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2016年04月28日21:57

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お題9『部屋に開いた穴』 タイトル『ブラックホール・ストーカーズ』

都会に引っ越してきてついた癖がある。
 それは人間観察だ。俺は東京に来て人を観察する趣味がついた。溢れた人間が皆、誰にも関心を見せないからだ。この歪みは人口密度が生んだ弊害そのものだろう。

 俺の休みはスタバに入りブラックを頼んで文庫本を開くことだ。俺はその本の裏側にいる人間の固まりをそれぞれ観察する。皆、思い思いに何を話しているのかはわからないが、命には限りがあることを証明するように彼らは夢中で話をする。
 俺はその固まりを少し違った視点で観察する。この世界に存在する都会の人間はファンタジーの生き写しだと思っている。誰しもに物語があるように、俺の物語で彼らはただの通行人に過ぎない。その通行人を眺めていると自分が透明人間になっていくようで嬉しかった。自分には特別な力がある、そう感じてしまうのだ。
 だからこそ俺は自分を見失い、自分が生きているという感覚さえ失ったのかもしれない――。
 
 俺は東京の大学に進学が決まり、田舎から上京して六畳のボロアパートを借りることにした。家具もなくクーラーまでない昭和のアパートだ。それでもここを借りたのは、隣の人物に目が眩んだからだ。
 隣に住んでいる彼女は看護師のようで短髪で清楚だった。俺がこのアパートを決めかねている時、彼女はすっと横から小さな笑顔を見せてくれたのだ。ここには自分の欲を満たしてくれるものがある、そう思わずにはいられなかった。
 俺は家賃を交渉し、彼女の隣の部屋を借りた。ここしか空いていなかったこともあるが、壁が薄く声が漏れるのではないかと期待した所もあった。両隣がいるのは精神的に落ち着かないが、隣が彼女なら問題ない。
 俺には兄がいて、彼に手伝って貰いながら引越し作業を進めた。俺達は全く似ておらず、兄の体格はがっしりとしていて全くの別人のように見える。
 それでも兄弟だという証は声にあった。俺達は普通の家庭で育ったため、口調も声のトーンもほとんど一緒で両親からはよく勘違いされていた。
 兄の助けもあり、俺は人よりも早く大学生活を満喫できるようになった。ホームセンターで自炊用の道具を買い、食費を抑えることにも成功していた。ここの物価は高すぎて、自分の胃袋は満たせないからだ。
 台所で野菜をトントンと音を立てて切っていると唐突に実家を思い出した。包丁とまな板の奏でるハーモニーが俺の頭で実家とリンクしていく。お袋が作ってくれた料理が妙に恋しくなる。お袋は満腹になるようにと、たくさんの量を作ってくれていた。それをきちんと食べるのが俺の仕事だった。
 食材がなくても意味もなくまな板の上で包丁を叩くことがあった。野菜のざく切り音よりもこのシンプルな音が好きなのだ。
 家事が捗ると、もちろん部屋掃除も捗る。俺の部屋に物は少ないが、料理を終える毎に部屋を片付ける習慣がついていった。何気ない所にも目を這わせ、きちんと自分の城を管理するようになっていった。
 その時、俺は気づいたのだ。押入れの中に小さい光が漏れていることを。
 そっと覗いてみる。そこには彼女がこちらを向くように立っていたのだが、格好を見てやばいと唐突に目を離した。
 ……彼女にばれていないだろうか。
 唐突に不安に苛まれる。目の前にいた彼女は上だけ全て脱いでパジャマのズボンを履いているというアンバランスな格好でいたのだ。両腕を胸元で組んでおり胸ははっきりとは見えなかったが、何かを悩んでいるようだった。
 ばれていない、と自分のいいように考えてもう一度、穴を見た。彼女はどうやらベッドの上に置かれたブラジャーと格闘しているようだった。彼女は二、三のブラジャーを着けた後、色が決まったのか、下のズボンまで脱ぎだした。その時、俺は初めて母親以外の下着を見て、興奮を覚えてしまったのだった。
 彼女は着替えを終えて外に出た。看護師といっていたのだから、夜勤かもしれない。
 大胆に穴の中を食い入るように覗くと、なんとなく部屋の概要がわかった。日が少しだけ傾いており見ずらいが、手前には彼女のベッドがあり、その奥にテレビがあった。俺の部屋とは違う構図に新鮮さを覚え、再び欲情していった。
 彼女が休みの日、俺は一日中家に引きこもった。彼女の行動を観察するためだ。彼女は準看護師で正規ではない、ということもその時、知った。それは彼女のケータイの通話から得た情報だった。
 俺は夢中で彼女のデータを集めた。一つ一つ、何気ないものでも、宝物になりえた。マニキュアは風呂上がりに塗ること、化粧を落とした後は寝ながらテレビを見ること、友達と電話で話す時は意味もなく首を振ること。新しいことを一つ覚える度に、俺の心は翼が生えたように軽くなっていった。
 ベッドの上で楽しそうに話している彼女を見て本気で押し倒したい、と思った。俺だけが彼女のことを知っている部分があるのだ。彼女以上に、俺だけが……。
 気がつくと大学に行くよりも彼女の方が勉強になる、と心底思っていた。狂おしいほどに彼女を愛し、壁の向こうに無意識に手を伸ばしている。彼女が欲しい、愛おしい、俺の腕の中に彼女を抑えられたらどんなに幸せだろうか。
 あの笑顔を自分のものにできたら――。
 だがそれはできない。俺には特筆すべき能力もなければ経済力もないからだ。だからこそ時間を持て余し、こうやって彼女を観察する癖がついたのだ。
 俺にはこの、一筋の穴でしか彼女と繋がることはできない。
 俺は彼女の扉を開けることはできないのだ。
 だからこそ、ただじっと、ゆっくりと、じれったく、胸を焦がすだけだ。彼女の手を、足を、首を、耳を、鼻を、ほくろをただひたすらに見るだけで満足しなければならない。
 ただ、ひたすらに……。
 俺の一縷(いちる)の望みがあっけなく消えたのは半年後のことだった。彼女は彼氏ができて同棲を始めたのだ。
 その相手を見て殺意を抱いたが、彼の言葉を聞いていると、何だか許している自分がいた。彼は自分と同じ出身で同じ訛りを使っていたからだ。
 彼は素朴で、真面目で、なぜ彼女と付き合うことになったのかわからないほどピュアな男だった。がたいがよく頭を綺麗に丸めているのが一層、純粋に見えた。
 彼は彼女が夜勤で出ている間、部屋の掃除をする。その掃除の仕方は凄く丁寧で何だか俺の心まで洗われていくようだった。
彼の掃除技術は相当なもので、髪の毛一本ですら許さない、といったものだった。
 また彼の包丁さばきを聴いていると、再びお袋のことを思い出した。俺はなぜこんなことをしているのかと泣き出しそうにもなる。
 だが俺はすでに東京の生活に廃れていた。自分に関心を持たれない、それだけで自分の色は落ちていく。心はみるみる洗濯されたジーンズのように色を失っていき、何色にも染めることができないほどぼろぼろになっていった。
 俺はいつの間にか、純度の高い透明人間になっていた。その色は限りなく透明に近い水のように、しかし毒薬のように極端な方向へと変わっていった。
 俺は彼の姿を音だけで想像できるようになっていった。彼とは音で繋がっていける。台所での包丁の音が自分と彼を繋ぐのだ。
 彼が部屋を片付けて寝ながらテレビを見ている姿を見て、俺は自分でも予期せぬ行動に出ていた。俺自身がテレビを見ていると錯覚し感想を呟いていたのだ。
 ……彼は俺の生活の一部となっている。
 いや、違うな。俺は考え直した。彼は、まさに俺の、いや、俺が、彼の分身なのだ。
 彼と彼女の痴態は俺の心に火を点けた。彼らが闇の中でお互いの体をまさぐりあっていると、俺のものは心臓が入れ替わったように大きく高鳴った。彼の声は俺の一部で、俺は彼の一部だ。彼が触っている部分も俺の一部なのだ。
 教えてくれ、俺に彼女を、俺の彼女を、彼女を――。
 
 ある日、俺がいつものように彼女と男の痴態を見ていると、驚愕の事実が俺を襲った。相手の男が違うのだ。別れたのなら話は別だが、今日の朝も彼はいた。
 彼女は二股しているのだ。
 ……許せない。
 俺の心に火がついた。彼の純粋な心をこいつは裏切ったのだ。美しいマニキュアで他の男性を翻弄し、誘惑し、弄んでいるのだ。
 俺の心は彼と同化している。これ以上、彼を苦しめることはできない。俺は彼で、彼は俺だからだ。彼女は彼氏の助けがあって生きている、それ以上何を望むというのだ。これ以上、望むようなら俺は……お前を……。
 気づけば俺は部屋を出て彼女の部屋をノックしていた。インタフォンを3回鳴らした時には自分の格好がいかにみすぼらしいか理解して、俺は無性に部屋に戻りたくなった。外界に触れて俺が俺であることを思い出したが、もう後には引き返せない。
「はーい?」彼女は電気を点けながらドアを開ける。「どうされました?」
「あんた……、どうして他の男と寝ているんだ?」俺はやけになって直接的に彼女を非難した。「あんたにはいい彼氏がいたじゃないか、裏切り行為だとは思わないのか?」
「……何なんですか、あなた」
 彼女は不審な目で俺を見る。
「隣に住んでる者だよ」
「え?」
 彼女は俺の姿を二度見直して驚きを隠せなかったようだ。前に会った時とは全然違うのだろう。
 だが外見などどうでもいい。俺はあの、がたいがいい、きちんと頭を丸めた男と一緒なのだ。彼が素直で、安心に、彼女と一緒に暮らせたらそれでいい。
「どうした?」
 部屋の中から華奢な男が出てきた。トランクスの上にバスタオルのようなものを羽織っている。
「おい、あんた、誰なんだ?」
「隣の……」
 そういいながら、俺は腰を抜かした。
 彼が現れたのだ。俺が知っている彼氏が共同通路からゆっくりと歩いてこちらに近づいてきている。
 ……やった、やったぞ。
 俺は彼が来たことで小踊りしたくなるほど歓喜した。彼がこの現場を見てくれたのだ。それだけで全てが丸く収まる気がして安心する。
 ……さあ、彼女を懲らしめてくれ。
 俺は何もいわずに彼を見た。だが彼はそのまま何もいわずに彼女の部屋を通り過ぎていった。
 ……え? お前はどこに行くんだ?
 きっと彼女の浮気を目撃して頭がついていかないのだろう。
 わかっている、だから俺が、俺と、俺達で、この悪事を暴こうじゃないか。
 しかし彼は俺の心を無視するようにそのまま俺の部屋を越していった。
 ……おい。
 俺は彼を視線だけで追いかけた。
 ……おい、お前、その先は……。
 彼はそのまま俺の隣の部屋をポケットにある鍵で開ける。
 ……おい、お前は……お前は一体誰なんだ。
 彼は当たり前のように部屋の中に吸い込まれていく。
 俺は意味がわからず放心した。なぜ彼が俺の隣の部屋にいるのだ? どうして? 彼の部屋はここじゃないのか。
「すいません、もういいですか?」
 彼女が俺を見ながらいう。
 彼がいた部屋の方に指を向けると、彼女は首を振って眉間に皺を寄せた。
「知らない人ですけど」
 そういって彼女はばたんと扉を閉めた。
 ……おかしい。
 俺は思考を停止させたまま部屋に戻った。どうして彼が俺の隣に住んでいるのだ。なぜ、彼女の部屋ではなく俺の隣に。
 ……おかしい、おかしい、おかしいに決まっている。
 俺は自分の考えが纏まらず震え上がった。秋に入ったばかりなのに、毛布を取り出してそれに包まる。
 ……どうして? どうして彼は?
 俺が理解できずにいると、俺の部屋の扉が鳴った。
 トントン。
 台所のまな板で叩いた包丁のような音が鳴る。俺の体は無意識でお袋がいた実家とリンクする。
 トントン、トントン。
 緩やかな音が俺の体にメロディを与える。恐ろしくなり、震え上がっているのに俺はこの扉を開けなければならない気がしてしまう。
 ……この音は俺を優しくしてくれる。
 俺はお袋に会いたくて扉の覗き穴を眺めた。そこに立っていたのは浮気していた彼氏だった。
 扉を開けると、彼は小さく溜息をついた。
「……困るんですよねー。そういうの」
 俺は意味がわからず彼を見たが、頭を丸めた彼氏ではないとわかると、彼にすがり付いていた。
「ごめんなさい……でも……隣の人が……あなたの家に」俺は泣きながら彼に救いを求めた。「早く警察を呼びましょう、あの人は……ストーカーです。俺よりも……立派なストーカーなんですよ」
「……そうですね」
 彼は退屈そうに携帯電話でメールを打ちながら煙草をふかす。
「早く……そうじゃないと……あなただって……」
 俺の命乞いもむなしく、扉からゆっくりと彼氏が出てきた。彼は綺麗に仕上げた包丁を持っていた。
「はやくぅう……ここから出ないと……」
 扉からゆっくりと彼氏が出てくる。俺の腰は悲鳴を上げてすでに立たなくなっている。
 ……早く逃げなければ殺される。
 俺は自衛隊が匍匐前進するように彼女の扉の方へ逃げようとした。だが華奢な彼氏につかまれて動けない。一体、どうしようというのだ。
 俺を囮に使おうというのか。
「ストーカーっていうのはこいつのこと?」
 華奢な彼氏は後ろにいる坊主の彼を指差していった。
 俺は彼の言葉を聞いて全てを理解した。彼の訛りが、坊主の彼氏と一緒なのだ。俺と兄貴の声が一緒のように。
「あ、ああ……」
 俺は狂いそうになった。すでに狂っているのかもしれないが、さらに俺の頭のねじがぼとぼとと、液体のように崩れ落ちていった。
 この二人は……グルだ。
 俺は確信した。観察していたのは自分ではなく、彼らだったのだ。
「ごめんなさい……許して……許して下さい……」
 俺は懇願するように泣きながら彼らを見た。だが彼らは俺が見えていないように微笑みあっている。
 俺の体は透明人間ではない、と思った。きちんと形がある。
形がないのは彼だった。えたいの知れない黒い影を彼らは持っているのだ。
 俺の心と体は彼らに吸い込まれていった。彼らの底の知れない引力には抗うことはできないと諦めた時、俺は初めて自分が生きていることを実感した。






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