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2016年06月17日11:38

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お題35『酒』 タイトル『毒物語』

「ふうん、先輩も大概、女たらしですね」
 伊予(いよ)ちゃんはカルアミルクを含みながら俺を見ていう。
「こうやって女の子とデートしている時に他の女の子の話をするなんて、卑怯だと思いますし幻滅します」
「デートじゃないだろう」俺は目の前にあるナッツを口に含みながらジントニックで流し込む。爽やかな香りが鼻を抜け心地いい。「俺は相談があって、それを君が了承したから俺達はここにいるんだろう」
「そうだとしてもいきなり先輩の元カノの話を聞くとは思っていませんでしたよ」伊予ちゃんはじと目で俺を見る。「しかもその人、私が紹介した人じゃないですか。今頃難癖をつけてくるとはいい度胸ですね」
「難癖じゃない、相談だよ。ただ君と話がしたかったんだ。元カノのことを話せるのは君しかいないからね」
「嬉しいこといってくれるじゃないですか」伊予ちゃんは嬉しそうに微笑む。「もちろん大歓迎ですよ。私はどんな先輩だとしても好きでいられますからね。一日中、右の乳首を舐めて欲しいというアブノーマルな要求だって喜んで答えますよ」
「そんな要求を出した覚えはない、伊予ちゃんが勝手にやっていただけだろう」俺は真顔で否定した。「大体会うこと自体が久しぶりなのに、体を求めるわけないじゃないか」
「そうですね。先輩はお尻の方が好きですもんね」
「おい」
「失礼しました。久しぶりに会って胸がときめいているんです。お許し下さい」
 彼女はウインクして答えるが、俺はそれを無視する。あざとい女は嫌いじゃないが、全て計算だとこっちが尻込みしてしまう。
 俺は今、彼女に昔の恋愛相談を持ちかけている。
 伊予ちゃんとは10年前、予備校で出会い付き合っていたが、遠距離になりいつの間にか別れていた。若い頃は体の関係こそが一番の繋がりだと思っていたからだ。
 だが俺が地元に戻り、彼女と偶然再会したことで話し合うようになったのだ。
 俺は予備校の講師となっており、彼女は薬剤師として地元のドラッグストアで働いている。
「先輩、元カノの話に戻る前に、一つ質問していいですか?」
「ああ」
「先輩は薬と毒ならどっちになりたいですか?」
「薬か毒? そりゃ薬だろ、どう考えても」俺は即答した。「薬は人のために役に立つし、毒になっていいことはないだろう」
「先輩らしい回答ですね」伊予ちゃんは小さく頷き納得する。「ですが薬とは一体何でしょう? 草冠に楽、要は草を煎じたものを飲んで楽になるという意味です。でも薬って苦くて美味しくないじゃないですか、楽になるために苦いものを飲むって何だか抵抗ありません?」
「薬剤師が何をいう」俺は彼女に突っ込んだ。「だけど薬は体にいいだろう? 毒を打ち消してくれるんだから」
「じゃあ先輩、毒とは何でしょう?」
「毒っていうのは……体に悪いものだ」俺は酒で緩んだ頭で考える。「毒があれば体はきついし、何もできない、下手すれば死ぬ。苦しいだけじゃないか」
「薬を飲んでも苦しい、毒を飲んでも苦しい。この世は苦しいことばかりですね」伊予ちゃんはカルアミルクをぐいっと飲み干す。「このアルコールにしてもそうです。アルコールがなくても生きていけるのに、皆ありたがって飲む。薬にならない毒なのにです。何でですか?」
「美味しいからだ。微量な毒は人生を楽しめるんだよ。煙草や酒を楽しめないと損した気分になるからね」
「でも先輩は薬になりたいんでしょう?」
「んーそういわれると迷うな。伊予ちゃんはどっちになりたいの?」
「私ですか? 私は純水です」彼女は冷静に呟く。「薬にも毒にもなりたくありません。ちょうど中間の何の害にもならない、何の益にもならない、ただの普通の水がいいです」
「屁理屈だね。仮に純水になれるとして、その理由を教えてくれよ」
「それはシンプルですよ」伊予ちゃんはにやりと笑って答えた。「この世に水ほど依存する薬物はありませんからね」

「先輩、この世には三つの液体が存在するんです」伊予ちゃんは新しい飲み物を頼んでいった。今度はカシスミルクらしい。「薬、水、毒の三つです。でもこれらを一纏めにすると全て毒です。薬も使いすぎれば毒、毒は元々毒、水だって大量に飲みすぎれば毒です」
「そりゃそうだね。何でもしすぎればいいことはない」
「でしょう? だから私は普段皆が口にしている水になりたいんです。いつかは毒になれることを願って、真水でいたいんです」
「どういうこと?」
 俺が尋ねると、伊予ちゃんは再び口角を上げた。
「人に使われなければ、薬も毒も何の意味もありません。人の善意、悪意がなければこれらの液体は使われないんですよ。だから普段から認識されずに使って貰える水になりたいんです」
「ふうん」
 伊予ちゃんのいいたいことはなんとなくわかるが、要領を得ない。結局、彼女は何がいいたいのだろう。
「まあその話は置いといて。じゃあ俺の話に戻っていいかな」
「どうぞ」
「この間、居酒屋に行ったんだけどさ、隣のテーブルに元カノに似た女の人がいたんだよ。その人は結婚していて旦那と子供がいた。夫婦で楽しくお酒を飲みながら楽しそうにしていたよ」
「なるほど、それでどうしたんですか? 先輩はその人を妄想して右乳首を触りながらオナニーをしていたんですか?」
「そんな趣味はねえよっ」俺は素早く突っ込んだ。「伊予ちゃんは知ってるだろうけど、俺の元カノは5年前に亡くなったじゃないか。それで彼女と別れていなかったら、俺にもそんな未来があったのかなってふと思ったんだ」
「なるほど。元カノと結婚して乳くり合いたかったというわけですね。母乳プレイがしたかったと」
「乳首は関係ねえよ。大体俺は男だ」
「男の人の方が乳首は敏感なんですよ」伊予ちゃんはにやにやと口元を緩めながらいう。「触れられる機会が少ないですからね。利き乳首、試してみます?」
「試さねえよ、何だよ利き乳首って」
「感度にも右と左があるんです。先輩は左利きだから左かもしれませんね」
「どうでもいいよ、乳首の話は」俺は彼女の頭にチョップをして話を中断させる。「何でそういう話になるんだよ。確かに最近ご無沙汰だけど、君にそんなことをお願いするつもりはない」
 俺が無言で貫くと、彼女は優しく微笑みながら答えた。
「それでこそ先輩です。そういうツンデレな部分が私の嗜虐心を掴むんです。やはり攻略のし甲斐がありますね」
「何をいってるんだ、一度付き合ってるんだから、攻略されたも同然だろう」
「付き合ったからといって全てを知ることはできません。もちろん表裏の意味で」
「女子が使う言葉じゃねえな」俺が再び突っ込むと、彼女はにんまりと口に手を添えて笑った。
 伊予ちゃんの穏やかな微笑が怖い。確かに他の女の話をする方が悪いが、彼女はそれすらも楽しんでいるように見える。
「先輩、お代わりは?」
「……同じもので」
 俺は空になったグラスを流し再びジントニックを頼んだ。
 俺もカルアミルクが飲みたかったが、ここでミルクを頼んだら彼女に再びちょっかいを受けてしまうからだ。同じものを頼むというのも何だか気が引いてしまう。
「それで元カノさんはどんな人だったんです? 友人としては知っていますが、恋人としての彼女の話が聞きたいです」
「……そうだな。もう話してもいい頃合だな、5年も経つし」俺は空咳をしていった。「……俺にとっては最高の相手だったよ、勿体ないくらいに。君の友達だからといってお世辞じゃない。見た目はいいし、性格もいいし、大人だし、相性もよかった。一言でいえば女神かな。でも悪魔でもあった。喧嘩した時は相性がよ過ぎて、彼女に何をいわれても芯まで通るような気がして自己嫌悪したよ」
「なるほど、相性がよ過ぎて喧嘩した時にはどん底まで落とされたと認識していいですか」
「まあそうだね。毎日幸せだったから、彼女を失った時の絶望感は計り知れなかったね」
 俺は今でも思い出す。彼女と別れた日は夏の暑い日で、朝4時に目が覚めてしまったこと、その時の日差しがやけに眩しくてセミの鳴き声に全てを支配されていたことを。
「どうして別れたのですか?」
「どうしても納得できない部分があった。元カレと会っていいかといわれたんだ」
「いいじゃないですか、それくらい」
「俺はそれすら許せなかった。その時は」ジントニックで唇を潤す。「その時は……毎日会うことが当たり前で、彼女の仕事が終わったら一時間掛けて迎えに行って、車の中で今日会った出来事を話すくらい好きだったんだ。彼女は俺の何でもない話も受け入れてくれて、笑ってくれた。俺の全てを受け入れてくれていたんだ」
「アナルもですか?」
「頼んでないけど、受け入れてくれていたかもな……」俺は神妙に頷いた。「って別にその話はどうでもいいだろう。ともかく、俺は彼女のことが好きで束縛していたんだ。彼女も俺のことを締め付けてきた。それが快感だったんだ」
「なるほど、アナル開発はされてないと」
「当たり前だ。そんなアブノーマルな趣味はねえよ」
 そういうと伊予ちゃんは嬉しそうに、にんまりと笑った。
「ということは先輩にはまだヴァージンの部分が残っているのですね」
「そこは一生未体験でいたいよ」俺は溜息をついて続けた。「結局、彼女は元カレに会ったんだ。別にやましいことはないっていってたけど、俺は許せなかった。それから連絡を取らなくなったんだけど、ある日、彼女は俺の前に姿を現した。俺の家の前で隠れていたんだ」
「ストーカーですか?」
「ああ。それも毎日だよ」
「最初気づいた時、たまたまかと思ったんだが、それから元カノは毎日俺の自宅を覗きにきていた。話掛けてきたら、俺も対応しようと思ったんだが、結局彼女は何もいわずに去るだけだった。正直びびったよ、そんなことをする人とは思っていなかったからね」
「確かに気味が悪いですね」
「だろう? それからだよ。俺が元カノを認識するようになってから、いたずら電話が掛かってきた。俺は彼女だろうと思って、ずっと黙っていたんだ」
「あ、それ私です」伊予ちゃんはあっけらかんとして答える。「先輩に普通に電話しても繋がらないと思ったので、非通知で掛けていたんです」
「怖いよ!」俺は叫んだ。「先にいってよ。なんでこのタイミングで答えるのさ」
「だって先輩、誰かと付き合っている時、連絡しても取れないでしょう? 彼女に心配掛けるからって」
「そうだね。って最初に言い出したのは君だから」俺は反論する。「伊予ちゃんと付き合っていた時に決めた方法でしょ。他の女の子から声を掛けられるのが心配っていってたから、なるべく関わらないようにしていたんじゃないか」
「そうでした」伊予ちゃんは両手をポンと叩く。「でもわかって下さい、私は先輩の水になりたいんです。薬でもなく毒でもなく真水がいいんです。だからなるべく負担にならない方法を選んだんですよ」
「毒だよ。確実に」
「それは失礼しました。なるべく無言電話は辞めるようにします」伊予ちゃんは一つ頭を下げて質問を続けた。
 ……なるべく、なんだ。
 俺は心の中で呟いた。彼女にあまり言い過ぎるといいことがない。彼女は気が強く、関わり過ぎるとひどい目に合う。だからなるべく関わり合いたくなかったのだが、どうしても元カノの話がしたかったのだ。
 なので今日は我慢しよう。
「それで元カノさんはどうしたんですか? そのままずっとストーカーを続けていたんですか」
「うん、近づくだけで何もなかったね。彼女は俺のすることは全て受け入れてくれたけど、彼女から何かするのは不得意だったからね。プライドが高かったんだよ。それでもある日、俺と彼女の友人が取り持って食事に行く機会があったんだ。それで再会した。でもそれが返って怖かった」
「どうしてですか?」
「彼女は終始、笑顔だったんだよ。付き合っていないのに、今でも付き合っているみたいな感じがして逆に怖かった。きっと俺が何かいうのを待ってたんだろうな。でも彼女は何もいわず、二次会に突入した。そこで彼女は豹変した」
 俺は思い出しながら言葉を選んだ。
「彼女は酒に飲まれて俺に対する愚痴を言い続けた。今までそんなことはなかったのに、精神も脆くなっていて、自分は不幸だ、死にたいという口癖をいうようになった。睡眠薬を飲まなければ寝れないということまで俺に暴露してくれた」
「なるほど……それは大変ですね」
「ああ。それで俺もこのままじゃ彼女が駄目になると思って、何度か会うようになった。彼女の話を聞いて、酒を飲まないようにさせて……」
「さすが先輩。伊達に教師をしていませんね」
「俺だって良心くらいあるよ」俺は照れながら答えた。「でも全然駄目だった。一度落ちたら歯止めがきかないんだ、彼女はいつの間にか煙草を吸うようになって、背中に刺青(いれずみ)までいれたいと言い出して、俺にとってはもう別の存在のような感じだったよ。まさに天使から悪魔に落ちていったようにね」
「ふうん、なるほど。薬が毒になるように表裏一体だったんですね」
「ああ、だから俺はもうほっとくという選択を取らざるおえなかった。これ以上は俺の生活にも影響があると思ったからね。そして俺が離れて半年後、彼女は自殺した」
「……重たいですね」
「……うん。今まで黙っていてごめんね。でも話したら楽になった。ありがとう」
 俺が頭を下げると、伊予ちゃんは俺の背中を擦りながら呟いた。
「先輩の体には毒が溜まってますね。私が薄めてあげましょうか」
「薄めるってどうやって?」
「私が先輩の体内に入るんです」彼女は何でもないようにいった。「先輩を楽にしたいんです。お薬だったら苦いでしょう? 毒だったら苦しいでしょう? 私は先輩の水になって癒してあげたいんです」
「全く薬剤師なのに変なことをいうね」
「薬剤師だからですよ。この世の薬は使い方を間違えれば全て毒です」伊予ちゃんは人差し指を振る。「でも薬自体なくても生きていけます、体には浄化作用がありますからね。この世で依存しないと生きていけない毒はたった一つしかないんですよ」
 彼女はそういって不気味に微笑んだ。
 ……ん、待てよ。
 俺の中にある考えが浮かんだ。元カノの睡眠薬を処方したのは彼女ではないだろうか。
「私が先輩を慰めてあげますからね。自分じゃ手の届かない所も全部舐めて綺麗にしてあげますから。……もちろんヴァージンも」
 彼女の妖艶な舌がちろりと唇から現れる。
 ……睡眠薬を処方したとなると、元カノが依存していったものは全て伊予ちゃんのせいじゃないか?
 そう考えると、全て点が線となり繋がっていく。伊予ちゃんは元カノが酒に溺れ、煙草を味わい、俺に強く依存するようになったことを誰よりも知っているはずだ。なぜそれをさも今知ったように話すのだろう。
 唐突に頭が痺れていく。俺のグラスを見ると、先ほどまで透明だったものが白く濁っていた。そんな酒を頼んだ覚えはない。
「すいません、私もジンのカクテル頼んでいいですか? 実は甘いカクテルって嫌いなんですよね」俺の有無をいわず、彼女はメニューを見て答える。「このフォールン・エンジェル下さい。名前がいいと思いません? 先輩」
 フォールン・エンジェル?
 俺の頭はすでに思考を停止しており何も考えずにはいられない。どうやら意識が遠のいていくようだ。 
「先輩、知ってます? ジンは昔、お酒でなく薬として処方されていたんですよ。香りがいいからお酒として常用されるようになったんです。もちろんこの中にお薬が入れば……その効果は二倍にも三倍にも膨れます。ミルクだったら解けないんですけどね」
「な、何を……いってるんだ」
 朦朧とする頭を抑え彼女を見る。
「元カノさんのこと、気に病むことはないですよ。私が先輩の体を慰めてあげますからね、もちろんお尻も。きっと病みつきになって離れられなくなりますよ。座薬は胃を通さないので成分も変わらず楽しめますから」
 意識が混濁していく。目の前のグラスにあるように俺の視界も歪んでいく。
「もう辛いことなんてないですからね。先輩の体にある毒を薬に変えてあげます……私が薄めてあげますから、お酒のようにほろ酔い気分にしてあげますからね」
 ……そういうことか。 
 伊予ちゃんは俺を元カノという毒に漬け込んで、それを薄めて依存させようとしていたのだ。アルコールはそのままでは受け付けないように、水で割りながらゆっくりと……。
「ね、先輩?」
 彼女はカクテルを一口舐めて俺を覗き込んできた。
 彼女の瞳は蠱惑的でとても純水ではない、と思った。そこに映っていたのは天使でもなく悪魔でもなく、薬物中毒に溺れる俺の姿だった。
 


 




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