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2016年05月03日23:05

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レコ芸5月号|アーノンクール追悼特集

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3月に指揮者ニコラウス・アーノンクール(86)が亡くなりました。
ここ数年、アバド、ブリュッヘン、ブーレーズといった一時代をつくってきた
巨匠クラスの指揮者の訃報に接することが続いて残念に思っていましたが、
今回は、アーノンクールですか…。
彼の功績は、古楽というジャンルにあって
つぎつぎと新しい響き、解釈をつくってきたことだと思います。
インド好きの私らしい言い方をするなら
アーノンクールは破壊と創造の「シヴァ神」のような人でしたね。

10日ほど前に買った「レコード芸術」誌の5月号も大きく特集が組まれました。
私の知人である音楽評論家の矢澤孝樹氏、山崎浩太郎氏も
誌上で健筆を奮っていました。

古楽の分野で頭角をあらわしたアーノンクールは、
「異端児」「革命児」とも言われましたが、いまは堂々たる巨匠と言ってよいでしょう。
私は正直、彼のよい聴き手とは言えません。
一目はおいているものの、隣りの頑固じいさん的なイメージでした。
しかしそれなりにCDは買って聴いていました。

今日は大型連休の真っただ中、
サッカー観戦と業務上の所用以外は
特記するような予定を入れなかった混雑が嫌いな私、
今日は一日、おとなしくアーノンクールのCDを聴いていました。
名盤と評価されたものをサッと聴いた後、
ちょっとキワモノと言ってもよいCDもかけてみました。

ひとつはヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇「こうもり」。
グルベローヴァ、バーバラ・ボニーらが出演。オケはコンセルトヘボウ。
ひさびさに聴きましたが、やはりアーノンクールはやってくれていますね。
オペレッタなのに、オペラのような演奏しています。
独特の強弱の表現、アーティキレーション、パンチの利いた響きと量感も健在。
慣例を排して、原典に立ち戻る姿勢も健在で、
聴きなれたアリアの音が違っていたり、(たとえばロザリンデのチャールダシュ)、
2幕で挿入されて演奏される慣例のポルカ「雷光と雷鳴」が省かれ、
オリジナルのバレエ音楽と合唱曲に戻っていました。
クライバーのような演奏を聴きなれていた方は
肩透かしにあったような気分でしょうね。
慣例を拒否し、原典に戻った演奏にすることで、変に思う人がいたとしても、
アーノンクールにとってはそれが良くも悪くも真実であることを示す演奏ですね。
もしこれにならうなら、アーノンクールが振った「フィデリオ」を
私はまだ聴いたことはありませんが、
おそらく指揮者マーラーがはじめたと言われている
レオノーレ第3番の挿入をアーノンクールはしていないと予想できますw。

それと数か月前に買った「モーツァルト|初期交響曲集」も改めて聴くとビックリの連続。
この7枚組CDには、1番、4〜25番、27番他がはいっています。
オケは、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス。
8歳ぐらいのモーツァルトが作曲した1番の交響曲は、
強弱の幅が大きく、とても攻めてくる演奏になっていました。
ささやかな作品に見える音楽の内容を200%ぐらい引き出しています。
ヴォルフガング少年に、アーノンクール爺さんが、
「いいたいことがあるなら、もっと声を大にして言いなさい」と叱っているよう。
冒頭の同じ音が続くところにクレッシェンドをつけるところは、
その怒りが増幅していくようです。
しかし最後は、泣きそうになっている子供をあたたかく抱擁するという優しさもw。

こういう指揮者は今後、なかなかでないでしょうね。
アーノンクールが残してくれた膨大なCDを、
今後も買い足しながら聴いていくことになりそうです。

それと最後にレコ芸の編集者に苦言が言いたいです。
それは、校正チェックが甘いこと。
5月号の77ページに、20年ぶりにソロアルバムをつくった
ハープ奏者の吉野直子さんの記事があります。
そのヘッドラインをみてビックリ。

ようやく登場した
年ぶりのソロ・アルバム

文脈を読めば、「20」が抜けていることがすぐに分かります。
しかしヘッドラインが脱字というのはお粗末ですよね。
編集者側は最低限のチェックしていないのでしょうか?
人間は誰でも間違いはしますが、
このミスはちゃんとやれば防げるレベルのものだと思います。
不完全な雑誌を買わされた感じがして、
私は不愉快になりました。

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