『ピクセル』が現実の世界にゲームが侵略してくる馬鹿話、フィクションなのに対して、これは現実がもうゲームになっているという現実。
これは一応ハッピーエンドというか救いのある終わり方だといいたいのだろうか。確かに、この二重三重に醜悪な(=安全な遠隔地から攻撃して人間を殺す→自分や軍の意志ではなくCIAの命令に変更→テロリストだけではなくそれを救助しようとする一般人も殺害させられる…)状況に於いて、映画最後に行われる殺人は主人公の意志によるものであり善意、モラルに基づくもので、観ていてホッとさせられる。んが、んが、それもまた勝手な善意であり後ろめたさをいくらか解消するために行われたにすぎない。
主人公の、米軍の、アメリカの、そして観客である我々の後ろめたさ。
原題「Good Kill」は「攻撃目標を見事に一掃したぞ」という軍隊内の隠語として使われているが、同時に主人公の最後の行為のことも指しているダブル・ミーニングなのである。善き殺人…、そんなものがこの世にあろうか。
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