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2015年11月22日06:48

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「悟り」と「啓示」はどう違うか

「悟り」も
「啓示」も
意識に於て生起するが
意識が引き起したのではない現象
を言う点では一致する。

つまり
「悟り」も「啓示」も
理性の能力とは
異なる
別の能力によって
(たとえば
 理性の圏内に無い能力としての
 「意志(Wille)」の能力であったり
 心理とは異なる「理」によって動く
 「生理(physiology)」であったり
 理性と対置される人間の認識能力としての
 「経験(Erfahrung)」であったり
 分別(理性)と対置される
 「般若(prajñā, paññā)」であったり
 人間を超越する
 「超越者(Transzendenz, Überexistirende)」
 によって)
引き起される現象である
ということ。

したがって
「悟り」も「啓示」も
「理性」とは区別された
「宗教」に「固有の原理」である。

つまり
「理性」が為し得ない認識を
我々の理性へ
齎(もたら)す原理である。

だから
理性的にいくら考えても
悟りや啓示の内実を
知る事は
そもそも不可能である
ということ。

けれども
「意識に於て現象する」という点で
「悟り」も「啓示」も
意識経験に於て把捉出来る現象でなければならない。

もちろん
「悟り」も「啓示」も
一度も生起した事のない意識にとっては
「悟り」も「啓示」も
自らの経験内に存在しない現象であるから
それらの存在を
(及び、それらの存在によって引き起される「現象」を)
確認する事が出来ない。

したがって
「悟り」と「啓示」を
意識経験したことのない人々に
「悟り」と「啓示」が
「実在(Existenz)」であることを
証明する為には

「悟り」と「啓示」を
意識経験出来なくとも
理解出来る方法で
示すので
なければならない。

それが
シェリングにとっては
神話と啓示の歴史的事実である。

これは
「啓示」について
言われる事であるから

「悟り」については
「仏教」の歴史的事実が
「悟り」の「実在(Existenz)」の
歴史的証明に寄与する事実でなければならない。

けれども
「悟り」と「啓示」の
内容を展開し
「悟り」と「啓示」を
我々の「判断」の「根拠」と成す為(ため)には

我々の意識へ
「悟り」ないし「啓示」が
生起する必然性が
実証されるので
なければならない。

ただ
止観業であれ
瑜伽行であれ
自律性療法(自律訓練法)であれ
これらの修行法もしくは訓練法が
「悟り」ないし「啓示」として
生起するまでには
7年ないし8年間の継続期間を必要とする
ので

これに関しては
多くを語る事を
避ける傾向があるのだが

けれども
止観業も
瑜伽行も
自律性療法も
手足の温重感と
体躯の温感と
前額の清涼感から
入って
そこで生起する心理生理現象を
妨げないことが
理性と意志(分別と般若)との
バランスを回復する過程で

理性と意志との間に
悟りや啓示の新たな関係が
突如として
現れるという
パリナーマ(pariṇāma 識の転変)
が生起する事を
指す。

そして
パリナーマ(pariṇāma 識の転変)

それまでのプロセス(過程)を
打ち破る
突破(break through)であり

それまでの因果の縁を
立ち切る(分断する scheiden)
出来事であり

それまでの
量的な変化(プロセス)が
質的な転化(突然変異)に
取って代わる「瞬間」である。

なので
悟りも啓示も
それ以前の意識経験との
「断絶」を
齎(もたら)すのであり
(つまり
 「これまでに経験したことのない初めての経験」
 を我々に齎すのが「悟り」や「啓示」であり)

その「断絶」は
論理で言えば「論理の飛躍」であるから
これを論理的に説明することは
そもそも不可能である。

つまり
missing link は
そもそも missing していないのであり
即ち
失われたのではなく
そのような鎖(link, ring 輪、環)は
最初から存在しないのである。

たとえば
何かを修得しようとして
(語学なら語学を習得しようとして)
ある段階までは直線的に伸びてゆくのに
ある段階に至るとスランプに陥るように
努力しても向上しない段階がある
(ダイエットの場合は
 食べないのに体重が減らない段階がある)
ように
プラトー(平地)が続くような時期があるが
そこで諦めないで
努力を続けていると
あるとき突如
一気に次の段階へステップアップすることがある。

それと同じ事が
悟りや啓示についても
起きる
だけのこと
であり

悟りや啓示の場合
その期間が
7年ないし8年間と
異常に長いので
みんな
その途中で
修行を諦めてしまうので
悟りや啓示まで経験できる人が
少ないという結果になっているだけだ。

特に現代においては
7年〜8年間もの期間を
社会から離れている
ということは
現実的に不可能であるから

(病気でもしない限り。
 けれども
 その病気が
 身体の病であれ
 精神の病であれ
 或いは又
 何らかの理由で
 社会と断絶せざるを得なくなり
 自分自身の内面と向き合う
 または
 自然や宇宙などの超越者と向き合う
 7〜8年の期間が
 出来た人は
 その社会との断絶の期間
 その苦悩の期間は
 実際には
 「悟り」や「啓示」への
 千載一遇のチャンスなのである。
 そして
 「悟り」や「啓示」を
 実際に受けた
 歴史上の聖者や覚者は
 いずれも
 そのような
 社会との7〜8年の断絶期間を
 持っていた事は
 実証可能であると思われる。)

悟りや啓示を受けること
それ自体が
社会体制的に不可能になっている。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ところで
悟りと啓示と違いであるけれども

悟りはどこまでも
我々の認識が
仮象(空)であることを
主張するのであり

啓示は
悟りに対して
神という実体を認めるので
仏教で言えば
唯識思想の阿頼耶識のように
何らかの実体を認める思想ではあるが
キリスト教の場合
その実体は
どこまでも
人間の外側に考えられている。

つまり
唯識思想が
(唯識思想は実体=阿頼耶識を認めるという意味で
 原始仏教とは異なる思想であると考えるべきだが)
内在的な超越存在(超越実体)を認め
外在的な超越存在の認識は認めない(仮象=空と捉える)
のに対し
キリスト教では
外在的な超越存在(超越実体)としての神(Gott)を
認めている点が
一番の違い。

けれども
「悟り」と「啓示」の違い
ということであれば

「悟り」は
「実体否定」であるから
我々の認識が
独立自存としての実体を掴み得ない
(或いはまた
 独立自全な存在は無い)
ということを
主張するのみであって
どこにも
絶対者は
存在しない
ということが仏教思想の根幹
なので

絶対者としての神が
大前提の
キリスト教とは
最も対立する思想である
はずである。

けれども
それらは
質料(仏教)と
形相(キリスト教)の
ように

両者合わせて
初めて
事実を言い表し得る
のであって

対立概念が存在するのは
その退路つ概念が
事実の両側面であることを
物語っているだけのことだ。

なので
実体を否定する仏教思想と
内在的超越者だけを認める唯識思想と
外在的超越者を絶対者とするキリスト教思想の
三つは
物事を捉える時の
三側面と捉えるべきだ。

以上を纏(まと)めると

「悟り」とは
すべてのものに実体は無く
したがって我々の意識で捉えられている総ての実体は
空であり仮象であり
ものごとそれ自体を捉えた認識ではない
ということの自覚。

唯識思想とは
真実在は阿頼耶識のみで
総ては我々の阿頼耶識という照明作用によって
我々の識に像が作り出されているので
我々の照明作用以外の
我々の表象は空であり
それ自体存在するものではなく
存在するのは
我々の照明作用のみである
という思想。

また
「啓示」とは
総ての存在の絶対者としての神が
外在的に
我々とは無関係に存在し
神が総ての現象を統括している
という思想。

なので
「啓示」は
そのような外在的な神が
我々人間の意識へと現成することを
体験すること。

神は
真偽や善悪や美醜や聖俗を
越えて存在するので
我々が偽と捉える事も
我々が悪と捉える事も
我々が醜と捉える事も
我々が俗と捉える事も
神に於ては
意味がある。

神は常に
我々の常識を越えて
現象を支配している。

我々は
神の為す事に
手を出す事が出来ない。

我々が何かを成し遂げた
と思っても
それは神の意志であり
神の意志に反する事を
我々が為す事は出来ない。

我々は
神に反して何かを為していると思っても
それは我々の勘違いであり
我々の為す事は総て
神の為す事である。

なので
我々の世界で悪と判断されることも
神の為すことであり
我々が為したのではない。

絶対者を前提する思想の圏内では
我々に自由意志が存在することは許されない。
我々の世界の中で「責任」が問われる事であっても
その「責任」が問われる行為を為させしめているのは
神の意志である。

そうでなければ
神が絶対者であるとは
言われないからである。

我々に自由意志が存在するのであれば
そのような神は絶対者ではないだろう。

なぜならば
我々に自由意志があり
我々は自らの自由意志で行為していると
我々に思わせておいて
実は
自分の意志どおりに相手を動かすことが出来る者
こそ
絶対者であることを実証する者
であろうからだ。

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最終更新
平成27(2015)年11月22日 午前8時17分
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