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2015年10月21日18:23

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ご感想「平原演劇祭を見る 2015年10月12日」

長文の感想をいただきました。全文ママで転載させていただきます。ありがとうございましたー!!

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なお当日前後の雰囲気などはこちらからどうぞ!おもに関係者のツイまとめです。
http://togetter.com/li/886234





平原演劇祭を見る 2015年10月12日

 ツクツクホウシが「ギー」とないたら秋になっていました。
 劇団の主宰者はこのように言った 開口一番に、この言葉というのは非常に印象的だった。それもきわめて理知的な言葉ですべてを表しているようなこと。秋が深まりゆくことそしてセミがなくのがいよいよ秋を終わらせてゆくという意味を語ってくれたこと。これは夏は終わったということよりも、秋が深まったということ、そして秋が深まると同時に死にゆくものがセミであるということを語る。とても深遠な言葉だった。
 そして心に沈潜する言葉でもあった。

 宮代の演劇祭「平原演劇祭」を見た。
 十二年から十五年ぐらい前だろうか。第一回の公演を見たことがあった。今回は第二回目だ。その演劇祭の特徴は、古民家そのものを利用して中で演じる。
 大々的な宣伝は行っていないせいか、観客は二十人ほどだった。常連が多いということかもしれない。
 しかしである。
 大々的に宣伝しないだけに、ある意味、わかる人がわかる形でその演劇を実にまじめに見ている。そこに感心した。十数年経った今でも変わらずに残り続けている人数というのもひとつの特徴である。

 古民家は、宮代町に住んだ加藤さんという人の家だったそうだ。いぶされた木の香りがする。この木炭の臭いがいい。畳は移築してから張り替えていないという。畳は全く使わなければ張り替えたとしてもいたんでしまうので、必ず何か催し物をやっては人がそこに座るようにして長持ちささせているという。畳は生きているので人の手が入らないと弱ってしまうというのだ。

 独特の安堵を誘う家の造りである。
 木造建築の中で演じられる劇というのは、ひとつの大きな響きの中、たとえば木製のスピーカーボックスの中にいるようなものを感じ、安らぎの空間があり木の情緒がそのまま生きている。ある意味で現代の家からはなかなか感じることができない、古風な「間」を持った建築物である。

 古民家から独自の観念が醸成されるのだ。旧家とはこのようなものであるというふうな日本人ならではの考え方がある。旧家ゆえの格式、伝統、建築の決まりごと。それらが一つの固定観念として定まっているところにここで演じるということに、どのような意味があるのかということを考えさせ意味づける。
 ここでの上演はかなり大きな意味がある。

 なぜか?

 古民家ならではの「空気」というものを観客が十分に知った上で観賞しているからである。これはひとつの話を展開するうえでの極めて大きな役割を果たす。

 心の中にある旧家というものは、文学の中で、ドラマの中で、映像を通しても、歴史物語の中でも、実際にそこで育った人もいれば見たという人もいる。すでに固定化された旧家像というものがあり、日本人の場合はそこに格としての「家」の存在も大きく立ちはだかる。
 観念的な存在こそが「家」なのだ。
 そのなかで上演される劇には、自ずと背景としての歴史を観客そのものが各々背景として浮かべてみる。なぜここで上演するのかという目的意識を感じるのだ。目的意識は旧家から読み取れる。厩もあれば囲炉裏もある。土間もあれば人が語り合った空間が垣間見えるように存在しているのだ。もしかすると二十人どころか、観客はその古い家の中に所狭しと姿を偲ばせている、その昔の宮代の人々の魂かもしれないというふうにも感じ取ることができる尊い空間が生まれていた。劇場空間としての「場の感性」とでもいうのだろうか。演劇といっても通常のホールとは明らかに違う、行き交う魂のようなあまりにも大きな「過去形」を秘めた観客が、もうひとつあって自分自身と語ることのできる空間性がもたらされていた。

「イカ飛行機を作っています」と主宰者は語った。
 観客は注目した。
 イカ飛行機って何だろう?
 実はこのような言葉を、演劇に入る前に語る。
 一言が極めて大きく心を捉える。台本作者が器をあらわした。耳をそばだててききたくなる言葉が続いた。
 イカ飛行機は1970年代、小学校の父兄が先端が尖っていて危ないから、尖った飛行機は作らないでほしい。丸くしてほしい、というふうに小学校に言ってきたのだと話した。これでも確かに飛行機は飛ぶといって、その場で作った飛行機を飛ばした。
 けれども理想的な飛行機の飛び方ではなかったようだ。けれども飛行機は飛ぶのだという。

 わずかこれだけのオープニングで、言葉というものの重要性がよく分かる。

 すごいことは、演劇が始まる前から「濃縮された時」を感じることができたということだ。この濃縮されたもの、または「堆積された時」とでもいうか、われわれの潜在意識の中に、このような土間や畳の部屋というものが誰の意識の中にも必ずあったに違いない。
たとえフローリングの家に住んでいたとしても、どこかで必ず見た光景が脳裏にあって、それが浮かんでくれば浮かんでくるほど、ある一つの過去形が「確かな手ごたえ」として感じるのである。
 地元の人が住んでいた場所で作り上げるもの。見えざる心の風景がそこにすでにあるということ。これはわかるようでわからないかもしれないけれども、その家の臭いが、実は観客の心を捉えて離さないのだ。

 家には家なりの体臭がある。
 家独自の臭いだ。それは場所によって、人によって、建材によって、当然のことながら変わってくる。けれども古い民家には、そうした体臭の極めて典型的な臭いというものがあるのだ。昔は人がこのようなところで語っていたという追体験は、この臭いと関連する。これはとてつもなく大きなことであって「濃縮された時間」といってよい。

 だからそこに見事にはまる言葉と観客の記憶の反芻が「照応」するのである。
 役者が語る言葉が、たとえ意味不明に聞こえてくる言葉だとしても、過去を回想するというようなある手法を「場」が無意識のうちに作り上げてしまう。役者が回想するシーンでは、古民家という「場」が役者と観客の波長を合わせてくれるのである。

 全部で三作品やった。
 第一作と第二作は独白劇のスタイルで、どこかソフォクレスのオイディプス王の語り手を思わせた。古民家ならではの浸潤な空気感がコロス(合唱)を醸す。そのあたりが作劇の土台にあったのではないか。ギリシャのアクロポリス同様の効果を、演劇する場として古民家の加藤家に求めたかに見えた。これだけの長台詞が言えしっかりとした劇場空間があるのだから、ギリシャ悲劇を土台としたミメーシス(先達のある完成された様式感をもって新たなる作品を作り上げる)ができるような作者の力量を実感した。

 第一話は加須から羽生にかけての広い白い田園地帯はモンドリアンの絵のように広がっている。オランダの低地のような雰囲気の世界だということを主人公が語っていた。
 モンドリアンのことを桟(サン)がはずれたステンドグラスという風にいっていたところが印象的だ、これも地元のありふれた光景で、加須から羽生の田園風景は良く見る。確かにだだっ広く、どこに目をやってよいかわからなくなるほど広い。抽象絵画のモンドリアンの世界に接近しているというのは、身近にいると実はそのように文学的な表現にならないことがあって、モンドリアンというのは、まるで別世界の人のように思えてしまうのである。
 ところがそれが役者によって聴衆の沈黙の中に放たれた言葉となると、俄然、言葉そのものが生きた魚のように思えてくる。魚をとろうとしてもとれないのだがはっきりとした動きを持って思わず注目するというような魚だ。
 最高の名言のように思えてくるのである。

 家の中にいぶされた木のにおいが立ちこめた入ってくる。その木のにおいというものが、実はこの言葉に独特の雰囲気というものを与えた。「実存」である。言葉そのものがオブジェ化する。形象化するのだ。物理的な言葉の組み立てというものでも、立体的に変化していく。変容していく過程というものを古民家の空気というものがイメージを固体に変えていくような気がした。

 そこにオープニングで語っていた紙飛行機の形というものが結び付けられていくのだ。
 この第一話は女子中学生の独白で、停学している女子中学生の言葉からなる。最初はさまざまな言葉を発し話が飛躍するものだから、何を言おうとしているのかがかよくわからなかった。話が飛ぶである。
 その世界についていくのは至難の業かなと思っていた。ところがである。それがさほど大変でもなく伝わってきたのは、その女子中学生の世界というものに入り込んでしまえばさほどつらくない理解できそうだという時間的推移ゆえのことだった。話が飛ぶかわらからない?のではなく、話が飛ぶからこそ面白いというふうに理解すれば、その飛ぶ話をイマジネーションの動機として脳裏に飛躍することができる。
 決して難しいことではなく、そのようなことをすることによって、まったく新しい言葉の理解への感性が、演劇を見ているうちにフットワークとして身に付いてくるのである。女の子の言葉は、つじつまの合わないものではなく、自分の世界の中で、ある方向性というものをきちんと示している言葉であるということがわかる。一定に向いたベクトルを示しているのだ。それを理解すればさほど難しいことではない。
 演劇として見ているのだ。単発的な発言のモノローグもストーリーの中核へと向かう複線という風に理解していくと、まったくわからない感じで聞こえるかもしれないのだけれども、実は方法は決まっていて、その上で飛躍しているのである。
 つまり、さまざまな感情が明滅し交錯する中で、その入り組んだ感情を吹っ切ろうとするために、それまでになかった話を突然持ち出してくるのだ。実はそれは的はずれのものではない。決して外れることは無い。ある軌道の上に乗り、そこからそれることがないのである。
 たとえば学校とか、場所、友人、家族という枠。
 一定の限られたパターンの上に関係するものを積み上げていくような方式で、それが変容してゆく。一種のヴァリエーションという風に考えていくと、そこにある核となるべきものがなんとなく見えてくる。
 演劇というものは分からないからと一度着座した場から立ち去ることはできない。それだけにしばらくそのわからないなら分からないなりの言葉を聞いていく。するとしだいに頭の中で関連性のある言葉というものが繰り返されているということに気づく。この気づくということが幾度となく行われることによって、作者の意図するものというものが見えたり、この主人公がどのように考えているかということをそこから感じ取ることができる。

 この話の中で特に印象深かったのは、鷲宮の話だった。この街の中で一番高くそびえ立っているものは「焼き場」であるということ。今久喜と合併しているだけに、そしてつい最近私の母の葬儀をやっただけに、いちばん背の高いそびえ立っているものが焼き場で、それ以外のものはないという主人公が語る言葉は痛く心に突き刺さった事実、その通りなのである。
 鷲宮における焼き場の存在感は、ほんとうは極めて大きいはずなのだ。演劇でこうして語られると、地元の私たちはそれをタブー視していたことが分かった。焼き場について「これは大きな立派な建物だ」というふうに語ることなど無い。ひときわ大きく聳え立つ焼き場は、気づいてきてもテーマにしにくい舞台だった。中はいかに立派で人があふれているにしても、であるっているのだ。
 これは大きな発見だった。ちょっとした演劇会場よりも焼き場は膨大な人数であふれかえっているのだ。ただ寡黙な人たちが多いというだけで、それでもこの演劇での一言は地元だからこそ突き刺さる。
 身近な話題の中で感動を舞台で呼ぶというのは、とても大切なことではないだろうか。自分たちにとって全く関係のない話をただ舞台でされても、他人事のように聞いてしまう、けれども身近な話題の中から、地元でもあまりふれない発見というものを実感させてくれる芝居。平原演劇祭にはそれがはっきりとした形であった。感動した。

「川を強制的に埋めそこに生きている魚を上から土をかぶせることによって埋め立てそれがレクイエムのように鎮まっている」というようなセリフがあったがこれにはうなずいてしまった。まさに真実であり、ところがこのような事実を知らないと言うよりも知ろうとしないという現実がある。多くの人はその埋められた魚たちの上に住んでいるということを考えてみると、魚の悲劇の上に人間が生きているということ。そして沼地を埋め立てるということどのようなことであるかということ、そのようなことに気づかせてくれたのが第三話の舞台だった。
 そして私たちが思うのは、埋め立てということがどのようなものかということ。そしてィを作り替えるというのではどのようなことであるかということ。すでにある家を取り壊してまた新たなる家を作るということは生きているもの一度葬って、その上にさらなるものを作るということ。
 このとき言葉というものは「場」をもって抽象化するような明るいイメージを抱かせもすることができるということに驚かされた。この加藤家という場を通じて一つの芸術学が生まれたのである

 最後の作品で惹かれたのは「幸福の王子」の話をする愛知県から来たという主役の十代の男女のみずみずしく美しい表現力だった。「幸福の王子」という話がどれほど素晴らしい話であるのかということ。この話は少年時代に読んだことがある。今になって読み返してみたいと思った。
 今という時代は瞬時のうちにメールによって世界中に名所を知らすことができる。しかし知らせたことによって沼地は埋め立てられて行く。手つかずの状態で残すということの意味。これがどれほど大事なものであるか。
 それをしばらく語ってくれた。
 手付かずの状態で残っているのは遊水池であること。
 ただしそれは人工のものであるということ。人工の遊水池は埋め立てられることがない。その中で月見ができる。遊水池の空間はあり続ける。ただしそれは作ったものであるということ。
 わたしなりにこの言葉にはかなり深い裏の意味があると思った。
 これほど土地勘のある作家である。この辺の遊水池が極めて広い意味というものを知っているのであろうと。
 足尾銅山の公害によってその場所に鉛毒をため住民を移住させ、その場から追い出しだだっ広い遊水池にしてしまったという明治の歴史を。これを演劇の中でまったく語らなかったとしても、この辺りの人たちは十分に知っているからこの言葉というものがギリシャ悲劇に匹敵するくらいの重みをもって厳然と響き渡るのだ。
 感動的だったのは、社会科学は上書きできるが自然科学は上書きしにくいという言葉だった。

 そしてなお「幸福の王子」の話は読まれた。

 幸福の王子のエピローグの素晴らしい空間的な表現。
 美しい沼地も、世界に瞬時のうちに発信できるということは世界が目をつけるということ。手付かずの状態で残すということがどれほど意味のあるものなのかを知った。
 そのようなことは知らなければならないということ。
 一言の重みを感じた公演だった。
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