mixiユーザー(id:2223977)

2015年11月18日11:32

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悪も善も空(仮象)なのだ

そもそも
仏教の
空(くう:サンスクリット語で śūnyatā シューニャター)
とは
偏った考え方が仮象であることを
表現する言葉で

空そのものに
深遠な意味内容があるわけではない
のに
いつのまにか
空が
真実を表わすありがたい言葉
であるかのように
勘違いされている。

もちろん
空は
空(偏った考えが仮象であること)を
悟る事が出来れば
その悟りの境地は
深淵であり
その深遠な境地は
真実な判断を
我々に齎(もたら)す
のだけれども

一切皆空を
「一切はみな空である」
というだけで
「我々が持つ判断は
 みな仮象にすぎない」
ということを
把握しないのであれば
仏教徒のこれまでの努力の歴史が
無意味化してしまう。

机上の空論や
形而上学的な思弁を弄(ろう)しても
ナンセンスなので
今現在進行形の
具体例で言うと

例えば
フランスを非難するイスラム国の考えも
空(仮象)
ならば
イスラム国を非難するフランスの考えも
同様に
空(仮象)
なのだ。

じゃあ
何が真実か
というと

フランスがイスラム国に対して
空爆などの軍事的な圧力をかけることを辞める考えであり
イスラム国がフランスに対して
テロで反撃する考えを辞める考えである。

そういうことは
カントが既に
『純粋理性批判』のアンチノミー論の中で
解決した筈だ。

要するに
差別意識を克服することが
イスラム国と
反イスラム国勢力に
求められる思想であり
差別意識を克服した思想だけが
イスラム国のテロ行為を
鎮静出来るのであって

差別意識からの反撃は
無限の反作用を生むだけで
結局は
軍事力と経済力と権力の勝(まさ)る国の言い分が
通るだけであり
それは単に
「強者の論理」であり
結局は
「いじめっ子の論理」
でしかない。

軍事力であれ
経済力であれ
何であれ
優位に立っていることを利用して
劣位の集団や個人の
自由意志を抑圧する行為は
総(すべ)て
「いじめ行為(ハラスメント)」
だ。

大切なのは
平等公平な立場に立つ事だ。

これが意外に
困難なのだ。

日本人は
対外的には
中国や朝鮮に対して
差別意識に陥りやすい。

また
対内的には
歴史的に国策的に
作られた最下級民に対する
差別意識に陥りやすい。

けれども
日本の中国や朝鮮に対する
優位感情は
日中戦争時の情報操作によって
捏造された国民感情(国民を洗脳した結果)
(逆の事は中国にも言える
 つまり日本に対する抗日感情は
 日中戦争時の国策によって
 国民を洗脳した結果
 生じた感情)

論理的には
根拠が無い。

士農工商に属さなかった人たちが
士農工商の階級より低いという論拠は
学術の世界では通用しない。

DNA を調べても
何等格差は認められないだろう。
差異が認められたとしても
それは優劣の問題ではなく
単に区別の問題にすぎないであろう。

人種差別も
国家に対する差別意識も
根拠を欠く。

そもそも
「人種」
という概念が
現代の分子人類学では
否定されている(現生人類単一起源説
のだから。

ユダヤ人に対する
欧米人の根強い差別意識も
何等根拠の無い主張だ。
(イエスを金と引き換えに密告したのがユダで
 ユダがユダヤ人だったからということが根拠の一つ
 だとしても、それがたとえ事実でも、そのことは
 ユダヤ人全体の差別思想の根拠とはならない。)

そういう生理的な嫌悪感や
感情的な受け容れ難さを
乗り越える思想こそ
優れた判断なのである。

そういう判断で
物事を見れば
世の中に
どれくらい
「公的な情報」という詐称に
溢れているか
明らかになる。

中庸や
中道や
公平や
平等は

それらが
「机上の空論」かと
思えるほどに
現実では
通用しない。

現実では常に
「悪くても強い者」の
言い分が通る。

論理なんて
軍事力(腕力や威圧力を含めて)や
経済力や
権力や
政治力の前には
無力だ。

なぜなら
「言うことをきかないのなら
 殺すぞ」
と言われ
相手に勝てない事が明らかな場合
それでも生き残る為には
「わかりました。言うとおりにします。」
と言う以外に生き残る道が無いからだ。

なので
命が惜しい者は
強い者が
間違っていても
従順に従うのだ。

けれども
言う通りにしようとしまいと
殺しに来る者に対して
生き残る為には
相手を殺すか
殺さずに逃げるか
しかない。

逃げ道が塞(ふさ)がれている場合は
有無を言わさず殺しに来た者を
殺す以外に
生き残る道は
残されていない。

それが
差別思想を人間から消せない
大きな壁だ。

言葉は
力の前には
無意味化するのだ。

無理が通れば
道理は引っ込むのだ。

けれども
そのような力のゴリ押しに
歪められない
中辺分別
(ちゅうへん ふんべつ
 「中心(中)」と
 「中心から逸れた周辺(辺)」とを
 「区別(分別)」すること)

判断力

しっかりと
持てるようになって

世間の
「これが常識」
という
「非常識」

惑わされない
眼力を
磨いて欲しい。

世の中には
嘘が溢れている。

どれが「中心」で
どれが「周辺(中心から逸れた判断)」かを
見分ける眼を
持って欲しい。

そうすることだけが
世の中から
無用な差別を減らし
無用な戦争を減らし
無用な死者を減らす事が
出来るのだ。

その時
忘れてはならない
一番大切な事は

人を責めるのではなく
自分自身の中の差別意識と
常に生涯に亙(わた)って
闘い続ける事
これ以上に大切なことは無い。

他人の事よりも
自分自身の差別意識と
闘う事が
一人ひとりにとって
大事なのだ。

人を責め続ける限り
争いは
無くならないし
減る事もない。

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最終更新
平成27(2015)年11月18日 午前11時50分
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