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2024年04月09日16:18

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椎名町のやっこさん

池袋駅は苦手だ。

新宿駅の方がデカいんだけど、あっちの方には気安さがある。

新宿駅に出るとまた来たなというホッとした感があるのに対して、池袋駅は来ちまった、クワバラクワバラという気持ちになる。

浦和から電車で行くのは湘南新宿ライン。池袋と新宿は1駅しか違わないのにどうもね。人はお馴染みかどうかでぜんぜん心持が違ってくるんだよ。


こないだの日曜日の夕方、おいらはその苦手意識のある池袋駅に降り立った。

ふーん、峰不二子じゃん、中々気の利いたポスターじゃん。

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で、いくぶん気分がよくなったおいらはそのポスターの先にある西武池袋線の改札をくぐった。


椎名町は池袋からひと駅だけ先にある。

たったひと駅だけなのに全然雰囲気が違う。

おいらにとっては初めて降りたった街なんだけどね、なんかこう懐かしい匂いがするんだよ。

下町というかね。

ジャージ姿の若いカップルが手を組んで歩いている(実際に何組も見た)。

そういう街、というか町。 それが椎名町なのだ。

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全国的に有名なモニュメントもある。

トキワ荘だ。

うちとこでは夫婦で行こうとして2回断念している。

一昨年はカミさんの都合でダメになり、去年はおいらが帯状疱疹後神経痛でそれどころじゃない状態に陥った。

今年こそはなんとしてでも行ってみたい聖地だ。

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それにしてもこの町、やきとんの店が多いな。

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この店なんかそそられる。

開演まであと少々時間があるし、一杯やっていこうかなと思ったけど、なんとか踏みとどまった。

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で、駅の反対側、南口に行った。目指すライヴハウスは左手すぐのところにあった。

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そこでハンドルネームYACCO、長谷川泰子のリサイタルが開催されたんだよ。



YACCOさんはおいらにとって2番目のマイミクさんだ。

1番目のマイミク、あっぷるぱいさんを介して知り合った。

mixiを始めたばかりの2010年1月にアップした「帰ってきた酔っ払い」というタイトルのどうしようもないグデングデン酔っ払い日記にコメントをいただいて以来のお付き合いだ。

お付き合いというのはネット空間だけのことでなくて、リアルに付き合ってもらっているんだよ。

まあ、おいらが一方的にリサイタルに押しかけているだけなんだけどね。

公演の後に握手してもらったりしてるから、立派なお付き合いといえる。えっへん


最初は2010年3月のことだった。新宿三丁目にあるライブスポット、ミノトール2。

2部構成でね。「G線上のアリア」から始まるクラシックオマージュとちひろ&新吾・ベストソング。 作詞石津ちひろ、作曲寺沢新吾のコンビによるオリジナル曲のメドレー。  

もうねえ、一発でファンになっちまった。


次は2011年8月に日比谷スタインウェイサロン松尾ホール。 

当時のおいらの職場から歩いてすぐの小ホール。

このときはパリ在住のピアニスト、吉田Ly久美子とのジョイントコンサートだった。

沖縄民謡の「だんじゅかりゆし」、よかったなあ。


次は2012年11月に練馬文化センター。

おいらはmixiを始めて最初にマイミクになってもらったあっぷるぱいさんと会場で待ち合わせて一緒に鑑賞した。 

初めてお会いしたあっぷるぱいさんはシンシア似の美人さん。

その人の隣で「歌声」を聴けたんだからねえ。 たまらんかったよ。

「歌声」ってのはYACCOさんのオリジナル曲。こういうのだ。

『歌声』長谷川泰子


https://www.youtube.com/watch?v=IM2Q67XwowU&pp=ygUY6ZW36LC35bed5rOw5a2Q44CB5q2M5aOw



その後もYACCOさんは旺盛な演奏活動を続けたんだけど、おいらはご無沙汰を続けてしまった。 大阪に単身赴任したりなんだりがあったんでね。

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久しぶりでそのステージを鑑賞したのは2016年2月のことだった。

場所は南青山のライブハウス、MANDARA。

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ボサノヴァから入るラインナップだった。 おいらは無謀じゃないかと思った。

だって、ボサノヴァっつたら、囁くような歌い方を思い浮かべるじゃない。

アストラッド・ジルベルトとかね。

これに対してYACCOさんのヴォーカルはソプラノで朗々と歌い上げるもの。オペラの経験がベースだけにね。

囁き声とは真逆じゃないかと思ったわけだ。

ところがあにはからんや。当時書いたおいらの日記をコピペするね。

やっぱあれなんだなあと思ったよ。 ある道で一流になると、別の道にその流儀を持ち込んでも通るんだなあと。



その後もこういう蠱惑的なコンサートが開催されていたんだけど、おいらは行けなかった。 なにが理由か忘れたけど、なにか事情があったのだろう。

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そしたら、コロナ渦が起きちまった。

ほとんど全てのアーティストが活動の場を失った。YACCOさんも例外ではなかった。

そういう中、去年になってようやくYACCOさんの日記やつぶやきから復活の兆しを感じられるようになってきた。

そして、ついに椎名町で「オフザライブ」が開かれることになったのだ。

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おいらは開場17時半から10分ぐらいたったところで会場に入った。

品のいいご婦人とエレベーターで一緒になった。

エレベーターが2階につくと、お友達がご婦人を待っていた。

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その人たちの後について入ると、会場はすでにほぼ満席だった。

おいらと同じYACCOさんのファンの人たちなのだろう。

女性7対男性3ぐらい。 おいらと同じぐらいの年齢層が主体だ。

バーカウンターの横のテーブルが空いていた。 

おいらはそこに座って、脇のバーカウンターが空いたところを見計らって、ジン・トニックを頼んだ。 ライブの鑑賞、スタンバイ。

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まずバックバンド、キャラバンの面々がステージに上がった。軽く音合わせをした。

サックス野村亮太、ピアノ山本佳祐、ドラム吉本ヒロ。

このうち野村亮太は南青山でもサックスを吹き、吉本ヒロはドラムを叩いていた。

特にフランス帰りの野村亮太のサックスは一聴に値すると思う。

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そしてついにYACCOさんがステージに登場した。

変わってない。かわいらしい。

自分より年上の人にかわいらしいもないとは思うんだけど、10数年前の新宿の夜のときもそういう印象だった。 かわいらしい人というのが率直な第一印象なんだよ。

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ついに始まった。

それは南青山MANDARAと同じ「マシュ・ケ・ナダ」だった。

そして「イパネマの娘」と続くボサノヴァ・メドレー。

いいなあ、セルジオ・メンデスが、アントニオ・カルロス・ジョビンが、YACCO色になって響いてくる。

そして、もっと歌声が響いたのが、アンデスのフォルクローレ・メドレーだった。

「コンドルは飛んでいくーEl Cóndor Pasaー」から「花祭り」へ。

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この辺だったかな。間違ってたらごめんなさいなんだけど、衣装を着替えるためにYACCOさんがいったんステージを下がって、キャラバンが「ヘイ・ジュード」を演奏した。

サックスのフィーチュア、決まってたよ。

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で、再びYACCOさん、登場。

歌ったのはアルゼンチン・タンゴの巨匠、ピアソラの「オヴリビオン」

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次の「愛は限りなく」と「夢見る想い」という歌はよく知らなかったんだけど、ジュリオラ・チンクエッティの歌のようなので、カンツォーネに区分されるのだろう。

でも、あれ?シャンソンもあったような気がするな、それは別のところだったかな?

YACCOさんはぜんぶ原曲の言葉で歌う。

ポルトガル語にスペイン語にイタリア語にフランス語。

ロシア語の「黒い瞳」まで歌ってたからねえ。

まるでゴルゴ13並みの語学のオンパレードだ。

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そういう中で、もちろん日本語の歌もあった。

この歌、おいらの親父がよくレコードをかけていた。

おいらが幼い頃のことなのでよく覚えていないんだけど、たしかこの歌唱だと思う。

YACCOさんの歌声を聴きながら、幼き頃に思いを馳せられたよ。

恋心


https://www.youtube.com/watch?v=7sxnEEyt5ZI&pp=ygUQ5oGL5b-DIOWyuOa0i-WtkA%3D%3D


そして、服部良一を2曲。

只今リバイバルヒット中の「東京ブギウギ」とまさかこれも服部ソングだったとは!の「山寺の和尚さん」。

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で、旦那さんとのロシア旅行中にバスの運転手さんが歌ってくれたという「黒い瞳」をうっとり聴いたところで。

観客との合唱になった。 あらかじめ歌詞をプリントした紙が配られててね。

おいらもあんまり響かない声を出したよ。 「アルプス一万尺」

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そこでいったんお終いになった後、当然アンコールになった。

2曲歌ってくれてね、最初は「リベルタンゴ」だったと思うんだけど、2曲目のタイトルが思い出せない。

非常に有名な曲でね。 これが楽しかったYACCOの夜のフィナーレだと思うと、こみ上げるものがあって、アンケート用紙に〇〇が1番よかったと書いたんだけど、思い出せん。 アメージングかグレイスフルかなんかがつく英語の歌。 まあいいや。

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とにかく、なんていうかな、、、YACCOさんの凛々しい歌声はおいらを元気づけてくれた。

最近、ちょっとだけ気分が落ち込んでいてね。

去年、会社を定年退職してフリーマンになった。

自由気ままな生活。

それはいいんだけど、物忘れが目立つようになった。

1番感動したはずのYACCOさんのアンコールの2曲目の歌のタイトルを覚えていないなんてのがそれ。

それだけじゃなくて、脳内の物事を論理的に整理して口に出す、プレゼンテーション能力とでもいうか、そういうものも劣化しつつある。

そういうのは会社を辞めたことがきっかけのような気がする。

なんだかんだいっても会社ではいろいろと頭を使っていたのだろう。

会社ってさ、見えない弾が四方八方飛び交っているんだよ。 

頭を低くして、そういう弾に当たらないようにする。

それでも、昔、誰かが仕掛けた爆弾が今さら破裂して被弾したりする。

気を抜けない。

それがなくなった。

要らなくなった能力が低下しつつある。

そんな気がして暗めのモードに入っていたんだけどさ。


YACCOさんの歌声は凛々しかった。

その凛々しさがおいらの暗めモードを拭い去ってくれた。

おいら、たかだか66歳だ、頭を使わないから力が落ちているなら使えばいい。

使う機会がなければ自分で作ればいい。

椎名町のコンサートに行くことで、そういう気持ちになれた。


おいらはアンケート用紙を書くと出口に向かった。

出口ではいなせな紳士がご婦人と何事か話していた。

YACCOさんの旦那さんだ。

その場にぼんやり立っていたら、「アンケートならこちらで回収しますよ」と声をかけられた。

ピアノの山本さんがニコニコしながら立っていた。

おいらは彼にアンケート用紙を渡して、「よいコンサートでした」と挨拶してその場を離れた。



椎名町も南青山と一緒だった。

アルバート・アイラーの言葉を実感した夜だったよ。

音楽は宇宙の治癒の力である。 Music Is The Healing Force Of The Universe.


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