騒々しいコミカルな空気は、まさしくディズニーアニメの“実写”。
ところが、映画は我々が持つ“諦観(ていかん)”を叱る。
70年代、少年フランク(ジョージ・クルー二)は、
ディズニーランドが主催した発明大会へ参加。
不思議なアテナの名の少女から、あるバッジを得て、
ことなる次元に存在するトゥモローランドへ向う。
だが、フランクは、ある理由からランドを追放され、以後、偏屈な中年に。*1
一方、現代。ロケット技師を父に持つ少女ケイシーが、そのバッジを手に入れる。
物語はこうだ。
未来の希望を失う、かつての発明少年は、希望を抱く少女と出会い情熱を取り戻す。
そうして“未来”を信じ、ふたたびランドへ向う。
スケールは壮大で、未来に向う道具は、
エッフェル塔のなかに格納されたロケットである。*2
ちなみに殺人・流血一切なし。子供も安心だ。*3
この感想で書く“未来”とは言葉どおりの意味だ。
フランクは、どうしたって滅亡に向う未来に悲観し、絶望して世捨て人になった。
だがケイシーは違う。未来は良い方向に変化させることができる。
あきらめるな。その行動は我々に向けられる。
我々は現在の世界を悲観して眺める。戦争、貧困、差別、
なくならない悲劇に「未来は暗い」と思い込む。
映画は、その我々を叱る。人々があきらめてしまうから未来に絶望するのだ、と。
未来に希望せよ! その帰結がディズニーの“精神”そのものなのだろう。*4
※1 偏屈な中年のわりにイケメンだ。
※2 ヴィジュアルとしてはエッフェル塔が割れ、黄金のロケットを撃ち出す場面が、この映画、最大の見所かもしれない。
※3 そのポリシーは毎度毎度感心する。
※4 自分には少々まぶしすぎて正視できない。
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