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2015年09月25日00:02

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『常識についての一考察』第12話

次回で最終話です。

『常識についての一考察』第12話

 その日の仕事を終えたラダマンティスが私室の居間に戻ると、ソファに座っていたカノンが振り返った。
「あ、おかえり、ラダマンティス」
「ただいま、カノン」
 そう答えてラダマンティスは持っていた袋をカノンに差し出した。
「ほら、食事だ」
「おお、いつも悪いな」
 袋を受け取ったカノンはがさがさと中身を漁り、ラダマンティスが買ってきた彼の食事を机の上に広げた。
 冥界の食を食べた者は冥界の住民にならねばらならないという掟がある。このため、カノンが冥界の食を食べるわけにはいかなかった。そのためラダマンティスは、いつも仕事を終えた後にわざわざ地上まで出て、カノンの食事を買ってきているのだった。
 今日のメニューは、ハムとチーズ、そして卵とキュウリの三種類のサンドイッチ、フライドチキン、ポテトサラダだった。ミネラルウォーターも入っている。ちなみに今カノンが着ている服も、ラダマンティスが地上で購入してきたフリーサイズのTシャツとジーンズである。
「…で、カノン、お前、本当に海界に戻らなくていいのか」
「いい」
「政務はどうする気だ?」
「おれの貞操のほうが大事だ」
「……」
 サンドイッチを口に運びながら、カノンがきっぱりと言ってのける。
「それに緊急を要する用件は、『水鏡』で口頭で指示を与えている。女になった今の姿を海界の皆に見せても、余計な騒ぎが広がるだけだしな」
 そうしてぱくぱくと食事を終え、ラダマンティスが入れてくれたコーヒーを飲んだカノンは、ちらりと自分の唇を赤い舌で舐めてみせた。
「今夜も…しようぜ、ラダマンティス。最近、女の快楽って奴が分かってきた」
 カノンの誘いにラダマンティスがため息で答えた時、居間の扉がノックされた。
「ラダマンティス様、おくつろぎのところを失礼します」
 副官であるバレンタインの声だった。
「何事だ?」
「はい。ジュデッカからの連絡です。ハーデス様がお目覚めになりました。ラダマンティス様が申し込まれていた謁見をお受けするとのことです。至急、ジュデッカまで参上を願えますか」
「分かった」
 ラダマンティスは立ち上がり、居間の片隅に鎮座していた翼竜の冥衣に呼びかけた。冥衣が分解し、彼の体に装着される。
「カノン、お前の件でハーデス様に謁見を願い出ていたのだ。悪いが、出かけてくる」
「こんな時間にか。大変だな」
「仕方ない。どんな時間であれ、お会いできるだけでも幸運と思わねばな」
 聖戦で大きなダメージを受けた冥王は、その傷を癒し、塵となった肉体を再生するため、大部分の時間を眠って己の力の回復に費やしていた。目を覚ました折に、崩壊した冥界の再修復を行い、また臣下たちからの報告を受けてはいるが、いつハーデスが目を覚ましてくれるかは臣下たちにもまったく予想がつかないのだ。
 なるべく早く戻る、とカノンに言い残し、ラダマンティスは出かけていった。

 ジュデッカの玉座の間でラダマンティスは冥王に謁見した。
 長い階段の先にカーテンが垂れ、その奥に冥王の玉座が置かれている。カーテン越しに、その玉座に座る人影が見えた。真の肉体を失い、また適当な依代を得ることもできなかったハーデスは、臣下から謁見を受ける際はこうして幻影を映し出して彼らを迎えていた。
『ラダマンティス、何用か?』
 主君の小宇宙が直接ラダマンティスに語り掛けた。片膝をついて礼をとったラダマンティスが答える。
「はい。実はただいまカイーナに海将軍筆頭・海龍が滞在しておりまして…」
『なに?海龍…双子座の片割れがだと?』
「はっ。聖闘士で海闘士である者が冥界にいるなど、ハーデス様にはご不快かと思いますが、実はこのような事情があるのです」
 と、ラダマンティスは今回の一連の騒動をハーデスに報告した。
 聖域で双子座のサガがニンフの住まう祠を壊してしまい、そのニンフを怒りを買ったこと。そして彼がニンフの呪いで女の体になったこと。それを知ったアケローオス河神が、サガに己と教皇アイオロスの子を産ませて次代の双子座と射手座にと望んだこと。そのことがポセイドンの耳に入り、ポセイドンも自軍にアケローオス河神の子を迎えたいと望んだこと。そしてカノンを女の身に変え、アケローオスの子を産まさせようとしたこと。ポセイドンの意図を知ったカノンがアケローオスの子を産むことを拒み、冥界まで逃げてきたことを語った。
『……』
「ハーデス様におうかがいいたします。ハーデス様におかせられましては、双子座と教皇に子を持つ能力を与えられることに、同意なさいますでしょうか」
 しばらく冥王は黙っていたが、やがてその小宇宙が膨れ上がり、怒りの気配で爆発した。
『ありえぬ!』
 くわっとハーデスの意志がラダマンティスの頭に響いた。
『死者を蘇生させるだけでも特例であったのに、ましてそれが子孫を残すなど…ありえぬ!死者が子を成すなど認めては、世界の秩序が狂ってしまう!断じてならぬ!』
「御意」
 主君の明確な意志に、短くラダマンティスが答えた。
『ポセイドンもアケローオスも何を血迷っているのだ!まったく…!』
 身内に対する強い不満をハーデスがにじませた。やはりハーデスは、厳格で、最も理性的で、世界の秩序を何より重んじる、そういう神であった。
『双子座のサガがニンフの呪いで女になったのが事の発端であったと言ったな、ラダマンティス』
「はい」
『ではその呪い、余が解呪しよう。もともと双子座の今の肉体は余が与えたものだ。それを男に戻すなど、余にはたやすいことだ』
「その旨、聖域に伝えさせます」
『海龍の体も、余の力で元に戻そう。さっさとそやつを海界に追い返すが良い。生者が冥界にいるなどあってはならん。アケローオスとの子など産まれてポセイドン軍だけが強化されるのも困る。双子座がアケローオスの子を産まないのであれば、ポセイドンもアケローオスと海龍に子を持たせることをあきらめるであろう』
「ただちに御意に従います」
『用件はそれだけであるか?』
「はい」
『よかろう…。ならば余は再び眠る』
 そうして玉座の上の人影は消えた。ラダマンティスは深々と一礼し、玉座の間を退出した。

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