに――。
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