mixiユーザー(id:4056483)

2016年04月23日21:26

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震災経験


すみません。一度吐き出させて下さい。今回の熊本・大分地震で身内や知人を亡くされた方に深い哀悼の意を表します。多くの方が自宅の損壊、避難所生活や車中泊で苦しい思いをされていると思います。こんな状況にかける言葉は難しいですが、少しずつでも前向きにいきましょう。

最初に揺れた時は仕事中。同僚と顔を見合わせ作業台の下に入ろうかとした所、とりあえず収まる。一部機器のアラーム音は止まったが異常復旧ならず。自宅に電話しても繋がらない。廊下に出たら防火扉が閉まっておりいつもの光景と違う。壁に亀裂もある。組織の長の指示でヘルメットを被り駐車場へ出た。

自宅から電話。ヨメさんの声もかなり震えている。震度7と聞きさすがに驚く。最も被害が多い益城町は自宅より会社に近い。緊張が高まり、次の行動に出れない。仕事も締めが近かったので、終わらせて何度も揺れを感じながら急いで家へ。家族の無事にまずはひと安心。

次の日、セキュリティー関連の仕事だけに、客先の要請で緊急の仕事が連続して入ってくる。いつものペースで進めず終了が深夜に至る。駐車場にトボトボと向かう。どうせ最初以上に大きな揺れは来ないと思っていたが、とんでもない衝撃がやってきた。狭い歩道で家屋が近い。大きな樹木もある。何とか道路の真ん中に出る。危ないと思いつつも動く事が出来ない。周囲の電気も消える。動けるようになったら近隣の民家から人がわらわらと出てきている。家に連絡をする余裕もなく帰路へ。3号線清水バイパスが通行できない状態でUターン。坪井の辺りを通ると両側から落石。前に車がいると後を追えるが先頭に立ってしまった。対向車と落石の間隔をよく見てトロトロと通る。信号や周囲の電気が消えているとハイビーム走行をする車も多く運転しにくい。携帯の地震アラームも加わりかなり憔悴した。

ヨメさんと娘はヨメさんの実家に避難。一人で自宅に戻り、時々揺れる中準備を整え私も後を追う。ヨメさんの実家は鉄筋造りで揺れの感じが弱まる。結局一週間お世話になった。

仕事をしていると気が紛れる面もあるが、とにかく緊急の仕事が多く、状況によりキャンセルになる事案もあり、仕事の締めの伝票処理が訂正訂正で混乱の極みとなる。連日深夜の帰宅。地震の恐怖とヨメさんの実家とはいえ慣れない場所で眠りも浅い。

熊本城の付近を通ると、少し前は花見客で賑わっていた場所に巨大なゴロ石が。手前の大神宮はどんな建物だったか思い出せないほど潰れている。とても現実の風景に思えない。特撮映画のようだ。阿蘇大橋は久しぶりに一週間前に通ったばかり。それが最後となる。テレビに映し出される益城町の倒壊家屋の列、断層が表面化して畑を分断した景色。南阿蘇村学生寮の倒壊、宇土市役所の半壊、緑川PA付近の惨状、その他自分の眼で目撃した光景は一生忘れられないだろう。

本震の日、のろのろ運転の車の窓を叩き、「この先に瓦礫があります」と注意をしてくれた若者が二人いた。避難所でもまず動き出したのは若者と聞く。悲しみに沈まず前進する行動力、これが「若さ」か。頭が下がる。

同僚や知人と合えば「家は大丈夫?」が挨拶になってしまった。一方、今日、ショッピングセンターに行ったら、品物が溢れ賑わいを感じた。段々、他者に思いが向かう環境になってきた。音楽も聴けるようになってきた。ネットでもメッセージ頂いた方に一通り返信したら、落ち着いてきた。何気ない日々も日常なのだが、震災という状況もまた日常なのである。

james carr - everybody needs somebody





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