前回の続き・・・を書こうとしていたのだが、実はこのテーマはこれまでにも「何度も繰り返して書いている」ことが過去の滞在日記を読み返していて判明した。
・・ということはそれ自体が文字通りの「惰性的営為」そのものなのなわけで、またここでグダグダとあらためて書き足すまでもないみたいだ(笑)
もっともそのように気持ちが切り替わったのには理由が2つある。
1つには、今回こちらに持ってきた書籍の中に、アジャシャンティ著による「自由への道」という本がある(坪田明美訳 ナチュラルスピリット刊)。
これが小冊子といってもいいぐらいの薄い本なのに、内容はそれと全く反比例してとてつもなく濃密な凄い内容で、かって初めてクリシュナムリティを読んだ時のインパクトに匹敵するのでは?
・・とすら感じられるのだが、この本を読んでいるうちにこの問題への最適なアプローチが見えてきた感じがするわけである。
アシュラムのサマディホールにぼんやりと座っていると、時としてある種の「直覚的知見」とでもいうものが閃いてもたらされたりするのだが、(それだけでもここにいる意義がある・・と言えなくもないざんすね)
ひょいと、「突き抜けるべきは『状況』ではなく『構造』である」というインプレッションがあって、しかもそれとどんぴしゃりな内容がその書籍の中に登場してきたのであった・・まあ一種のシンクロニシティというものですな。
そして2つめはこれも連続して起きたことであるのだが、久々に夢の中でラマナご自身が登場されたのである。
私はごくたまにラマナが登場してくる夢を見たりもして、それはどれもこれも大変意味深な教えを啓示されているものばかりなのだが、今回もまた非常に象徴的な内容であった。
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私はラマナのアテンダント(従者)として、どこかの建物の中にあるオフィス(出版社かな?)をラマナとご一緒に訪問して、相手方とあれこれ歓談している感じ。
何かしらやりとりがあるのだが、そのうちに話題が私自身のことになったので、私は今回の用件では「自分のことを表には出さないようにしたいので云々」と固辞するが、先方が「いやいやそこを是非!」みたいに譲らない。
何か私に関する情報が収録されているファイルを相手が開こうとする・・のだが、ラマナが身を挺してそれを阻止してくれている・・という状況。
そのファイルのようなもの上にラマナが覆い被さっている感じなのだが、そのうち先方が何かのウエイトのようなものをラマナの背中の上に載せ始める。
ラマナは平然とされているが、私は「体の丈夫な方ではないのだから、こんな風にすべきではないのだがなあ・・・」と傍観している。
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いかにも夢らしい不条理な内容だが、そこに示唆されているものはとてつもなく意味深ではないか!!
というわけでこれについての解析は・・・やはり?次回に続く(笑)
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