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2016年07月16日21:24

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「生死の理」と追悼プラダクシナ

今月に入ってから知人の訃報が2件もたらされた。

一人は高校時代からの親友の親父さんである。

高校演劇部の仲間だった親友とはその後も浜松で演劇活動を展開したときも一緒であり、彼の実家はしばしば活動拠点の一つともなったりしたので、親父さんとはもちろん面識があったので、さてこれは帰国したら機会を作ってご焼香に訪れたいと思う。

もっとも親父さんはそれ相応の高齢者であったわけで、昨年から病床にあり今年の3月にも危篤状態に陥ったりもしたし、幾分か「認知症」も進行していたそうで、要介護5判定で「自宅療養」していただけに、寿命が尽きてのお見送りなのであり、家族としては悲しみの中にもどこか「ほっとした」心境もあったことだろう。


もう一人は24年前に中国・雲南省昆明のホテルのドミトリーで出会い、その後何度もタイ・バンコクやパンガン島で一緒につるんでいた旅友達である。

日本でも私が東京・東中野のアパートに居住していた時分には、タイへの往復の際などに彼は私の部屋を「宿代わり」に使って長居してやがった(笑)間柄で、ある意味「うんざりするほど」一緒にいた時間も長かった。

旅の話だけでなく「クラシック音楽」が共通の趣味だっただけに、話していて時間が立つのを忘れることもしばしば、雑学知識も豊富でユーモアや冗談・ギャグ大好きなうってつけの論談相手でもあった。


もっとも彼は政治信条的には「リベラル左派」だったので、「かなり右寄り保守派」の私とはその点だけは相容れなかったし、いわゆるスピ系にはとんと無縁な男で「インドは1回で懲りた、2度と行かない!」と言う奴でもあった(笑)


往時は体重100キロを越える体格&とんでもない大食漢で、あれこれと精力旺盛な人物だっただけに、「君はきっと糖尿病になって臓器不全で死ぬぜ」などと毒づいたものだが、まさか現代の難病の一つである「白血病」により享年52才で亡くなる・・・とは全く予想外のことであった。

しかも私が縁あって埼玉県鴻巣市に引っ越してからは、彼は「バンコク」専門・私は「アルナーチャラ」に特化していったこともあり、すっかり疎遠になってSNS上でのやりとりだけになり、「いつかまたバンコクで会ったリするのかな?」・・・と思いつつ、この7年というもの全く再会する機会の無いまま逝ってしまいやがった・・・。


業界?では大変有名な人物でもあり、彼の残した著作は現在でもバンコクを旅する殆どのバックパッカー達によって大変有意義に利用されているであろうから、彼の名前は「その筋では今後も語られ続けられる・・」に相違あるまい。



さて14日夜のギリプラダクシナは5番・6番弟子双方に事情がありキャンセルとなったので、幸いにも「独りで歩く」ことができた・・ので、この二人と今年3月に逝去した別の知人への「追悼プラダシナ」として歩くことが出来た。


まあ、インドとは縁薄かった二人にしてみれば「なんじゃこれは?」なのであろうが、個人的には追善法要なのだということで、ご焼香に代わる追悼としての波動を受け取ってもらえば良いのだが。


それ故に粛々と歩きたかったのだが、昨夜は残暑厳しい上にそこかしこで工事中でもあって路面状況もすこぶる悪く、最後の方では足の裏が腫れ上がってしまい結構痛みもあってきつい歩きとなった。

これまでギリプラダクシナは全回「裸足」で歩いているので、棘が刺さったりつま先をぶつけたり・・などのアクシデントは珍しくないが、今回のような足の裏が腫れ上がるほどのダメージというのは記憶にないわけで、どうもその直接的な因果関係がわからないのだが、この痛み(いたみ)が悼み(いたみ)に通じていた・・・ということならば、それで納得することとしよう。


3月に逝去した知人はかって熱心にギリプラダクシナを実行していた人物でもあり、おそらく現在は柳田先生同様に「道の右側を歩く」存在であろうから、↓

http://sirius02.blog6.fc2.com/blog-entry-1402.html


最後の方でひいひい呻きながらもどうにか歩ききれたのも、案外彼が(苦笑しながらサポートしてくれたからかも?・・と思うことにしよう。


3人の逝去というのはもちろん「悲報」は「悲報」であるのだが、現在の私の立場としては、「生死の理は神様の領域である」という認識であるので、過剰な感情は交えずに合掌するにとどめる次第である。

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