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2016年06月14日16:04

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『瞬花終灯(しゅんかしゅうとう)』 第三章『楓の終幕』 PART4

  7.

「それじゃリリーさん行って来ますね」

「うん、行ってらっしゃい。気をつけてね」

 三人で雑談を交わして一週間後、桃子は予定どおりに京都に向かった。新幹線で行くため最寄の駅まで彼女を送った所だ。

 リリーはマフラーを揺らしている桃子に思いを馳せた。父親の残した建物を探しにいくというのはどんな気分なのだろう。

 ……あまりピンと来ないな。

 自分に置き換えてみるが、イメージは浮かばない。父親が建てたものを見てないからだ。今頃彼は欧州を駆け回っているだろう、裏切られることがない数字だけを追いかけて―――。

 ……そういえば冬に帰ってくるんだっけ。

 夏に上司の橘がいっていた言葉を思い出す。そろそろ連絡を取ってもいいかもしれない、今なら母親の話をすることに躊躇いはない。

 ……それよりも今は今日の夜ご飯だ。

 今日の朝は桃子が作り置きしてくれたおかげで大丈夫だったが、夜は自分でなんとかしなければならない。これから三日間、料理の腕を上げるため自炊することを決めているのだ。

 今日は手始めに味噌汁からだ。昨日買ってきた料理の参考書をお手本に分量を調節し味を確かめてみる。

 ……なかなかいい感じにできている。

 鼻を鳴らし再び味見する。自分には料理の才能があるんじゃないかという期待を誘うほどの出来だ。しかし自分の舌だけでは確証は得られない。作り過ぎたという口実で椿に連絡してみよう。

 電話のコールがやたら長く感じる。今まで普通に電話できていたのに、なぜか体が強張っていく。

 ……初めて彼を、自分の家に誘うからだ。

 そう思うと、体が熱くなっていく。なぜこんな大事なことを電話で伝えようと思ったのだろうか。きちんと桃子に段取りを組んで貰えばよかったと悔やまれる。

 無情にも椿は電話を取る。もちろん自分から掛けているのだから、切るわけにはいかない。着信履歴に残れば、必ず向こうから掛けてくる。

「こんばんは、どうされました?」

「ええっとですね、じ、実は……」

 味噌汁を作ったから、家に来てくれといえばいいのだろうか。軽すぎないだろうか。しかしここまで来て、誘わずにはいられない。

「も、桃子ちゃんが味噌汁を作り過ぎてしまって……それで春花さんは、晩御飯、食べていないかな、と思いまして……」

 咄嗟に嘘をつくと、椿は嬉しそうに返事をした。

「味噌汁ですか。いいですね。是非食べたいのですが、伺っていいんでしょうか?」

 桃子がいないのに、という言葉が含まれている。

「ええ、桃子ちゃんが是非、二人でといっていたので」

 再び嘘をつく。ここまで来たら、嘘を突き通すしかない。

「それは助かります。今日のご飯がなくてどうしようか、悩んでいたんですよ」

「そうなんですね」リリーは拳を作りながらぐっと力を入れた。「実は、私も一緒に作ったものなんですが、よければどうですか」

「おお、それは楽しみです。冬月さんって料理してるイメージがないので全く想像がつきませんね」

 本当に素直な人だ。頭に血が昇るのを感じながらも話を続ける。

「春花さんの想像通り、自分で料理するのは初めてなんです。是非感想を聞かせて欲しいんですが、どうでしょうか?」

怒りを込めていったつもりだったが、彼は全く気づかない。

「是非、御馳走になります。他に必要なものがあれば買いますけど、何かあります?」

「そうですね。味噌汁とご飯しか作ってないので、おかずが必要でしたら御自分の分だけお持ち下さい」

「わかりました、それじゃまた後で」

 電話を切った後、小さくガッツポーズを取りながら黙考する。このまま普通の味噌汁を振舞っていいのだろうか。

 椿のことだ。初めてにしては美味しいけど普通だ、という感想を述べるに違いない。彼をぎゃふんといわせてやりたい。さらに工夫を重ねるとしよう。


 三十分後。インターホンが鳴る、自分の心臓も高鳴る。ドアの鍵を開けに玄関へ向かうと、椿が笑顔で待っていた。

「こんばんは、最近はめっきり寒くなってきましたね」

「そうですね。すぐに暖めますから。どうぞ、入ってください」 スリッパを用意し中へ案内する。

「凄い綺麗に片付いてますね。冬月さんらしい」椿は辺りを一瞥しながら感嘆の声を上げる。「よかったら、これ部屋に飾って下さい」

 受け取って中を見ると、茜色の可憐な花だった。

「まあ、ありがとうございます」

 ……う、嬉しい。
 思わず胸が高鳴る。純粋に嬉しくて、花を貰うことに対してここまで心が動かされるとは思わなかった。

 ……しかしこれは、コスモス。
 花に罪はないなと心の中で呟き花瓶に入れテーブルの中央に飾る。

「もうできますから、先に座ってて下さいね」

 ついに勝負の時が来たと気を引き締める。はたして彼の舌を満たすことはできるだろうか。用意していた器に汁を入れご飯をつぐ。

「リリーさんは食べたんですか?」

「いえ、せっかくなので一緒に頂こうと」

「よかった、ちょっと多めに唐揚げ買ってきたんですよ」

 彼が取り出したのは桃子がよく買う唐揚げだった。家で揚げる暇がない場合は大抵この商品だ。
 ……味噌汁との相性もばっちりだ。

「いいですね、暖めましょうか?」

「さっき買ったばかりなので大丈夫ですよ」

 椿と共に箸に手をつけた。その先には自分の思いが籠もったお椀がある。

「それでは頂きます」

 緊張の一瞬が始まる。箸を構えるが視線は椿の方に釘付けだ。

「どうしたんです? なにか自分の顔についてます?」椿は首を傾げている。

「いえ、何でもないですよ」

 椿は先に唐揚げに手を伸ばし美味しそうにほうばっている。我慢できずにリリーは味噌汁を促した。

「冷めちゃうんで、ぜひ先にどうぞ」

「ああ、そうですね。お先に頂きます」椿はお椀を手に取り丁寧に啜った。

「どう、ですか?」

 椿の表情は無表情で白紙の状態になっていた。どういう感情なのか、全くわからない。

「ええっ、おいしいですっ。とってもっ!」

「本当ですか?」

「ええ、本当ですともっ!」

 椿はそういって豪快に味噌汁を啜り続けた。余程美味しいのだろう、お椀まで食い尽くす勢いで食べ続けていく。

 ……なんだ、やればできるじゃないか。

 心の中でほっと胸を撫で下ろす。今まで自分は料理に興味がなかっただけで、やらなかっただけだ。これからは桃子に教えてもらってレパートリーを増やそう。

 彼の慌てふためいた顔を見ると、つい顔がにやけてしまう。

「よかったです。おかわりはたくさんあるので、是非遠慮せずに食べてくださいね」

「えええ、はいっ。是非、頂きますともっ! 冬月さんこそ全然箸が進んでないじゃないですか、早く食べないと冷めますよ」

 しきりに椿は進めてくる。確かに自分のために作ったのだ。きっちりと吟味しよう。

「そうですね、じゃあ私も」

 ゆっくりと啜って舌で味わう。塩加減がちょっと濃いが、さきほどの味見と変わりない。これなら客人に出してもいけるレベルだ、悪くない。

 妙に椿の熱い視線を感じる。よくみるとお椀の中身が空になっていた。もしかしたらおかわりを催促しているのかもしれない。

 話しかけようとした瞬間に椿が先に口を開いた。

「リリーさん、ど、どうですか。み、味噌汁の味はっ?」

「ええ、初めてにしては上出来じゃないかと」

 自分で褒めるのもどうかと思ったが、椿に絶賛されたためここで卑下する訳にもいかない。

「そうですか……、そうですよね……。うん」

 どことなく椿の顔色が悪い。

「そういえばお椀が空になっていますが、おかわりはいかがですか?」

「あああ、はいっ。頂きたいんですが……」彼は困惑した表情で続けた。「でも冬月さんの分がなくなってしまうんじゃないんです? やっぱり押しかけた形になっているので、頂くのは申し訳ないです」

「いえいえ、そんな遠慮なさらずに。他の人にも味見してもらおうと思ってたくさん作ったんですよ」

「味見っ? まさかお隣さんとかにですか?」

「そうですね。一人じゃ食べきれないので」

「ちなみにどのくらい作ったんです?」

「三日分くらいですかね」

「三日分っ!?」椿は大声で叫んだ。

「味噌汁ってたくさん作ったらまずいものなんですか」

「いえ、本来なら問題ないです」

「本来なら?」

「いえいえっ」椿は大きくかぶりを振った。「桃子ちゃんもいたらという意味です。あんまり多く作ったら腐っちゃうかも、しれないし……」

「ああ、そうですね。そこまで考えてなかったです」味噌汁は腐るものなんだなとリリーは初めて知った。

「ええ、次回からは少なめに作られた方がいいと思いますよ」

「そうですね」

「そうですよ」

「ではおかわりは?」

「頂きますっ! お隣さんにあげるなんて勿体ない。お隣さんに上げる分を全部僕に下さいっ!!」

 ……椿にそこまでいわれるとは、想定外だ。

 料理の才能があることを確信し、桃子と一緒に作ったなどといわなければよかったと後悔する。

 どうせなら、お椀で出すのも勿体ない。そこまで望むのであれば、大きめの丼ぶりで提供しようではないか。

「そんなに喜んで頂けるなんて嬉しいです。是非お好きなだけ食べて下さい」

「はいっ! ありがとうございますっ!」

 椿はとてもいい返事をした。

  8.

 食事を終え、後片付けをし二人で紅茶を飲むことにした。今日の紅茶はオータムナルだ。芳醇でまろやかな味は秋にこそ相応しい。

 椿の様子を眺めるとどことなく表情が弱々しい。

「うわー、生き返るなー。これ、とってもおいしいですね」

「生き返る?」リリーは疑問を感じ尋ねてみた。

「いえっ、あれだけおいしい味噌汁を頂いた上にとってもおいしい紅茶を頂いて、僕は幸せだなぁと思って」

 今日の椿は表現がおかしいが、無理もない。きっと自分の作った味噌汁がそれだけの衝撃を与えてしまったのだろう。

 ……才能とは本当に恐ろしい。

「……春花さん、紅茶にミルクは入れる方ですか?」

「どちらでも。なくても美味しいです」

 彼の言葉を聞いて安堵する。どちらにしても、この家にはコーヒーフレッシュはないし、入れるのなら普通の牛乳しかない。

「桃子ちゃんが明日から店を閉めるといっていたのですが、お花は大丈夫なんです?」

「もちろん、予定通りに使い切っていますので、ご心配には及びません」

 そういって椿はリリーの顔をじろじろと眺めてきた。

「どうしたんです?」

「冬月さんもお花に興味をもたれたみたいで嬉しいんですよ。僕が花屋になったのは、出会った人に花を好きになって貰うことですから。やっぱり屋久島での体験がよかったんですかね?」

「そうかもしれません」リリーは彼のおかわりを足してから答えた。「最近、外の世界が自分の中で変わってきてるんですよ。街路樹なんて全く見てなかったんですが、あ、今日は実がついたなとか葉っぱの色が変わってきたなとか」

「それはいいことですね。季節を感じることができればそれだけ楽しみも増えます。辛いことがあっても時間が解決してくれるようになりますよ」

 椿はリリーが愛でているクワズイモの葉を眺めながら続けた。

「植物っていうのは絶えず呼吸をしているんです。一日の終わりにそういう変化をみると、ああ、今日も頑張ったな、といい気分に浸れます」

 日常に変化をもたらすものはたくさんある。だけど植物と共に過ごすだけで穏やかな気持ちになる。この気持ちはきっと花でしか味わえない。

「仕入れで一足早く色々な花が見れるんですが、その時にはやっぱり心が躍りますね。得した気分になります」

 ……この笑顔には敵わない。

 世の中にはこんなに純粋な人がいるのだ。自分のように人を疑っている職業もあれば人を信じる職業もある。できればこの笑顔をずっと見ていたい。

「すいません、今日二つほど嘘をつきました」リリーは頭を下げていった。「味噌汁を作りすぎた、というのは口実で、春花さんに謝っておきたかったんです」

 もう一つの嘘は桃子が作ったということだが、これに関しては美味しいといっていたので大丈夫だろう。

「屋久島で春花さんの過去を教えて貰ったでしょう? あの時は私、酔っ払ったままあんな話を尋ねてしまったので申し訳なく思っていたんです」

 椿は家業のことを隠そうとしていた、それなのに自分は何度も尋ねてしまったのだ。彼の態度は変わらなかったが訊かなかった方がよかったのかもしれない。

「いえ、僕の方が悪かったんです。お酒が入って自制心がなくなってしまってすいませんでした」

「そんなことないですよ、私は聞けてよかったと思ってます」

「そういってもらえると助かります」

 ……よかった。

 心の中でつっかえていたものがとれていく。紅茶を啜ると、まだ暖かく美味しかった。

「……実は明日から行くのは大阪なんです」

「それは……前の奥さんの」

「はい。命日なんです」

 花瓶に佇んでいるコスモスがふっと自分の方に顔を向けた。咄嗟に彼女は顔を背けた。

「そうだったんですか……。確か秋桜美(あさみ)さんでしたよね」

「そうです、って名前まで出してたんですね」椿は頭を掻きながらいった。「この間三人で楽しくお茶をしてたじゃないですか。桃子ちゃんにあの場で話す訳にもいかないし困ってたんですよ」

「本当に素直な人なんですね。嘘をつけばいいのに」

「嘘をつくとすぐバレるんですよ。うまくごまかせるようになるためには当分修行が必要みたいです」

 思わず口元が緩んでしまう。嘘を見抜くのが仕事なのだが、嘘をつけるようになりたい人間がいるとは考えもしなかった。

「今のままの方がいいですよ。そっちのほうがずっと春花さんらしい」

「そうですかね」
「そうですよ」

 少し間を置いてから、リリーは再び尋ねた。手から汗が滲み出てきている。

「やっぱり、まだ、奥さんのことを……?」

「……そうですね。やっぱりふとした時に考えてしまいます」椿は腕を組んで宙に視線を逸らした。「去年は開店して間もなかったので余計なことはあまり考えずに済みました。でも少しゆとりが出てくると……無意識のうちに出てきますね」

「そう……ですよね。去年のことですもんね」

「いきなりいなくなっちゃったんで、まだ実感がわかないんですよね」椿は微笑しながらいう。「そのうちひょっこり帰ってきそうで。それで今は色々報告をしているって感じです」

「律儀なんですね」

「そうなんですかね?」
「そうだと思います」

「……そうですか」椿は紅茶を啜り爽やかな笑顔を見せた。

 一時の沈黙が流れた。自分の家にいるのに居心地が悪い。話題を変えたかったが何を話していいかわからず紅茶に手が伸びるだけだった。紅茶は冷え切っており味を確かめることはできない。

「そういえば、桃子ちゃんはどこに行ったんです?」

「ああ、そういえば春花さんはご存知なかったんですよね。京都に行ったんですよ」

「へぇ。それは紅葉を見にいったんですか?」

「それもあるのですが……」

 椿になら話をしても大丈夫だろう。桃子だって意地を張っただけなのだ。要点を掻い摘んで話すと、椿は訝った。

「国宝なんですよね? その塔は赤と黒ならどちらでした?」

「赤でしたね」リリーは再び写真を思い出した。「朱色が混じってたので赤の塔になるんだと思います。けどその写真がひどく汚れてて全体像は見えなかったんですよ」

「なるほど。塔の周りはどんな感じでした? 何か花など咲いてました?」

「確か木に囲まれた感じでしたね。塔の周りにサツキのような花がたくさん咲いていたようでした」

「えっ、サツキみたいな花?」椿は真剣な表情で携帯電話を開き画像を提示してきた。「もしかしてこんな建物じゃなかったですか?」

 写真を見てイメージが重なった。確かにこの写真だ。

「ここです。こんな感じでした。春花さん行ったことがあるんです?」

「ええ、実は一度だけ」

 秋桜美さんとですか、という言葉を思わず飲み込む。そんな話をぶり返したら再び自分の心を痛めるだけだ。心を落ち着かせるため、桃子の予定を義務的に話した。

「今日は海住山寺という所に行ってるはずです。明日は東寺で明後日が清水寺に行く予定みたいですよ」

「行ってるみたいというのは連絡を取ってないんですか?」

 椿の眼にたじろぎながらリリーは答えた。

「実は桃子ちゃんを駅まで送ったんですけど、その時に私の車の中に携帯忘れて行っちゃったんですよ」

「……なるほど、そうでしたか」

 椿は大きく溜息をついた。その目は何か遠くのものを見るように鋭く細まっていた。


 次の日。リリーは出勤する前に椿の店の前を通り過ぎ、店が閉まっているのを確認した。

 今頃椿は大阪に向かっているのだろう。

 店の中を覗き込んでみると、たくさんあったコスモスの花がなくなっていた。きっと墓参りに持っていったに違いない。

 ふと、相手の顔が気になった。奥さんはどんな人だったんだろうか。想像はシャボン玉のように浮かんでは消えるだけだった。浮かぶのは恋焦がれたように臙脂(えんじ)色に染まったコスモスの花だけだった。

 心が急速に色褪せていく。

 彼女は再びガラス玉で心に封をしたい気持ちになった。




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