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2016年05月29日23:59

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お題29『クオリア』 タイトル『ラブ・クオリア』

一つ、話をしよう。
 赤のものを一つ想像して欲しい。
 あなたが今、想像した色を私に口で説明できるだろうか。
 赤といっても色々な種類がある。リンゴのような紅緋(べにひ)色、夕日のような茜(あかね)色、鮮血のような朱(しゅ)色、酸化した血のような蘇芳(すおう)色、マニキュアに映える躑躅(つつじ)色、全ては目で確認することができるが、その色自体を言葉で説明することはできない。
 赤という色の概念は感覚が司(つかさど)るからだ。そしてまた赤色は絶対に青という概念になることはない。共通の認識として皆、赤は赤だと覚えることができるのだ。
 これは『クオリア』と呼ばれる現象で、とても複雑な神経細胞(ニューロン)の活動が関わってくる。呼吸をすれば酸素を吸うことができるのは誰にでもわかることだが、その原理を説明することが難しいように『クオリア』を一言で説明することはできない。
 私は日々、スペックのいいPCを使ってこの『クオリア』を研究している。学べば学ぶほど、奥へ奥へと進んでいき、決して引き返すことのできない深海へと潜り込んでいくような錯覚を覚えてしまう。
 もちろん地上へ戻る気はない。このまま私の身が朽ちるまで『クオリア』について探求すると決めている。
 なぜなら、この言葉の中に生きるとは何かという哲学が眠っているような気がするからだ。
 それでは再び、『クオリア』についてダイビングすることにしよう――。


「では、教授。『クオリア』についてお話聞かせて下さい」私はエドワード教授に質問した。
「そうですね、では一つ、例え話をしましょう」彼は両手を広げていった。「あなたの頭の中に『ふわふわ』としたものを想像して欲しい」
「『ふわふわ』ですか。……思いつきました」私は頭の中で一つの綿菓子を想像した。
「よろしい。では次に私の頭の中に『ふわふわ』としたものを想像して見て下さい」
「あなたの中にですか?」
「そうです。同じものでも構いません」
 私は再び同じものを想像したが、別のものが浮かんだ。羊毛だ、ちょうど彼がウールのセーターを着ていたのもある。
「……思いつきました」
「よろしい。では答え合わせといきましょう」彼はそういってホワイトボードに『ふわふわ』という文字を書いた。「この『ふわふわ』という概念は誰の頭の中でも想像することができ、また異質なものにはなりません。仮に原始人に共通の言葉を覚えさせ、『ふわふわ』とは何かと問うと、共通のものを想像することができます。今の時代と昔の時代で共通するものでいえば、雲ですね」
「……なるほど、確かに雲も『ふわふわ』ですね」
 私は頷いた。雲も綿菓子も羊毛も全て、『ふわふわ』のものだ。言葉を変えることもできるが、『ふわふわ』という共通する曖昧な言葉でくくることができてしまう。
「この感覚を一言でいえば『クオリア』といいます。人類が誕生してからこの感覚は一切変わっていないのです。では『クオリア』とはどのようにして形成されていくのか、考えていきましょう」
 私はメモを取りながら彼の言葉を反芻した。
 『クオリア』とは昔から変わらない共通の感覚質、言葉でいえば一言でいえるが、その実態は私にもわかっていない。今日はテレビの取材で彼を訪れたのだが、いい勉強になりそうだ。
 彼はこの『クオリア』に生きることの意味が埋まっている、と考えている。私もその見解が知りたい、取材だけでなく私自身、この『クオリア』に興味があるのだ。

「再び質問をします」
 教授は私にリンゴを見せながらいった。
「……あなたに子供がいるとして、その子供にリンゴを赤い食べ物だと認識させるためにはどうしたらいいと思いますか?」
「……そうですね。私なら、子供にリンゴを手で渡して教えます」
「いいですね」教授はリンゴを一口齧った。「実物を見せるのが一番早いです。子供にまず目で見て貰い、色とリンゴの形を認識させます。その後、手で触れさせ質感と質量を覚えて貰いながら、最後に口を使って味わうのが一番正しく認識できるでしょう」
「五感を使うということでいいでしょうか?」
「そうですね。さらに匂いを嗅いだり、リンゴを叩いた音を聴かせることも認識を強めることができますね」
 私は再びメモを取った。
 『クオリア』の形成には五感を用いることが不可欠だと。
「では子供ではなく、五感のない機械に教えるためにはどうしたらいいでしょうか?」
「機械ですか? PCなどのコンピューターに認識して貰うということですか?」
「そうです」
 私は頭を捻った。感覚のないものにそれを教えるというのは言語を習得させるよりも難しいように感じる。知らないことを知るように教えるためにはどうしたらいいのだろうか。
「様々なリンゴの情報を教えるというのはどうでしょうか?」
「惜しいですね、半分正解といった所です」教授は穏やかな声でいった。
「正解はリンゴに近いものを全て教え込む、ということです。青林檎、果実系などのパターンを全て覚えて貰うことが必要になります」
「つまりリンゴ以外のものを覚えて貰い、消去法で教えるということですか?」
「ええ、そういうことです」教授は大きく頷いた。「もちろん確実に林檎だと認識させるためには、林檎の形を万単位で刷り込み、林檎の匂い、質感、質量、色全て平均値をフルセットで覚えて貰うことになります。これをパターン認識というのですが、我々人間のように一瞬で覚える術はないのです」
「なるほど、それは果てしなく遠い作業ですね」私は彼の言葉に同意し再び訊いた。「それが有効活用されることはあるのでしょうか?」
「今の所はほとんどない、という認識ですね。ですが人間はその途中でも他のものに作り変えることができます」教授はホワイトボードを用いてリンゴの絵を描いた。「このリンゴの絵を本物のように描くためには様々なことを勉強しなければなりません。形でいえば芯の部分、色のグラデーション、全てに一連の流れがあり、リンゴを描けるようになっていたら青リンゴも描けると思います。そこから梨、桃などのように連鎖して他のものも描くことができるようになっていきます」
「わかります。完璧に描けなくとも認識できるようになったら、他のものも描くことができるというわけですね」
「そういうことです」
 リンゴの絵が描きたいからといって、リンゴの絵だけを描いて終わる人はいない。赤い色一つにとっても、それぞれ色の付け方は自由だし、学ぶ課程で認識は変わっていく。
 人間は過程を求める生き物なのだ。リンゴの絵を永遠に描き続ける人間は少ないし、他の果物に移ることだってできる。
 だがPCにはそれができない。結果しか識別できないからだ。
「この学習を我々はディープランニングといいます。これが『クオリア』に近い存在なのです。PCに『クオリア』を用いたもの、我々は人工知能、略してAI(Artificial Intelligence)と呼びます」
 私は頷きながらメモを取った。
 人間の『クオリア』は優秀でPCに劣るものではない。AIはディープランニングによって人の『クオリア』を認識できる。
「ではこれが実際に私達の社会でどのように使われているか、実態を探っていきましょう」

「あなたはこのディープランニングがどこで使われていると思いますか?」
「私が知っているもので記憶に新しいのは囲碁や将棋でプロ棋士を負かしたことですね」
「そうですね、それもディープランニングを使用したAIです」教授は囲碁、将棋とホワイトボードに書いた。「将棋と囲碁では囲碁の方がパターンが多いのですが、今はその世界でも勝つことに成功しています。全てはパターン認識によって知能を増加させたからですね」
「では、これからもずっとAIが勝ち続けると?」
「いえ、そういうわけでもありません。人工知能と人間が協力できる部分があるのです。人工知能同士で勝負をすると結果はわかりませんが、人工知能同士の戦いに片方人間が加わると、必ず人間側が勝つ様になっています」
「それは……どうしてですか?」
「人工知能は万能というわけではありません。全ては結果しか見れないからです」教授は過程と結果という文字を書いた。「山を登る時、ヘリコプターで向かうのが一番早いですよね。でも山が好きな人ほど、必ず下から登る。なぜだと思いますか?」
「それは結果よりも過程を重視しているからですか?」
「その通りです」教授は過程という文字に丸をつけた。「人間は結果に囚われにくい生き物なのです、飛行機で行くのが一番早く安く済むとしても、電車・車・船などで行く人もいますよね。全てはその過程を楽しめるからです。それがAIにはできない」
「それが勝負に関係するのですか?」
「そうなのです」教授は深く頷いた。「囲碁や将棋はその一連の流れが重要です。じゃんけんのように結果だけを重視するものではありません。その都度毎に流れを読める者が勝負に勝つことができるのです。これは人生に置いても同じです」
「なるほど」
 つまり教授がいいたいことはこうだ。勝負といっても結果も過程もどちらも大切で切り離せない。大局を読むことが生きる上で大事だというのだろう。
「今の時代、AIに頼らないことはありえません。生活のほとんどに入り込んでいるからです。スマートフォン、調理器具、洗濯機、冷蔵庫、車、全ての電化製品にAIが組み込まれています。ですが仮にあなたの老後が一人になったとして、人間と同じAIのロボット、どちらかと一緒に住めるといったらどちらと住みたいですか?」
「私は……人間を選びます。結果よりも一緒に生きる過程を重視したいからです」
「私も同じです」教授は笑顔で頷いた。「生きる上では結果だけで全て語れません。むしろ自分は今、この瞬間を生きている、と思える過程こそが何より大事なのではないでしょうか」
 彼の言葉に共感できる。いくらAIが発達した便利な世の中になっても、過程を楽しめなければそれは生きているとはいえないからだ。
「この感覚も『クオリア』なのでしょうか? 私があなたに口付けをしたい、と思うこの気持ちもパターン認識によって生まれたものですか?」
「そこまではわかりません。ですが私も同じ気持ちです」
 そういって彼は隣に来て私の唇を奪った。この体温の上昇も全て『クオリア』が決定付けているのだろうか。
 そうではない、と私は思った。これはパターン認識ではなく、彼と一緒にいたい、その過程を求めるための行動だと思いたいからだ。
「私も今、あなたとこうやって話している瞬間が楽しいし、続けていきたいです。だから……」
「ママー、お腹すいた」
 扉を見るとコニーが部屋に入ってきていた。手には熊のぬいぐるみが掲げられている。
「まだ出てきたら駄目でしょう。仕事中なんだから」
「まあいいじゃないか。途中で編集すればいい」そういって夫は子供を掲げた。「寂しかったんだよなぁ、コニー?」
「うん」
「ひとまず休憩しよう。結果ばかりを求めても疲れるだけだからね」
「……そうですね」
 私は彼に貰った結婚指輪を眺めながら頷いた。私は彼と一緒に生きていきたい。それは結果だけでなく過程が欲しいからだ。
 あなたと一緒にいてよかったという証も欲しいが、それよりもあなたと一緒にいる今が一番大切だ――。
「先にご飯にしましょうか。今日は何を食べたいか皆で考えるのはどう?」
「さんせー」
 コニーはぬいぐるみを持ちながら笑顔になった。
 その笑顔を見て私と夫はまた一つ、新たな『クオリア』を共有することができただろう。 
 この『ふわふわ』とした気持ちが同じものであるように、愛の形もきっと――。









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