9.
京都についた桃子は早速、初日の目標である海住山寺に向かった。ここで楓の居場所が掴めたらそのまま探るつもりだ。しかし山の中にある五重塔を見た時には違和感を覚えた。
写真の風景とは全く違ったのだ。職員に話を聞いたが、確かに修復を行なう予定があったらしい。しかしそれは取り消しになったとのことだ。楓の名前を出してもかぶりを振られるだけだった。写真を見せたが申し訳なさそうにわからないといわれた。
次の日、東寺に向かったが五重塔を見ただけで違うとわかった。写真では周りの木の方が背が高かった。東寺は五重塔の中で一番大きく50mを越えている。木の方が大きくなる構図は撮れない。
京都には国宝といわれる塔は二つしかない、つまりどちらでもないということは何かが間違っているということになる。
楓は見栄を張って国宝の仕事を請け負ったといったのだろうか? もし国宝でないのであれば、また別の日に来なければならない。
東寺の職員に話を聞き、京都にある全ての五重塔の場所を尋ねた。そのうち市内に四つあるとのことだった。桃子は移動手段を教えて貰い全ての五重塔に向かった。だがどこも写真とは違った。
本当にこれは五重塔なのだろうか?
前に進むたびに疑念が生じ最後の建物に辿り着いた時には胸を焦がす焦燥感しか残らなかった。
旅行最終日。
桃子は予定通り清水寺に向かうことにした。今回は無駄足だったがまた改めて出向くしかない。五重塔は京都だけではない、日本各地に存在しているのだ。蘇鉄の言葉を信じていればきっとそのどこかで出会えるだろう。
……予定通り清水寺を見学しよう。
リリーとの約束を思い出しカメラを握る。携帯を忘れていたのでメールを送ることはできないが、デジタルカメラで鮮明な画像を撮って帰れば喜んでくれるだろう。
拝観料を払い清水寺に入ると一陣の風が彼女の側を通った。秋風が火照った体を優しく撫でてくれている。
桃子は清水の舞台から景色を一望した。辺り一面が真っ赤に染まっており別世界に入り込んだようだ。
屋久島の穏やかな世界とは対照的にこの清水の紅葉は心を激しく高鳴らせていた。緑、黄緑、黄色、オレンジ、赤のグラデーションによる色の移り変わりは生きている虹を見ているようだ。情熱的な色彩が桃子の暗く沈んだ心まで染め替えていく。
いくら見続けても飽きることがない非日常の空間がそこにある。たくさんの観光客の行き交う中、その景色に釘付けになった。
しばらく無心で眺めていると、観光客の会話が桃子の耳に入ってきた。何でもこの奥に濡れて観音という場所がありお願いごとを聞いてくれるらしい。
早速向かうとガイドの男性が石で囲まれた観音様に柄杓で水を掛けている所だった。水を掛けている所に皆お祈りをしている。桃子も便乗して一緒に祈ることにした。
……どうかお父さんが関係している五重塔が見つかりますように。
お祈りを終え目を開けると目の前に背の高い男が突っ立っていた。
よく見る顔だと思うと店長の椿だった。
10.
「店長、どうしてここにいるんですか?」
「近くまで墓参りに来てたんだよ。それでせっかくだから紅葉を見にきたんだ」
そういって椿は再び微笑んだ。その笑顔を見て桃子は何だか心強く感じた。やはり遠く離れた所で知り合いに会えるとほっとする。
「私のことに気づいていたんです?」
「ああ。結構前からね」椿は頷いた。「あれだけ舞台の先頭に立っていたら誰でも気づくよ」
「じゃあなんで声を掛けてくれなかったんですか?」桃子は口を尖らしていった。
「感動している桃子ちゃんに話かけるのは気が引けてね。きちんと意識がある時に声を掛けようと思って」
そんなに呆然と見ていたのだろうか。確かに楓の建物が見つからず意気消沈していたのは事実だが。
桃子の表情を察してか、椿は優しい声で続けた。
「冬月さんから聞いたよ、お父さんが関わった五重塔を探しに来ているんでしょ?」
「実はそうなんです。店長に話しそびれたんですけど」
父親が塔の建築に関わっていることを話し、一枚の写真を見せた。
すると彼は建物の名前を即答した。
「桃子ちゃん、この写真の建物は奈良にあると思うよ。室生寺(むろうじ)という五重塔だと思う」
「えっ? どうして?」桃子は驚愕し彼を見た。「室生寺? どこですか、なんで?」
いくら何でもお寺の名前まで正確にわかるとは思えない。写真を見ただけでは五重塔かどうかさえわからないのだ。
「まあまあ、ちょっと落ち着いて。ここじゃ話にくいしちょっと場所を変えようか」
周りの観光客を見渡す。騒然とした中で話すことはできないだろう。彼の言葉に頷き彼の跡を追うことにした。
最寄の喫茶店に入り、桃子は興奮を抑えきれず気持ちばかりが焦る。
「実をいうと僕もそんなに詳しくないんだ。ただ写真を見てわかることがある。この花の名前とかね」
「花、ですか?」写真の隅にくすんだ花が無数についていた。
「これは石楠花(しゃくなげ)っていう花なんだ。室生寺でお祭りにするくらいたくさん植えてあるものなんだよ」
「なるほど。建物ではなく背景の植物を見ていたんですね。じゃあ早速今から行ってみて確かめることにします」
桃子は高ぶる気持ちを抑えることができずに席を立とうとしたが、椿がそれを制した。
「桃子ちゃん、ちょっと待って。室生寺に行く前に確認しよう。法隆寺に詳しい人がいるんだ。室生寺に行くにしても遠回りにはならないし、そっちの方がいい」
「でも……」
「大丈夫。僕に任せてよ」
椿の笑顔を見て、桃子はようやく肩の力を抜いた。
11.
日も暮れかけ紅葉の色が一段と赤に染まっていた。桃子は緋
あけ
色から移り変わっていく山の姿をバスの中からぼんやりと眺めていた。
椿と法隆寺へ向かい、彼の関係者に写真を見せると室生寺で間違いないという確証を得た。そして今、彼女は室生寺行きのバスに乗り込んだ所だ。
しかもこのバスは最終だ、後戻りはできない。必ず自分の心に決着をつけたい。
バスは山道のカーブを何度も切り抜け終点の室生寺前に着いた。桃子はバスから降り駆け足で寺に向かった。
朱色の橋を渡り慌てて受付に行くと、鑑賞時間は十分くらいしかないとのことだった。構わず受付を越えて目の前の大きな門を潜った。
大きな門を潜ると、楓に囲まれた細い道が続いていた。どの葉もまんべんなく染まっており身頃を迎えている。このまま進んでいけば室生寺の五重塔に続く階段があるだろう。着実に目的の場所に近づいている。彼女の心は紅葉のようにゆっくりと熱を帯びていった。
階段は段差が激しくまた数が多かった。この三日間歩きっぱなしだった足にはかなり堪える。だが今は泣き言をいっている場合ではない。一刻も早く楓が関与した五重塔なのかこの眼で確かめたいのだ。
顔を上げると森の中にぽつんと小さな塔が建っているのが見えた。初めて見た建物なのにどこか懐かしい感じがする。今まで感じていた焦りが唐突に風に流され消えていく。
息を整えながらゆっくりと階段を登り終える。その時、気持ちのいい風が彼女を出迎えてくれた。
その風は楓の葉を巻き込みながら吹き抜けていた。軽やかに舞う楓の葉を見ていると心が自然と満たされていく。日が暮れて若干見にくいが、目の前に見える塔はまさしく写真に写っている塔だと確信した。
……これだ、私が探していた五重塔はこれだったんだ。
桃子は塔をまじまじと観察した。それは法隆寺で見たものよりも大分低かったが、すらっとしており華奢な感じはしなかった。楓にそっくりな塔だなとも思った。
「もうすぐここは閉まりますよ。何か忘れ物でもあったんです?」
しばらく塔を眺めていると階段から降りてくる職員から声を掛けられた。
桃子は手を振って告げた。
「すいません。もう少しだけここにいたいのですが、駄目ですか?」
「申し訳ありません。私の一存ではできない相談です。どういったご用件でしょう?」
どういっても延長して貰う理由にはならない。桃子は諦めてマフラーを締め直して帰ることにした。今日はどこかに泊まりまた明日来よう。
しかしその時、職員は桃子を凝視し立ち止まった。
「あの……、そのマフラーはどちらで買われたんです?」
桃子は疑問に思ったが隠さず話した。
「母に作って貰ったんです。大分古いんですが、どうしても手放せなくて」
「まさか……」男の目が拡大する。「もしかして……あなたは秋風桃子さんじゃありませんか?」
「え?どうして、私の名を」
職員はふっと笑い、手を差し伸ばしてきた。
「この時をずっとお待ちしていました。私はあなたに会うためにずっとこの場にいたんです」
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