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2016年04月21日21:02

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お題2『雨』  タイトル『雨とプールとポカリスエット』

「あ、雨だ」
 ぽつり、ぽつりとガラス越しに見える雨をぼんやりと眺めていた。この時期の雨はアスファルトを濡らし、なんともいいようのない夏の匂いを放ち始める。僕はこの匂いが好きだ。
 プールの回数券を鏡張りの受付に渡し、スポーツバックを頭にかざす。これは雨よけだ。すぐそこに自分の車があるのだが、たった今乾かしたばかりで濡れるのはさすがに気が引ける。
 車に辿り着き、再び雨を拭う。車の中でさっき買ったばかりのロイヤルブルーのポカリスエットを口に含む。泳いだ後の水分補給は格別だ。最近カロリーオフの水色のパッケージが数を増やしてきたのだが、僕にとっては邪道である。この快感を得るために今日も僕は泳いできた。
 大学に入ってから、3ヶ月が過ぎようとしている。息の合う友人も見つけた。今日の夜もみんなで楽しくご飯を作る予定だ。なのに、心の中に空いた穴はどうして埋まらないのだろう。
 大学に入るために必死に勉強をした。僕の得意なのは理科の生物だった。暗記をすればある程度は点数が取れるが、それは85点までだ。それ以降の点数を上げるためには、知識ではなく問題を読む解く力が必要だった。
 僕はがむしゃらに問題を解いた。生物の勉強はただのテスト対策だけでなく、自分の趣味へと変化していった。頭の中で得た知識が二次元から三次元へと変わる頃には、僕はテストで90点以下を取ることはなかった。
 大学に入り、さらなる知識の探求へと向かうと思われたが、そうはならなかった。専門性が高すぎて、自分が何のために勉強をしているのかがわからなくなっていったのだ。
 僕の専攻は農学部で米を扱っていた。コシヒカリなど有名な栽培稲の起源を見つけることが課題だった。その研究は50年経った今でも見つけることができずに、さらに後20年は必要だとされていた。
 僕は来る日も来る日も、一粒の米の幅、高さ、ふ毛を測った。一日8時間以上顕微鏡を見続け、1000個以上の米を測り続けた。
 それでも研究は進まなかった。やり直しを命じられることもしばしばあり、自分が何のためにここにいるのかがわからなくなっていた。
 次の日も、僕は時間を見つけてプールに泳ぎに行った。ここのプールは50m幅で広く他人に気を使わないでいい。
 泳いでいる時は何も考えなくてよかった。ただひたすらに腕を回し、足でバランスをとりながら、まっすぐに進めばよかった。この時ばかりは大学での講義も、研究も忘れることができた。
 プールから上がると再び雨が降っていた。僕は車には戻らずロビーで休憩することにした。車に戻れば、再び退屈な毎日に戻ってしまうからだ。
 休憩室でいつものポカリを買ってぼんやりと休んでいると、同じくポカリを持っている人がいた。彼女が飲んでいるのはカロリーオフの水色だった。
 気まずい空気が流れた。一人でいれば、気を使わずゆっくりと休めるのだが、他の人がいれば自然と頭を働かせてしまう。
 自然と距離を取り彼女を眺める。彼女は黒のTシャツに八分袖の白パンツ、水色のパンプスを履いていた。髪は長く茶色に染まっており、若干パーマが掛かっている。プール上がりだというのにすでに口紅がついている。
「ねえ、このポカリとそのポカリってどう違うの?」
 彼女は大きな二重の瞳を輝かせながらいった。
「え? どうなんですかね? わからないです」
 僕は彼女を見ずにいった。話し掛けられるとは思っておらず、否定の言葉しか出なかった。
「なんとなくこっちを買ってみたんだけど、どう違うのかなって思って」
「色が違うんじゃないですかね」
 僕は思ったことを口にした。中身が違うことを知っていたが、先に知らないといってしまったのだ。もう後には引けない。
「そりゃそうだけど……」彼女はそういう冗談を求めている訳ではなかった。「ねえ、ちょっと君のを見せて」
 僕は何もいわずに手に持っていたものを渡した。彼女は礼もいわずそのまま見比べている。
「わかった」彼女は大きく頷いた。「青いのは大塚製薬で、水色のはAEONが作ったのよ」
 ……そんな訳ないだろう。
 僕は心の中で溜息をついた。確かにイオンウォーターと書いているが、きちんとどちらともに大塚製薬と書いてある。
 だがここで反対する方が面倒だ。僕は無言で首を縦に振った。
「なるほどね。でもこれだけパッケージを似せたら怒られるんじゃないかしら」
 怒られるも何も同じ会社なのだから、何の問題もない。
 これ以上、彼女に関わるのは面倒だ。僕の脳味噌はそういっていた。
「すいません、そろそろ帰らないといけないので……」
 逃げるようにその場を立ち去ろうとすると、彼女はペットボトルを投げてきた。
「あ……」
 僕の手に渡されたのは彼女の水色のペットボトルだった。きっと彼女は青色の方を投げたかったのだろう。
「急いでるんでしょ、そっち上げるから」
 彼女はそういって早くいけ、と手を振っている。これ以上、戻って訳を話しても面倒だ。僕は頭を下げ、車に乗り込んだ。
 車に乗り込む時、結局僕は水浸しになった。スポーツバックで頭を隠すのを忘れたからだ。だがそれでもいいと思った。
 僕は車を動かし、信号待ちの時に頂いた水色のポカリを口に含んだ。
 再び信号待ちで鏡を見ると、自分の唇にうっすらと色がついていた。

 それから僕は雨が降る時間帯に泳ぎに行くようになった。雨の中なら、ロビーで休憩していても不自然ではないからだ。彼女ともう一度だけ話がしたい、そのために僕は泳ぐ時間を延ばして、彼女を見つけるために泳いでいく。
 50mプールの幅を一往復すれば、100mだ。10往復すれば1km。だいたい一時間でゆっくり泳げば2kmで、40回ターンをすればいい。
 この一時間が僕の日課になっていった。
 僕は泳ぎながら彼女のことだけではなく、栽培稲のことを考えていた。2km泳いだからといって何も進まない、米粒一つを測った方が研究は一歩前に進むのだ。なのにどうして、この無意味な時間がこんなにも楽しいのだろう。
 教授の顔が不意に浮かんだ。彼はすでに還暦を迎えており、自分の一生の時間を使っても研究成果は得られないのだ。それなのに、彼は田んぼで野生の稲をきちんと育て上げ、きっちりと一粒ずつ測っていた。
 きっと理由など存在しないのだろう。彼にとってそれが生きがいなのだ。結果よりも過程を楽しんでいる。それが羨ましくもあり、今の自分とシンクロしていくようだった。
 彼女を待つ時間と、自分の泳いでいる時間が交差していく。一度は偶然だったとしても、次は必然にしてみせる。
 泳ぎは次第にクロールから背泳ぎに、最後にはバタフライへと変わっていった。泳ぐ楽しさを覚えてしまったら、もう止まれない。バタフライが自由にできるようになれば彼女へのアピールにもなる。僕は夢中で泳ぎ続けた。
 泳ぎ終わると、僕は水色のポカリを買って喉を潤した。彼女に会いたいという願掛けも入っている。
 その思いが通じたのか、いきなり彼女が目に入った。前と変わらず唇には色がついていた。
「お、久しぶり」
 彼女は普通に愛想よく笑った。その笑顔にグッと心が脈打つ。
「今日もそっち飲んでるんだ」
 彼女はロイヤルブルーのポカリを買ってぐっと一気に流し込んだ。
 ……今日も?
 いつ彼女に見られたのだろうか。自慢じゃないが、自動販売機の前に立つ時は必ず確認した。誰の目にも止まっていないはずだし、彼女は見掛けなかった。
「……やっぱりさ、私のがよかったの?」
 彼女は小声で誘惑するような瞳でこっちを見る。
「そんなことないですよ、今日はたまたまこっちを買ったんです」
「ふーん、たまたまねぇ」
 僕の一言は彼女の何気ない一言に打ち砕かれる。
 ……どうしてばれている?
 彼女は僕がこっちを買うようになったのを知っているのだ。
 プールで泳いでいる時も必ず確認したし、車に乗り込んだ後も彼女がいないかチェックした。それなのにどうして彼女は僕の動きを知っているのだろう。
 僕が彼女を真剣に見つめると、彼女は黙って右手の親指を後ろへ向けた。それは鏡張りの受付だった。
「こっちからじゃ見えないけど、中からだと丸見えだから」
 全身の毛が逆立った。ということはまさか……。
「悪いね、君みたいなピュアな少年を誘惑しちゃって。そんなに美味しかったの? 私のポカリ」
 何もいうことができない、事実だからだ。僕は顔を真っ赤にしたまま、頷いた。
「そっか。素直だね」
 彼女はそういって機嫌よく頷いた。
「じゃあさ、また交換してみる? 本当はこっちの方が好きなんでしょ?」








続編→お題13『月』 タイトル『月とパスタとポカリスエット』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1952411578&owner_id=64521149
月のようにミステリアスな彼女に翻弄される大学生の話です。






タイトルへ→http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1952136676&owner_id=64521149



同じお題で『別の作者』が作った話へのリンクをこちらに載せておきます。
よければ読んで見て下さい。


http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1952348397&owner_id=64521149

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