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2016年08月22日23:42

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お題53『弟子』 タイトル『コア・プライド』

「柳(やなぎ)さん、本当にありがとうございました」

 木原君は何度も頭を下げる。
「課題も見つかりましたし、これからの道筋が見えました。本社でも頑張れそうです」

「いえいえ、短い期間だったけど、俺も楽しかったよ。今日が最後の夜だね、何が食べたい?」

 木原君に尋ねると、彼は笑顔でいった。
「柳さんが食べたいものなら、何でも構いません」

「そう、じゃあ最初の日に行った居酒屋にしようか」

 二人で店を閉めて暗闇の中を自転車で漕ぐ。彼が乗っているものは小さくて、彼の体格に合わないがそれでも一生懸命についてくる。

 ……俺にもこんな時期があったんだな。

 電動自転車を漕ぎながら、ふと思う。手に職をつけ、技術指導者として早八年、自分の限界までやってきたという自負はある。

 だが彼のように熱いエネルギーを持った人間に出会えば、俺がやってきたのは本当にベストだったのかと問い正したくなる。

 ……土口(つちぐち)さん、俺はあなたの役に立てたのでしょうか――。



「人が多いですね」
「そうだね、お盆だからかも」 

 店につくと、人に溢れており、俺たち二人は隅っこの方に寄せられた。

「何にする?」
「せっかくですので、今日は一杯だけビールを飲ませて頂きます」
「大丈夫? お酒飲めないんじゃないの?」
「一杯だけ付き合いたいんです」

 木原君はこの四日間、酒も煙草も扱わず、研修期間として仕事が終わった後も、修行に明け暮れていた。

 片や俺は酒も煙草ものみながら、彼の修行を目で追うだけで口を挟むだけだ。もちろん彼は技術不足で、要領を得ていないからなのだが、それでも心の中には罪悪感が溢れていた。

「じゃあ、乾杯」
「お疲れさまですっ」

 彼は吸水スポンジのように一気にビールを吸水してウーロン茶を頼んでいた。本当に酒が飲めないのだろう。

「本当に付き合って頂いてありがとうございました。それに寝床まで……この御恩は必ずどこかで返します」
「いいよいいよ、そんな大したことしてないし」

 木原君は今度、東京の本社に出向する。俺が憧れていた先輩でありながら直属の上司だった、土口さんの所にだ。

 なぜこの大宰府(だざいふ)にいるのかというと、福岡のお盆には花を飾るという習慣があり、彼がまだ福岡にいたため、五日間、手伝いに来てくれたのだ。

「そんなことありません。柳さんの技術、やはり長年磨かれていただけあって、大変勉強になりました。自分も早く柳さんみたいに技術指導者になりたいです」

「君のやる気だったら成れるよ」

 俺は本気で答えた。
「技術なんていうのはやったらやった分だけ伸びるから、大丈夫。何も後世に名を残すゴッホのようになれ、っていうわけじゃないんだからさ。真面目に頑張っていればできるよ」

「それでも、自分は未熟なので、尻込みしてしまいます……」

 彼は酒で真っ赤になった顔でいった。
「自分も今年でもう、三十代に入ります。若い子達と一緒に一から学ぶにはハンデがあると思っています。だからこそ、気持ちで負けるわけにはいきません」

 ――一人前になりたいんです。

 木原君は店に来て開口一番目にそういった。
 プロになって、自分の目指す人に認めて貰いたいんです――。

 木原君の熱い気持ちを聞き、俺は彼に寝床を提供し、仕事終わりでも彼の練習に付き合った。

 もちろん正規で教える技術料でいえば、莫大な金額になるだろう。さらにいえば、俺がいる会社と彼の行く会社は厳密には違うので、教える必要もない。

 ただ彼のエネルギーを受け、俺は彼に恩を着せたい、と思った。

 そこには俺自身の未だ捨てきれない葛藤があるからだ――。

「柳さんはどうして花屋になったんですか?」

「実家が花屋だったからね。だから最初は仕入れ業者だったんだけど、施工部門に流されてね、まあそれでもいいやと思っていたら、ここまで来ちゃったなぁ」

 ……あの頃は君のように、君以上に熱かったな。
 取り戻せない青春を感じながら、俺は空になったビアグラスをテーブルに置いた。

「少しだけ、昔話をしていいかな。面白くない話だけども、聞いてくれると嬉しい」


 
「柳、お前にしか頼めない仕事があるんだが……」
「任せて下さい、土口さんの頼みなら断れるわけないじゃないですか」

 俺が笑顔で答えると、土口さんは誠実に頭を下げながら仕事を受注してくれた。

 夏の暑い日、緩い風を浴びながら俺は土口さんにいわれるがまま、仕事に励んでいた。

 土口さんは絵に描いたような理想の上司であり、俺の憧れだった。彼の技術は誰が見ても一流で、俺は彼に技術を教わりながらも彼には絶対に勝てない、という思いで時には嫉妬した。

「人にものを教えるってことは、そいつが自分より上にならなければ本当に教えたことにはならないよ」

 土口さんは謙遜か、はたまた敵うはずがないというプライドからか、俺にこう教えてくれた。

 俺は彼の祭壇技術に憧れ、同じものを描けるように努力をした。彼の言葉を信じ夢中で近づいた。すると、いつの間にか後輩ができ、人にものを教えるポジションについていた。

 その頃には土口さんは支社長となり、会社を回すポジションについていた。そして彼は技術だけでなく先を読む力も長けていて、店の数字は鰻登りになり、仕事は瞬く間に増えていった。

 楽しかった。誰よりも自分の思いを汲んでくれて、残業になると、必ず飯を奢ってくれた。彼には家庭があるのに、俺たち部下をねぎらい、次の日の糧になるよう励ましてくれた。

「オレの上司は皆個人プレーばかりする人たちだったからな、それよりもオレは皆で頑張りたい。認めて欲しいんだよ、柳に」

 誰よりも頑張る土口さんを見て、俺はこの人に一生ついていきたい、と思った。支社長になった彼に、俺はNO.2として、彼の片腕となることに必死だった。

 転機が訪れたのは実家の母親が倒れてからだった。実家の花屋を畳むかどうか瀬戸際になった所で、父親から福岡に帰って来いと連絡があった。

 土口さんに相談すると、彼は何の迷いもなく福岡支店に空きを作り、俺をすぐに返してくれる手筈をとってくれた。

 あっという間だった。お礼をいうべき時間も、感謝の言葉も、彼に世話になった分の返しは何一つできなかった。

 それから一ヵ月後、本社の人員の幹部が数名引き抜いて独立したという話を聞いた――。
 


「……そんな過去があったんですね」

 彼は口をぱくぱくとさせながら頷いた。
「僕が聞いていい話だったのかはわかりませんが……聞けてよかったと思います」

「そういって貰えるだけでもありがたいよ。木原君は、どうして花屋になったの?」

「僕は何となくです」

 そういって彼は手を振った。
「柳さんみたいに、実家を助けようなんて気持ちはないですし、ただこの技術をもっと知りたいと思ったんです。葬儀って誰でも通る道じゃないですか」

 木原君は熱く語る。何を話しても、彼から夢という二文字を想像させ、自分の気持ちを熱く滾らせてくれる。

「僕がここにいるのは、もちろん僕の力だけじゃなくて、周りにいる人がいたからだと思っています。こうやって柳さんと出会えたのも、猿川(さるかわ)さんのおかげです」

 猿川君は俺が前にいた本社の後輩だ。彼が木原君を紹介してくれたおかげで、俺との繋がりもできたのだ。

「そうだね、人付き合いって本当に大事だね」

「なので、僕はこれから柳さんがいた本社で頑張ってきます。柳さんの先輩・土口さんにも、きちんと貢献できるように働いてきます」

 彼の言葉に心が再び動かされる。どうして会ったこともない人間に対して忠誠が誓えるのか。

「どうして君はそこまで思えるの?」
「認めて、欲しい……からだと思います」

 木原君は拙い言葉で心を打ち明ける。
「当たり前に頑張れる職場っていうのは、そんなには……ありません。僕がいた所がそうでした。もちろん僕自身のやり方が悪かった可能性もあります。ですが、猿川さんや柳さんと出会って、この会社は本当に頑張れば、認めて貰える会社だと知りました。だから、もう人のせいにして後悔したくないんです」

「……そっか」

 上司に恵まれた俺には何も返すことができない。

 やはり土口さんがいたからこそ、今の俺があるのだと実感する。

「僕はずっと祭壇の花が挿したかったんです。それでも、叶うことなく自分なりにモチベーションを上げてやることはやってきました。それでも、それでも……一人の人間の力じゃどうしようもないことがあります。葬儀の仕事はチームワークですから」

 土口さんの言葉が蘇る。残業後に語ったみんなの夢が脳裏を掠める。一人でできる仕事ではない、だからこそ俺は彼に憧れ、彼を目指した。

 それでも俺はもう東京に戻ることはできない――。

「猿川さんに出会って、ようやく目指す環境が整いました。後はやるだけです。なので僕は皆さんに認めて貰いたいので、やれることはやりたいんです。新卒の子達と一緒でも構いません」

 ……俺には無理だ。

 嫉妬に狂いそうになる。まだ入ってもいない彼にすでに負けているような錯覚を受ける。実家のせいにして、あの場を逃げたのは俺だ。

 この葛藤はきちんとした別れができなかったからこそ、今でも続いている。

「東京は激戦区だからね。こっちとは勝手が違うし、やり方も人間も違う。それでも大丈夫?」

「もちろんです」

 木原君は即答した。
「柳さんが信用している土口さんがいるんですから、負けるわけには行きませんよ」

 ――柳、向こうでも負けるなよ。

 土口さんの心の声が胸に響く。

「……そっか。うん、そうだよね」

 俺は大きく深呼吸して告げた。
「プレッシャーになるかもしれないけど、必ず君は成功する。その思いを忘れない限りね。今は人手が足りないし、会社的にはピンチだ、だけどチャンスでもある。俺の分まで頑張って欲しい」

 これから彼は目まぐるしい都会で、追い込まれるだろう。だけど俺が尊敬する上司の元なら、きっと成長できるだろう。

「俺を追い抜いて、バリバリ仕事をして欲しい。今度会う時は俺をライバルとして、見れるようになっていて欲しい」

「難しい希望ですが……ベストを尽くします」

 木原君はしっかり俺を見据えていった。
「僕はもう柳さんの弟子ですから、あなたを超えないといけないんです」

 ――オレを超えて見せろよ、柳。

 土口さんの言葉が胸を伝う。これ以上、彼に言葉は必要ないだろう。

「ありがとう、是非、また福岡で飲もう。美味しい水炊き屋があるんだ。帰ってきたら、そこに連れていってあげるよ」

「ありがとうございます。楽しみにしています」

 勘定を終えて、外に出ると、月が出ていた。

 ……俺にできることはまだある、花を掴める間は。

 俺は電動自転車のスイッチを切って、走り出した。緩やかな風が頬を撫で、あの頃の気持ちを再び蘇らせてくれる。

 後ろを見ると、木原君が背の低い自転車を一生懸命に漕いでいた。

 いつの間にか心に潜んでいた葛藤は消えており、彼に負けられないというプライドの芽が現れていた。





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