幸福の度合い 客観的に測定か
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傍目には盤石に見える幸福なことが多くとも、本人にそれを感じ取る能力がなければ幸福にはならない。逆に傍目にはどれだけ不幸なことが連続していても、本人がそれを不幸と思わなければ不幸とはいえない。
戦場で孤児となり、対人地雷で片足を吹き飛ばされていても従軍カメラマンにお菓子をもらう瞬間の笑顔が出せる少年は少なくともその瞬間は幸福なのだろう。
傍目には明らかにおかしい新興宗教にすべてをささげていても本人が幸福だと信じているのなら、やはり幸福なのだろう。
結局、幸福かどうかには「本人が決める、感じ取る」という要素が不可欠だということだ。
「幸運と思える事象×幸福解釈能力=幸福感の総量」
と言う感じなのだろうか。片方がゼロであればゼロになってしまう。
幸福と反対に「不幸ではない」というところにも一部の転用ができそうだ。
「不幸なこと」についてはどれだけ許容(耐久力)があるかどうか、ある種の鈍感力も有用な気がする。
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