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2016年04月22日19:12

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お題3『スマートフォン』 タイトル『ロールキャベツ太郎』

「承知しました、お電話ありがとうございます、それでは失礼致します」
 私は頭を下げながら電源ボタンを押した。そう、私の携帯は未だガラケーである。なぜなら多機能の電話を使いこなせないからだ。
 私の場合、電話とメールがメインでインターネットはそこまで利用しない。ラインなどのチャットで既読がつくのも面倒だし、SNSなどの電子コミュニティサイトはお手上げだ。今の所、このシンプルな機能だけで何も困ることがないため、機種変更にまで手が伸びていない。
 そう、私はこの世界から取り残されているガラパゴス携帯の使用者の一人なのだ。
 もちろん利点もあれば不便な点もある。私の会社は印刷関係なので写真などpcでチェックしなければならない。職場の人間は皆、ラインで写真を交換し動きながら作業をしている。私だけ皆とは違う時間軸にいるみたいだ。
「ねえ、この書類のコピーお願いできる?」
「大丈夫です」
 女上司に声を掛けられるが、親指と人差し指を合わせてサインをする。実は彼女は高校時代の部活仲間だ。先輩と後輩の枠はしっかりとしていたが、彼女とは家が近くアパートも近いので、今でも夕食を共にし泊めて貰うこともある。
 コピーを待っている間、先輩に対して美味しいお茶を入れることにした。私もアラサー女の端くれだ、プライドがあるため単純な作業でも妥協はできない。
 コピーとお茶を先輩に渡しに行くと、彼女はこちらを向かずにそのまま口を開いた。
「今日、空いてる? ちょっと付き合ってくれない?」
「はい、いいですよ」
 二つ返事で了承する。もちろんお互いに会話を長引かせてはデメリットしかないからだ。
 この職場は女性が大半を占めている。それゆえにあまり社交性を皆の前で発揮すると、孤立してしまう可能性がある。特定の人物だけと仲良くしてはネタにされ、最終的には人間関係が壊れてしまう。会社の門を潜れば、皆、一人の兵隊にならなければならないのだ。
 訓練を終え、皆宿舎に帰るように通達を受けた後、私は先輩が待っているカフェに向かった。
「今日はね、あなたに会って欲しい人がいるの。時間がないから、早速行きましょう」
 先輩は持ち帰り用のコーヒーを飲みながらいった。
「どうせ、ご飯は用意していないでしょ?一緒に食べながら話を聞くだけでいいわ」
「ええ、いいですよ」
 私は歩きながら頷いたが、正直乗る気はしなかった。どうせまた男の紹介だろう。彼女は彼氏を連れてくるので、私は親しくもない人とマンツーマンで話をしなければならない。そして一番の難関はいつ帰るかということにある。
 私は恋愛に関しては永遠の二等兵だ。常に殉職の可能性がある危険地域に送り込まれ、何度心を蹂躙(じゅうりん)されたか覚えていない。
 だがもちろんメリットがある。晩御飯代が浮くのだ。一人暮らしの私には戦地での配給と変わりはないので、必ず最後まで美味しく頂かなくてはならない。
 店の暖簾を潜ると、味方の単独兵を確認した。先輩の彼氏だ、すでに飲んでいるようで顔を真っ赤にしている。彼はいつもそのままビールを6杯以上も飲み、焼酎へと移行する酒豪だ。彼が潰れた所は未だ見たことがない。
 つまり向かいに今回のターゲットがいるのだ。私はトイレを無意識に探した、今のままでは臨戦態勢に入れず白旗降伏せざるをえない。
「大丈夫、まだ来てないから」
 先輩は私の顔を見ずにいった。やはり彼女とのシンクロ率は100を切ることはない。
 私は無言で防空壕という名のトイレに駆け込んだ、敵襲が来る前に算段をとっておく必要がある。
 顔に迷彩を施し、ターゲットに自分だとばれないように化粧をする。これだけで気が少しだけ落ち着いていく。いつ打たれてもいいように、胸にも防弾チョッキという名の矯正下着も身につけている。これで抜かりはない。
 髪を整えトイレから出ると、背の高い男と目があった。私のタイプだ。眼鏡を掛けており、爽やかな短髪で髭もない。社交性のなさそうな薄い顔立ちがまた安心感と温もりを生んでいる。
 ……彼だったら打ち抜かれたい。
 私の淡い感情を見抜かれたのか、彼は優しく微笑んで、少しだけ頭を下げて男子トイレに入った。
 先輩の席へ戻ると、まだターゲットは来ていなかった。今日はどんな人が来るのだろう。正直、きちんと会話ができる相手なら誰でもいい。
「先に飲んでいいわよ」
 先輩はすでに生ビールを半分ほど空けていた。髪の毛に結んでいたゴムも解いており、長い黒髪が彼女を夜の女へとクラスチェンジさせていた。
「いえ、まだ相手が来てないのに申し訳ないです」
「トイレに行った時、合わなかった?背の高い眼鏡の男と」
 彼氏はグラスを空けたまま、にへら、と笑った。
 ……おいおい、マジかよ。
 私は心の中で溜息をついた。確かに嬉しい気持ちもある。だが仕事終わりのこの格好で凌げるはずがない。銃を持ったスナイパーに対して水鉄砲でどうやって戦えというのだ。私はただ相手の標的にされるだけでジ・エンドだ。
 ……終わった。
 後は防空壕に何度か入り直し、この行方を第三者の視点で見守るしかない。
「どうしたの? あんたのタイプじゃなかった?」
「いえ、タイプ過ぎて逆に気持ち悪いです」
 確かに理想の相手が目の前に現れたら嬉しい。だが絵に描いたような王子が目の前に現れたら、対応のしようがないのだ。アラブの石油王と話ができる機会が在っても、恋人にしたいと思えないのと一緒だ。
 私の心は監獄の中にある捕虜のものと同じだった。
 なぜ私はここにいるのだろう、そうだ、補給をするためにこの店に入ったのだ、私の給料では中々一人暮らしは厳しい、全て貧困がいけないのだ、いっそ別の仕事に転職した方が……。
「大丈夫、しっかりしなさい」先輩は私の肩を叩く。「あんたに一つ、いいことを教えてあげる。彼、童貞なんですって」
 ……え、何だって?
 私は心の中で嬉しい悲鳴を上げた。それはまさに私が唯一の希望を持てる楽園を彼女は口で示したのだ。
「ほ、本当ですか?」
 私の言葉が上擦る。
「ねえ、そうなんでしょ?」
「何が?」彼氏は耳を傾けてきた。客が入り乱れ、一つのテーブルで会話をするのも難しくなってきた。
「今日来た男、ド、ウ、テ、イなんでしょ?」
 先輩が大声でそういった後、彼がトイレから出てきた。私は彼としっかりと目があった。彼の目はふっと消えいりそうな感じで虚ろになっていた。
 一時の沈黙の後、ターゲットは先輩の彼氏の横に座った。やはり彼が今回の標的になるようだ。しかしすでに彼の心は打ち抜かれているように見えた。すでに彼のライフは0だ。
「まあ、乾杯する前にさ、いっておきたいことがある」彼氏がターゲットの飲み物を頼み、グラスを持ち替えた。
 ……なんだろう、彼のフォローだろうか。
 彼が童貞だ、ということは周知の事実だ。これ以上、覆ることはない。いくら彼氏がいいようにいっても童貞であることには変わりはないのだ。
 彼は何を試みようとしているのだろうか。
「こっちも処女だから、かんぱーい」
 四つのグラスが交わる。もちろん私のグラスは自ら動かさずに三人の猛攻撃を食らう形となった。これこそ可愛がりという名の暴力だろう。
 しかしこれに耐えなければならない。私の胃袋がここで帰してくれるわけがない。
 次々と料理が運ばれてくる。エサというべきか食料というべきか、名などどうだっていい。私にはエネルギーが必要なのだ。まずは胃袋を整えるために野菜から。
「お前はどういうのがタイプなんだ、向こうのお嬢さんはお前みたいなモヤシ眼鏡が好きなんだってよ」
 私の手が急ブレーキを掛け止まる。さすがにこの状況でもやしを食べるわけにはいかない。
「はあ、そうなんですか……」
 彼は相槌を打たずに黙々とお通しのキャベツを頬張っていく。まるでせんべいを巻かれた鹿のようだ。その姿に私の心はときめいた。
「はあ、じゃなくてお前のタイプをいえよ。どんなのがいいんだ、なあ? キャベツばっかり食わずに話せよ」
 彼氏はがっつりとターゲットにもたれかかり催促をする。飲酒量はすでに規定を越しているように見える。
「こいつな、本当にキャベツ好きなんだよ。飲みに来ても、タレとキャベツだけで食ってんの。お前はキャベツ太郎かっつーの」
「まあまあ、そんなにイジメないの。まだ来たばっかりでしょ」
 火付け役になった先輩が彼氏を宥める。彼女が童貞などと叫ばなければ、今回の会合は違ったものになっていただろう。
 しかし賽は投げられたのだ。過去を振り返ることはできない。
「あ? 俺がこいつを連れてきたんだ、何の文句があるんだよ」
 彼氏の敵意が彼女に向かう。これはまずい、前回の教訓が蘇る。このままだと二人はまた店の中で銃撃戦を繰り返してしまう可能性がある。それだけは避けなければならない。
 先輩の袖を引っ張る。彼女の眉間にはすでに皺が寄っていた。彼女もまた短気で有名な方だ。手にしたシガレットケースが鈍く光る。
「文句はないわよ、ただ可哀想でしょう? まだ名前も聞いていないのに」
 私の援護が聞いたのか彼女はプッツンすることもなく冷静にいった。
「そうだな、一旦落ち着くか」
 彼氏は腰を下ろし、再びぐいっとグラスを傾けた。何とか冷戦状態に持ち込むことができたようだ。後は私が適当な平和条約を結べば、この場は一旦振り出しに戻すことができる。
 何かいい手はないだろうか、と思った時、私の目に止まったのはターゲットのスマートフォンだった。
「すいません、これってやっぱり便利なんですか?」
 私は下手に出てターゲットに反応を伺う。私がガラケーを持っている利点の一つ、スマートフォンとは何かを聞くことができるのだ。
「ああ、これですか……?」
 彼は抑揚のない声でスマートフォンを手に取りくるりと回す。そのさりげない仕草に思わず、私も回して欲しい、という謎の欲求が迫る。
「便利ですよ……、写真も取れるし……、音楽も聴けるし……」
 彼の発言に頭を傾けてしまう。私のガラケーだって、写真も取れるし音楽も聴けるのだが……。
「そうなんですね。他にどんな機能があるんです?」
 皆で会話に参加できるよう、敢えて大きい声でいう。ここで二人を野放しにしておくと、再び火花が散りかねない。
「えっと……、後はどんな機能があるんですかね……?」ターゲットが彼氏に話を振る。
「そりゃまあケータイだし、電話ができるだろ。後はラインとかじゃないのか」
 やっと出てきたキーワードに心の中で歓喜する。この言葉さえあれば、後は話を盛り上げることができる。
「ラインって、あの緑色の無料のラインですか?」
 私は自分が持てる精一杯の猫撫で声でいった。
 実は知られていないのだが、ガラケーでもラインはできる。電話機能が使えないだけだ。しかしここで話を振らなければ再び戦火が舞い落ちてしまう。
 ターゲットが話そうとした瞬間、彼氏が口を挟んだ。
「そうそう、あれがいいんだわ。ちょっと知り合った子にでも番号を教えるのは躊躇うけど、ラインならいっかってなるんだよな」
「……」
 もうお分かりだろう。私が締結しようとした条約など無意味だ。後は熱と熱のぶつかり合いが起こるだけ、私に止める術はない。
 私は躊躇なく目の前にあった皿に盛られた料理を食べていった。配給はもうすぐ終わりになる。どうせなら最後まで足掻いた方がいい。
 ターゲットを見ると、彼も私の気持ちを理解したのか、一言もしゃべることなく皿に載ってある料理を平らげていった。
 私達はお互いに料理を食べ尽くし、彼らの反応を待った。
 ……もうここはダメだな、血の雨が降る。
 そう予感した私は防空壕へと逃げ込もうとした。するとターゲットがすっと私の袖を引っ張って店の外へと案内した。
 ……どうしたのだろう?
 私は不思議に思って彼の動向を眺めた。彼は私の視線に気づいたのか、もう一度袖を引っ張っていく。
 ……なるほど、このままトンズラしようというのか。
 戦地を省みず、ただひたすらに生を全うする。それも一つの選択だ。戦略的撤退という言葉が頭に浮かぶ。
「もしよかったらなんですけど……、別の所に行かないですか……?」
 彼はそういって私の合図を待った。
 あのまま二人を置いて逃避行、それもありだなと思った。何よりこの男の背中なら私の命を預けられる。彼は童貞だからだ。
「ええ、いいですよ」
 私は自分の命の次に大切な鞄を掴んで彼と旅に出る決心をした。後は成り行きに任せてみよう。彼がヘタレであることを祈るしかない。
「それでは、店を探してみますね……」
 そういって彼はスマートフォンを取り出した。巷で有名なフリック入力を用いて彼は店を探していく。その動きに目を奪われる。
 …彼は本当に童貞なのだろうか?
 私は彼の動きを見て疑問を抱いた。当たり前のように女性を口説き、店の外に連れ出す。確かに緊急避難警報を聞けば、誰だって外に出るだろう。だがそれに対して見ず知らずの女を誘えるのだろうか。
 彼の動向を再び確認する。彼はこちらの視線に気づいていないのか、眠そうな目でスマートフォンを扱っていく。
 すると、いきなり彼の近くから電話が鳴り始めた。まさか先輩の彼氏からなのか?
「お世話になっています。今ですか、もちろん大丈夫ですよ」
 彼は笑顔になり会話を続ける。その変貌振りにも驚いたが、何より驚いたのは両手で二つの携帯を扱っていることだ。左手にあるスマートフォンの動きが止まっていない。
 一体、どうなっているのだ?
「はい、承知しました。お電話ありがとうございます、失礼します」
 彼は頭を下げることなく右手にある電話を切った。顔の表情も元に戻っており目もまどろんでいる、なのに声だけは完璧な対応だった。
 右手の携帯はなんとガラケーだった。そのままベルトにあるポケットにするっと入っていく。ガンマンが銃を直すように自然に携帯が装着されていく。
「あの……、どうかされました……?」
 月夜に照らされた彼は殺し屋のように冷えた目で私を見ていた。彼はキャベツ太郎なんかではない、と私は確信した。
 携帯の二刀流を平然と用いている彼の姿を見て、私はある言葉を思い出した。
 草食系男子でも肉食系男子でもない、鷹が己の爪を隠すように彼は己の本性をキャベツで隠していたのだ。
「お店の件なんですけど……、なんとか決まりました……」
 そういって彼は左のポケットにすっとスマートフォンを直した。もちろん顔は前を向いている。彼は手の感覚だけでそれを収納したのだ。
 ……もう、ダメだ。
 私はごくりと唾を飲んだ。今夜は私の貞操を守れそうにない。
 なぜなら彼は――。
 ロールキャベツ太郎系男子、なのだから――。




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