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2016年04月24日23:27

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TRPG論考 「日はまた昇る、人はまた集まる」

最近「ムギャオーの叫び 困ったちゃんのまとめ」を久々に読んでいて諸々思いついたことなど。あまりまとめる気は無く、とりあえず思いつきを取り留めなく書いた記事ですのでご了承くだされ。m(_ _)m

昔々、棋界のプリンスとも言われた真部9段と言う棋士が「将棋論考」というのを著していたのをリスペクトした表題です。

TRPG、一人のGMと複数のPLを想定します。

人生は幸せになるために、そしてゲームは楽しむために行うのが最大目標と位置付けて。

ただし、幸福の形、何を楽しいと感じるかは人それぞれ。世間一般の正解はあるにしても、絶対普遍の正解はないわけで。

GMにはそれこそ神にも等しい権限が与えられているけれど、その権限はPLを楽しませるために。各PLはそれぞれの楽しさを追求するけれど、無制限ではなく、他のPLへの同等の権利を認めた上での「楽しさ表現の自由」というのがあるのかなと。

将棋に比べればTRPGはそもそも所有するリソースは平等ではないし、勝負と言うよりは楽しさに主眼があるものの、GMではなくエネミー(NPC)との間には勝負論があっても違和感はない。

GM=エネミー ではないはずなので。

困ったちゃんGMは自分の権限を究極まで押しすすめると「吟遊」となり、PLの権限を圧政で封じ込める。これは世の独裁者に等しい。理由は簡単で「自分の好きなNPCの一人語りをやりたい」とか、「そもそもマスタリング(アドリブ)能力に自信がないのでPLの自由な行動を封殺したい」という思いの表れっぽいなと。
一方でGMが機能しない場合PLの好き放題、ヒャッハーな無法地帯を許す「無能マスター」だろうか。。

困ったちゃんPLはそりゃGMや他のPLに阿らないで、好き勝手な「俺TUEEEE」が多い。対極にあるのは「地蔵」だろうか。

「吟遊」と「俺TUEEE」が対になり、「無能マスター」と「地蔵」がセットか。

で、いずれにしろ一緒に遊んでいて楽しくないメンツとは遊ばなくなる。

そうなる前には互いへの配慮が必要だし、許容範囲の確認、共通の価値観や好みの確認も重要っぽい。

シリアスとギャグの比率とかガチバトルと無双バトルなどは正解は無くて、それこそ好みの問題だろう。料理の味付けのようなものか。(ハナー個人はシリアスよりはギャグ寄り、無双バトルよりはガチバトルを好むが、それが絶対の正解なわけではない。またシリアスや無双バトルをたしなむ程度の猶予は、わずかに、かろうじて、もしかしたら残存しているはずだ。)

各自の配慮や確認のためには話し合いがきわめて重要である。どこかで誰かが書いていたようにTRPGといる遊戯は「悪意」に極めて弱い。「規定外」の部分がきわめて多い。GMの権限で目立たないが、実はPLにも大量の権限があるからだろうと推察する。

「GMとPLというメタな役割」のほかに「パーティ内での役割」も存在するというメタ構造も特徴だろう。このあたりは将棋や他のゲーム類と一線を画する要素だ。俺TUeeeはしばしばこのパーティ内役割分担をも破壊するのが問題となる。

GMにはシナリオライターの能力、NPCの演技やシーンの演出能力、ルール裁定者としての能力が問われるが、最重要視すべきは「アドリブ調整能力」だと思われる。参加者全員の同意を得て楽しさを得るのが目的だ。シナリオも演技演出もルールもそのための有力な目安であり手段に過ぎないわけで。シナリオ無視だろうが演技演出がヘタッピだろうがルールが無視されようが参加者の楽しささえ得られれば日はまた昇るし、人はまた集まる。

PLはGMほどは多様な能力はいらないが、それでも多少なりと「調整能力」は必要だろう。シナリオを推理する能力や演技演出能力やルール把握能力も確かに重要だが、結局のところGMの時と同じく、参加者全員の同意を得て楽しめるかどうかに集約されるんじゃないかねと。

今回は以上。





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