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2016年03月17日22:59

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ジョルジョ・モランディ---終わりなき変奏」展

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先週、上京した時、東京ステーションギャラリーで催されている
「ジョルジョ・モランディ----終わりなき変奏」展へ行ってきました。

1989年、イタリア外遊中にミラノの美術館で彼の作品に接し、以来、ファンになりました。
今回の展覧会、わが国では3度めで17年ぶりということになるそうです。
モランディが描く主要なものが静物画です。

淡いアースカラーの色合いの中にあって、
研ぎ澄まされた構図とバランス感覚、潔いシンプルさ、時間が止まったような静謐感、
一目でそれがモランディの作品であることが分かります。
ブラームスの音楽を「簡潔、されでも豊かである。」とシェーンベルクは評しましたが、
その言葉はモランディの絵画にも当てはまりそうです。

サブタイトルの「終わりなき変奏」というのは
彼の絵画に取り組む姿を表しているような気がしました。
瓶、過敏、箱、水差しなど、日常的なものたちを並べて繰り返し描きました。
構図、色調を変化させながら延々と…。

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1951年に描かれた上の2つの静物画。
上は、瓶が4本、水差し、容器
下は、瓶が5本、水差し、容器。

私は上の絵が最初、下の絵が後に描かれたのではないかと想像しました。
その理由は、下の絵画の方が構成要素が瓶1本多いのに、
図面から受ける簡潔性は下の方が高いからです。

下の静物画は、
もっとも複雑な形をしている水差しを隠すように瓶が置かれています。
そして瓶の数が1本増えているにもかかわらず、
対象物たちの鉛直線を一致させることで、
全体的にシンプルな構図になっていると思われます。
(上は縦ラインが8本、下は7本が目に入ります。)

この2つの絵画を見ながら、
モランディが追い求めていたのは、器そのものではなく、
器の「存在」を追い求めていたように感じます。

モノが増えているのに、
その絵がシンプルになっているというのは
ある意味では超現実とも、哲学的とも言えそうです。

下の絵画は、静物画というジャンルをはじめて描いたと言われる
カラバッジョの「果実籠」です。
この絵画では、果実そのもの。つまり実体に執心して描かれていると思います。
モランディとは180度、モノの見方がちがうように思われます。

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