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2016年03月03日00:45

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『春蘭と秋菊の競艶』第3話

『春蘭と秋菊の競艶』第3話

 生まれて初めての全身エステを味わった双子たちは、バスタオル代わりのキトンにくるまれて、化粧室(トイレの意味ではなく、本当に化粧をするための部屋)に運び込まれた。
 壁に備え付けられた鏡台の前に二人が立たされると、鏡の中には呆然として目の焦点がうつろになった女の顔が映っていた。男の時よりは眉も薄く、線も細く、小さな顔をした、自分に良く似た、しかし本来の自分のものとは異なる顔の女が鏡の中にいる。サガもカノンも、それが「自分」の姿だとは、どうしても実感がわかない。
「…カノン、私は今日一日分の忍耐と気力を先程で使い果たした気がするぞ…」
「おれもだ…。あれを続けてる女ってすげー…」
 呟いた二人が鏡の前で立ちすくんでいる間にも、ニンフたちは二人の周りでてきぱきと立ち働き、体と髪をふいて水気をぬぐっていく。
「では下着はこちらになります」
 カリロエが指示すると、手に下着を持ったニンフたちがずらっと並んだ。
「サガ様にはこちらの白い下着を、カノン様にはこの黒い下着をつけていただきます」
 アケローオスが今日のために用意したという下着は、どちらも薄く透けるレース製だった。
 サガのために用意されたブラジャーは、胸の中心に白いリボンがついていて、真珠が三つ垂れ下がっている。レースの透け具合は乳輪がうっすらと見えるほどだ。東洋の花やダリアをモチーフにした刺繍のあるガーターベルトとパンティーもやはり透け透けで、剃られていなければ陰毛が見えただろう。その上に白いベビードールを着る。やはり胸元は透けるレース製で、胸から下も肌が見えるレース地と薄い布地が縦向きに交互に連なっている。
 カノンのブラジャーはサガほど透け透けではなかったが、黒いレース地に四種類の金色の糸でオリエンタルな植物紋様が施されていた。ガーターベルトとパンティーも同じモチーフで、こちらはブラジャーよりはるかに透け度合いが高かった。ベビードールも黒で、胸から両肩、首周りを透けるレース地が覆い、その下は薄いサテン製だ。胸の中央には可愛らしく真紅のリボンがついている。
「…これもアケローオス様が買ってこられたのですか?」
「はい、左様です」
「…またかよ。どういう顔で女性用の下着専門店に入ったんだよ、あいつ…」
「お二方とも、とってもお似合いですわぁ〜」
 ニンフたちはどこまでも楽しく明るい口調である。父の愛人(それも元は男)を着飾らせるという作業をしているにも関わらず、彼女たちは実に屈託なく、ノリノリだった。この底抜けの明るさ、陰のなさこそが、ニンフたちの特質なのかもしれない。
「前も思ったのだけれど…どうしてサイズがぴったりなんだろう…?」
「あら、だってお二人をその体に変えられたのはお父様ですもの」
「体型くらい、お分かりですわ」
「……」
 スリーサイズをアケローオスにばっちり把握されているのか、と思うと、双子は何とも言えない微妙な気分になった。
「ご衣装はこちらでございます。私どもで仕立てさせていただきました」
 カリロエが言うと、ニンフたちがイブニングドレスを運んできた。
 アヘロオス河のニンフたちがサガのために仕立てたというドレスは、淡いカナリアイエローのシフォン生地で出来ていた。デコルテから肩、背中の半分ほどは花をあしらったレースで覆われて、ラインストーンの飾りがついている。胸の部分はシフォン生地が横向きに乳房を包んでおり、その下は切り返しになって生地が縦向きにひだを作って足元まで降りていた。スカートの形はAラインで、全体に軽やかで可憐な感じがする。ノースリーブなため、ドレスと同じカナリア色の、肘の上まで覆うタイプの手袋をつける。
 カノンのために仕立てられたドレスは、ロイヤルブルーのベルベット生地で作られていた。体の線にぴったりと合うようにして上半身を包み、マーメイドラインのスカートが足元まで覆っている。袖は長袖で、右腕は肩まで、左腕は上腕までをベルベットの生地で包んでいる。背中と左肩、デコルテはむき出しかと思いきや、その部分には肌色の生地がついていた。胸の上から肩周り、背中の上側を、雪の結晶を思わせるラインストーンがキラキラと飾っている。サガに比べ艶やかで大人びた印象を与えるドレスだ。
「…自分の愛人のドレスを娘たちに作らせるとか…。何考えてんだよ、あいつ…。とんでもねぇ父親だな…」
 ドレスを着せられながら思わずカノンがぼやくと、ニンフたちは、
「あら、そんなことございません」
 と答えた。
「とっても楽しかったですわよ、このドレスを作るの」
「お二方ともお美しくていらっしゃるから、腕の振るい甲斐がありましたわ〜」
「それに神々のご衣装を整えるのは、私どもニンフの大切なお役目ですもの」
「お父様のご衣装も、私どもで仕立てましたのよ」
「いつものキトンやヒマティオンも、全て私たちの手織りですわ」
 ニンフたちはさざめくようにして笑いながら双子たちに語り掛けた。
 古代ギリシアでは、衣類を織って作るのは、一家の主婦の大切な「手の仕事」だった。アテナは織物の女神でもある。ニンフたちもその伝統を忠実に受け継いでいるのだろう。一枚布を織りあげて体に巻き付けるキトンやヒマティオンを作るだけではなく、立体的な裁断や縫製が要求される現代的なドレスやスーツまで作ってしまうのだから、なかなかに新規の技術の習得に熱心であったと見える。思えば、サガとカノンが子供時代に着ていた衣服も、全てキルケ自身か彼女に仕えるニンフたちの手製であった。
「さ、座ってくださいませ。お化粧をいたしますわ」
 ニンフたちが椅子を持ってくる。二人が腰を下ろすと、ニンフたちはまず二人の髪を整え始めた。二人ともアップにし、サガは毛先が肩に垂れるように、カノンは逆に上にしっかりとまとめ上げる。
 それからニンフたちは彼らの顔の肌を化粧水と乳液で整え、下地となるクリームを塗り、明るいオークルのファンデーションを伸ばした。
「サガ様の口紅の色はピンクベージュがいいわね。カノン様は…ドレスの色が濃いから、負けない色が良いわ。ワインレッド…いえ、ボルドーで。唇を厚めに作ってちょうだい」
 カリロエが中心になって指示を出していく。
「アイシャドーはどうします?」
「カノン様には紫でお願い。ネイルもラベンダーで塗りましょう」
「サガ様はブラウン系にしますか?」
「いえ、グリーンにしましょう。その方がアクセサリーの色と合うわ。ネイルの色はピンクにしてね」
「チークはどの色にします?」
「サガ様にはオレンジを、カノン様にはローズを。マスカラはお二人ともネイビーで」
 指示に従い、ニンフたちが双子にかしずいて化粧を施していく。足と指の爪にも指示通りに色を塗り、様々なデコレーションを施した。
「さあ、出来ましたわ」
「とっても素敵ですわ!お二方とも」
 化粧を終えると、きゃーっとニンフたちが歓声を上げた。サガとカノンが向き合う鏡の中には、清楚で優婉な、そして美麗で妖艶な、それぞれタイプの異なる美女二人の姿が映っていた。
「サガ…」
「カノン…」
 真っ直ぐに鏡を見つめたまま、二人が呟き合う。あくまで男としてのジェンダー意識を持つ二人にとっては、惨めな気分になるには十分な女装姿だった。
「…おれ、泣いていいかな…?」
「私もだ…泣きたい…」
 ううっと二人の瞳が潤むが、
「泣いてはいけません、お二人とも!」
「せっかくの化粧が落ちてしまいます〜」
 と、ニンフたちに言われ、一連の作業をもう一度され直されるくらいならと、とりあえず二人は何とか涙をひっこめたのだった。
「香水はどれにいたしましょう」
 ニンフが盆の上に香水瓶を並べて持ってきた。自家製かと思われるシンプルで透明なガラス瓶に入ったものもあったし、地上で入手したと思われるブランドの品もある。
「お好きな香りはございますか?」
 カリロエが問うてくれたが、香水のことなどさっぱり分からなかった双子は、彼女に任せることにした。カリロエはサガには「サンタ・マリア・ノヴェッラ」のオーデコロンを、カノンにはディオールの「プアゾン」を選んでつけさせた。
 最後にハイヒールの靴に足を通し、双子はドレスアップを完了したのだった。

 身支度を整えた双子はアケローオスの私室に案内された。アケローオス自身も着替えを終え、黒い三つ揃いのスーツに身を包んでいた。シャツは白で、胸のポケットチーフも白だ。ネクタイはブラックウォッチの格子柄で、色遣いを抑えた衣装は女性の鮮やかなドレスを際立たせるためのものだった。
 双子たちが部屋に入って来ると、館の主はわずかに目を見開いて「ほぅ」と感嘆の息をついた。
「良く似合ってる、二人とも」
「靴のヒールがきついです…。足をくじきそう…」
「まったく…おれたちにこんなドレスを着せたんだから、あんたもタキシードくらい着ろよ」
「はは…さすがにそれでは大仰すぎる」
 ふてたように文句を言うカノンに笑ったアケローオスは、机の上に置いてあった平たくて大きな箱を開けた。
「最後にこれをお前たちに…」
 箱の中に入っていたのは、三十カラットはあるかという大きな宝石の周囲を、三連のチェーンが流水のようなモチーフでとり囲んでいる首飾りだった。同じデザインのものが二つ用意され、中心となる石とチェーンの色が異なっている。
 アケローオスは、サガにはエメラルドに金のチェーンの首飾りを、カノンにはサファイアにプラチナのチェーンの首飾りを、それぞれ首にかけた。
「ほら、これでドレスがぐっと引き締まる」
「大きな石…」
 あまり宝石には興味のないサガだが、それでも鏡に映った首飾りの見事さにはため息が漏れた。
「ヘファイストスの工房の作だ」
「あんた…、今日一日でいくら使ったんだよ。何気に金持ちだよな?なんでそんな金があるわけ?」
「ドレスは娘たちの手製だし、首飾りは物々交換みたいなものだからそんなに金はかかってない。地上で使う現金は、天界で採れた宝石や貴金属を換金している。あとはおれの荘園の農産物とかな。…コートを」
 アケローオスが指示を出すと、ニンフがサガにはレッドフォックスの、カノンにはシルバーフォックスのファーコートを着せた。アケローオス自身はグレーのチェスターフィールドコートに袖を通す。
「さあ、出かけよう」
 留守を任されたカリロエやニンフたちが一礼して三人を見送った。アケローオスにエスコートされ、双子たちは異空間を通って地上へと出かけていった。

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