彼女を褒め続けるとどうなるのか、実験してみた結果
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=3781162
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この記事についてほんの一部だけ同意しつつ、大半は同意しかねるなという感想をば。
2つの副業で他人様にものを教える機会は多くあります。
で、当然ながら「褒めて伸ばす」なのですが、「おべっか・お世辞・美辞麗句」を並べ立てたところで効果はほとんどありません。
むしろ、あきらかに太っている人物に「スタイルいいね」とかういうと敵意を買うだけです(笑)。デメリットの方が大きすぎるのは一目瞭然です。
本当の「褒めて伸ばす」はちゃんと本人すら気づいていない褒めるポイントを探し出して先回りして褒めることを言います。
「おべっか・お世辞・美辞麗句」しか言えないのは「長所を探す能力の欠如」という指導者側の問題でしょう。
何事も表裏ですから、解釈によって褒めるポイントは無数に出てきます。
「煩く騒がしい生徒さん」と解釈するか「元気にあいさつする生徒さん」と解釈するか。
「陰気で元気がない生徒さん」と解釈するか「落ち着きのある生徒さん」と解釈するか。
同じ物事でも大概のことは解釈の表裏で「褒めるポイント」にできるものです。注意するときのコツも褒めてから窘めるくらいがちょうどよく、聞き入れてもらいやすいです。「元気いいなぁ。ちょっとだけ声のトーン落としてくれるかい?」くらいですかね。
「大概のこと」から外れるのは犯罪行為や他人を傷つける行為くらいでしょう。
一般に「人を比較するのは良くない」と言いますが、私は大いに「比較」します。
複数の生徒さん同士を比較すれば、一方がもう一方の完全上位互換ということはなく、それぞれが他方よりも優れているポイントがあるもので。こうすれば両者を褒めるポイントが見つかるわけです。
「いいことをした時に褒める」という受け身ではなく、「いいところがないかと常に伺い、隙あらば褒める」くらいの積極性が欲しいと個人的には思いました。
長所を探す能力はほぼイコールで「幸福解釈能力」につながりますので、これが高い人間は主観的・相対的に楽天家であり、幸福であることが多いようです。
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