今回滞在5回目のギリプラダクシナで通算350回を迎えた。
故・柳田先生が生涯に歩かれたのは一応700回(以上らしいが)と聞いているので、ようやく恩師の歩いた回数の半分まで来れたか・・という感じなのである。
さて柳田先生がインドにハマった?のは、50代になってからだそうで正確なところは不明だが、先生が初めてアルナーチャラを訪れたのはおそらく80年代半ば〜後半辺り、そして最初のギリプラダクシナは90年代初頭だったのではないか?(柳田文献の記述から見ると、91年1月が最初らしく推察される)・・・と思われる。
1927年(昭和2年)生まれの先生が仮に91年に初ギリプラダクシナだった・・・とすれば、64才で初めて歩かれたことになる。
で、私は現在54才・・先生がインドにハマった頃と同じ年代ですな。そして先生が歩き始めた年齢より10才若い段階で、半分の350回を歩いたことになる・・と思えば結構なアドバンテージではないか?(笑)
もっとも歩く頻度が全然違うので(先生は2年間定住されていた間などは、毎日あるいは2日に一回というペースで歩かれていた)単純には比較できない・・・先生は逝去された2004年までの15年間で700回、私は97年の初歩きから19年で350回。
ということは私の場合仮にこれまでと同じペースで歩けたとしても、後19年かかるわけざんすね・・・73才ですなあ、さあて果たして先生の回数にどこまで迫れるかな?
閑話休題、先日の「ラマナが登場した夢」の話の続きである。
http://sirius02.blog6.fc2.com/blog-entry-1347.html
ポイントとしては、
1・私のなにがしかについてそれが表に出ることを私は望まないのだが、それをラマナが同意して、相手の行動を身を挺して阻止してくれる。
2・ラマナの背中にウエイトが置かれ、私はそれを否定的に見ているがラマナご自身は平然とされている。
1に関しては何かしら御神意が啓示されている・・・ようにも思えるが、肝心なのは2の方だろうな。
「重荷」に関してはあれこれの問答の中でラマナご自身が言及されているではないか。
もっとも有名な比喩として、
「汽車に乗ったなら荷物は汽車が運んでくれる。どうして頭の上に載せておく必要があるだろうか?(インドでは荷物を頭の上に載せて運ぶのが一般的光景)荷物を下ろして休めばよいのだ」
あるいは、
「神は一切の重荷に耐える、どうして神に任せて自分で抱えようとするのか?」
・・・というお言葉もあったように記憶している(要確認ざんすね)。
要するにこの夢の場合、ラマナが私の「重荷」を背負って下さっているのだ!!ということであり、まだ私自身が執着している「重荷」・・・結構この「重荷を背負う」という状況事態がアイデンティティに成りえたりもするわけだが、それをも「明け渡せ」ということを示唆されているのかも?
・・・という風に私には感じられるのだ。
「神は重荷に耐える」・・・イエスが十字架に磔にされる前に、その十字架を背負ってゴルゴダの丘を登らされる・・というシーンがあるが、何だかそれを連想してしまった。
この話題は今後も更にあれこれ考察を続けたいと思うので、シノプシスの一つとしてこれからも折りをみて掲載していく予定。
ところで昨夜見た夢は、なんと「宝くじに高額当選する!!」・・・という素敵な内容だった。
当選金額は1千万か一億円未満(頭が9で始まっていた)という何とも半端な数字だが、ロトとかナンバーズではなくて、通常の?宝くじの本当たりじゃなくて前後賞の一枚だった。
購入した場所がレストランの厨房・・というのがいかにも夢の不条理だが、これも何か解釈できるのかな?
まあ正夢とか予知夢とは思えないので、これはなにがしかの「大当たり」的状況が出現する・・・ことの予兆かな?と思うことにしたい。
もっともギリプラダクシナの途上で車にぶつけられる「大当たり」でないことを祈りたいものだ、わははははは・・・・・!!!!!
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