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2015年10月06日23:00

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『岸辺の旅』


 旅から帰った夫を迎えた妻は実はもう死んでいた…という『雨月物語(浅茅が宿)』を現代に置き直して描くと、男女(夫と妻)が入れ替わり、主観者が旅をしていた側ではなく家に残っていたほうになり、死んでるのも家に残った側ではなく旅をしていた側になる。あと、朝目覚めたら家が廃屋になっていたというくだりは小松政夫が登場するパートに生かされているし、溝口の映画版で京マチ子が演じた役回り(夫を誘惑する女)は蒼井優が担っている。いや、黒沢清がどこまで『雨月物語』や溝口健二を意識したかは知らないが(きっと、どこかで喋ってるでしょうけど)。

 いちばんホラーチックだったのはその小松政夫の部分と、ヒロインの父(亡霊)を演じるダンサー首藤康之が出てくる場面かな。

 既に死んでしまっている夫を(その事実は確認してはいないものの何となくは悟っていて)待ち続けていた妻もまた、ある意味死んでいる(のも同然)かもしれない。死んでもなお実体を失わず放浪し妻(深津絵里)の元に戻ってきた理由を夫(浅野忠信)は何も語りませんが、死者だけが生者を生者として生かしむることが出来るからなのかもしれません。つまり、「岸辺の旅」とは三途の川の岸辺を辿る死出の旅ではなく、生きるための旅だったのではないかと。この映画、希望も絶望も描いていない。その一歩先にあるのが人間なのだ。



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