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2016年02月20日22:34

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ウルトラの父の一人

昨日の金曜日、日経新聞朝刊の文化欄に飯島敏宏さんが随想を寄稿していた。

といっても、誰のことやらの方が多いと思うけど。

TBSの演出家にして脚本家にしてプロデューサーをやってきた人だ。

その演出作品は多岐に渡っている。

例えば、「泣いてたまるか」とか「金曜日の妻たちへ」とか。

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ねっ、この二作品を挙げただけでも、ほんとに多岐に渡ってるのがわかるでしょう。

ご本人は「泣いてたまるか」や2011年の映画「ホームカミング」のような人情ものが自分の本領と書いてたけど。

日経に掲載された随想の主題は人情ものとは別の趣きのジャンルだった。

なにしろタイトルがこれだったんだから。

「ウルトラマン誕生大作戦」


飯島さんはね、第一回を始めとする何本ものウルトラQの脚本を書いたほか、別の回では演出も担当したんだ。

さらにウルトラマンも第2回目以降何本も脚本や演出を手掛けたというウルトラの父の一人なんだよ。


そういう人の随想なんでさ、そりゃやっぱり面白い。

で、僕は昭和の特撮モノの師匠であるへろへろさんにメールを打った。

「今日の日経文化欄に飯島敏宏氏の随想が掲載されてる。」

そしたら、へろへろさんから返信が来た。

「自分も読んだ。面白かった。当時の人がだんだん亡くなっていくのが残念。」

なにしろ、飯島さんは83歳。

円谷英二、その息子の円谷一、金城哲夫、実相寺昭雄といった随想に登場した面々はいずれも鬼籍に入ってしまっている。

で、飯島さんはこう語るわけだ。

ウルトラマンが生まれて今年で半世紀。シリーズ草創期を知る仲間もだいぶ減った今、それを語り継ぐのも自分の役目かと思う。


ということで、その随想で語られたエピソードをいくつか紹介すると。

時代劇を撮っていた飯島さんに突然ウルトラQの脚本の依頼が来る。

円谷プロは最初はSF色の強いドラマにする予定だったんだけど、共同制作の相手方のTBSはゴジラの円谷英二と組むならぜひ怪獣ものにしたいと考えた。

しかし、突然の変更で脚本家がいない。 で、お鉢が回ってきたんだそうだ。

飯島さんは監督業のかたわらで脚本も書いていたから。

脚本家のペンネームは千束北男。 

やけに安易なんだけど、その頃北千住に住んでたからなんだって。

こうして、ウルトラQの第一作「ゴメスを倒せ!」のシナリオ作成着手の運びになった。

監督はツブちゃんこと円谷一。 「どんな怪獣にしますか」と聞いても「強い奴」といった答えしか返ってこない。 しかたがないので、アリがゾウを倒すイメージを考えた。

巨大な怪獣ゴメスに挑む小さな鳥リトラ。 ツブちゃんは「おやじから撮影が大変だから鳥はやめてくれと言われてるんだけどなあ」とこぼしたそうだ。


こうして出来上がった伝説の第一回「ゴメスを倒せ!」は素晴らしかった。

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当時の僕は7才のハナタレ小僧。 もう、感激もんだった。

なにしろ、その2年前に映画館で見た「モスラ対ゴジラ」で生まれて初めて本格怪獣を目の当たりにして大興奮したんだけど。

その次に公開された「三大怪獣地球最大の決戦」は親が映画館に連れてってくれなくてさあ。

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その頃は怪獣という魅惑的な存在は映画館でしか見れないものだったんだよ。

子供はテレビまんが(当時はアニメという言葉はなかった)でロボットでも見てろでねえ。

それがテレビで実写の怪獣を見れる!

ということで、1966年1月2日の日曜日の夜7時。

僕は正座せんばかりでテレビを見つめた。

そしたら、三文字の連呼、タケダ、タケダ、タケダ〜♪が鳴り響いて、次に後世に語り伝えられることになるあの曰く言い難い映像が始まったわけだ。



https://www.youtube.com/watch?v=wJvoAnhSrDQ


当時、テレビまんがのリーダーだった手塚治虫は自分のW3の裏番組にあの円谷の作品が当てられると聞いて、やばいと危機感を募らせたそうだ。

で、放映当日、帰宅したら自分の息子がウルトラQに夢中になっている姿を見て、予感が的中したことを知る。

で、ほどなくしてW3は放送時間帯を30分繰り下げることになった。

僕自身、W3も好きだったけど、ウルトラQの前では雲散霧消しちゃったからねえ。

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そして、ウルトラマンが始まる。

飯島さんは肝心の第1話の中身が固まっていないのに監督と脚本の二役をやるハメになった。

で、第一回の脚本を担当するキンちゃんこと金城哲夫の話を聞きながら、自分なりのイメージを固めていく中で生まれたのがバルタン星人だった。

名作「侵略者を撃て!」だ。

その頃、僕はフランソワ・トリュフォーなんて知る由もないので、イカしたタイトルだなと思った。

ただ、僕は長い年月を経て記憶が曖昧になっていく中であの宇宙忍者を単なる侵略者だと思うようになっていたけど。 

実はあながちそうでもなかった。

飯島さんによるとあれはこういう設定だったんだ。

故郷の星が核爆発で住めなくなり、宇宙難民になった彼らが地球にやってくる。 最初は地球人との共生を試みるが、それを断られたので攻めてくる。

なんかさあ、頑なに移民を拒む現代日本を予言するような設定だと思えなくもない。

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そのバルタン星人の名前の由来だけど。

飯島さんによるとこういうことだったんだって。

名前は戦争の火薬庫であるバルカン半島に由来するが、宣伝部の案でシルヴィ・バルタンから名付けたことに決めた。 なので、両説とも間違いではない。

いやあ、そりゃウルトラマンの方は宣伝になったかもしれないけど、シルヴィの方は迷惑だったんじゃないかなあ。

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同じく未来の地球に住むケムール人の由来はこういうことだったそうだ。

人間を拉致して煙のように消えるからケムール人。

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飯島さんは後輩の実相寺昭雄が芸術派なら自分は大衆派だと語っていたけど、いやいやそんなことはない。

最初の「ゴメスを倒せ!」はオーソドックスな怪獣映画で、子供だった僕はそこに一番感激したんだけど。

ケムール人にしろバルタン星人にしろ、一筋縄ではいかない設定だったと思う。

ちなみにこの怪人たち、フォッフォッフォを使い回してるよね。

ケムール人が発する電子オルガン音はキングギドラの使い回しだし。

ゴメスはゴジラの着ぐるみの使い回しだし。

円谷プロはリサイクルが得意だ。

まあ、それも仕方なかろう。

飯島さんはウルトラマンだけで6本メガフォンを取ったんだけど、苦労したのはいかに経費を抑えるかだったそうだ。

一番の理由は海外市場も狙ってカラー化したから。

フェードアウト、フェードインは金がかかるというので、カメラを振ってカットつなぎでそれらしくしたことも。 ウルトラマンの十手字の構えもその中での工夫だったそうだ。


その甲斐あって、ウルトラマンは日本を代表するヒーローになった。

これは僕の持論なんだけど、ウルトラマンとその後に現れた仮面ライダーは、日本が生んだ子供向けヒーローの双璧だと思う。

なぜかというと、現代に至るまで連綿として新シリーズが登場してるからだ。

飯島敏宏さん自身も21世紀に入ってからも、2001年の劇場版映画「ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」の脚本・監督をやってるし。

さらには2005年のウルトラマンマックスでも33、34話で脚本、監督を手掛けている。


そういう普遍的なヒーローの初代に夢中になった世代だったおかげで、僕は息子らが幼少の頃ウルトラマンフェアに連れてって一緒に楽しめたし。

レッドキングが一番好きだとか、いやバルタン星人だとかわいわい喋れた。

将来、孫が出来たら、同じことが出来ると思う。


ほんとは、ウルトラシリーズの話題はほかにもいくらでもあるんだけど。

そういう日本の宝を生んだ草創期の人たちの一人である飯島敏宏さんに敬意を表して、氏の随筆から外れる話題をダラダラ続けるのはやめにしとこう。

最後はこの歌に耳を傾けることにしよう。

このOPの通例で、最後にこの回の主役の怪獣の名前が紹介されるんだけど。

途中まで見てその怪獣の名前を当てられた人はかなりのウルトラマンフリークだよ。

初代ウルトラマンOP



https://www.youtube.com/watch?v=ZxchB4J2iuk
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