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2015年08月28日15:15

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「神々の世界」とアルナーチャラ


このアルナーチャラという南インドの聖山についての「日本語による情報」というものは、極めて限定されたものしか流布していない・・のが現状である。


そしてそれらについては、ラマナ・マハルシについての書籍や文献の翻訳によるものが大勢を占めていて、当然のことながらそれらにアプローチしているのは、主として「ラマナ信奉者」あるいは「ラマナの教えと存在に関心を抱く者」である・・・ことは言うまでもない。


ところが意外なところ?で、この「アルナーチャラについて書かれている」書籍がかなり広い範囲で(というか「ラマナ関係者」以外の読者の方をメインとして)流布しているのではある。



それがグラハム・ハンコック著・大地舜訳による「神々の世界」(小学館発刊)である。

グラハム・ハンコックと言えば、大ベストセラーとなった「神々の指紋」の著者であり、この「神々の世界」はその同じ主張を更に発展・検証したものである。


この書籍は上下巻で千ページを超える大著であるのだが第2部と3部が「インド編」とされていて、第3部の中の第10章「赤い山」の謎という章全体がアルナーチャラについての記述なのである。(ハードカバー版で上巻402〜440ページ)


まあグラハム・ハンコックが構想した全体テーゼそれ自体の評価はここでは留保するとして(正統派の学会見識からすれば「評価するに値しない」異端説である)、このアルナーチャラを取材して書かれた章は一読に値する内容である。


南インド神話上での「アルナーチャラ」についての説明が、「ラマナ関連書籍」で紹介されている以上に、広範囲に興味深く登場し紹介されている・・・からである。

一般的に「ラマナ信奉者」&「ラマナの教えと存在に関心を抱く者」というのは、生真面目で品行方正かつアカデミックな学問体系に親和性の高い方が多いだけに、かえってこの種類の書籍などは「ハナから眼中にない」ためにこの書籍の存在を知らないケースも少なくないだろう(笑)


今回「ギリプラダクシナ総合解説&紹介」コーナーの第1部として、「聖アルナーチャラ山とは?」を制作・編入するにあたり、是非ともこの書籍をも「捕捉資料」として紹介したい次第。




そして著者はこの章を執筆するにあたっては、当時ラマナアシュラムのスタッフであったA・ナルヤン氏(通称「船長・・キャプテン」)にインタビューし、彼から様々な情報を提供されている(419ページ以降)。



さてさてこのキャプテンと言う人物はアシュラムでもかなり有名な方であった・・・職員序列でもかなり上位の立場にあった人である。

2009年に逝去されたのだが、私も取り立てて会話をしたことはないまでも面識はあった・・2011年にアシュラムを訪問した際にキャプテンの逝去を知り大変寂しく感じたものである。


そしてキャプテンは熱心なギリプラダクシナの実行者でもあり、サイト内でも紹介したアシュラム発行のギリプラダクシナ・ガイドブックの第2版の出版に当たっては、冒頭に「キャプテンへの追悼」文章が収録されているほどである。

(このガイドブックには著者・編者の名前が明記されていないのだが、おそらくはキャプテンは重要な役割を果たしていたのだろう・・と推察される)



現地在住の知人から聞いた話によれば、キャプテンは最晩年は重い病気にかかりバンガロールの病院に入院していたのだが、具合が良くなると病院から逃げ出してアシュラムに戻って来る・・・ことを繰り返していた。

そして最後は念願叶って、「アシュラムにて逝去した」のだそうである。

お通夜に出たその知人によれば、キャプテンの死に顔は「やったぜ!!」というような得意満面の少年のような表情であった・・・そうだ。


そして初めて知ったのだが、キャプテンの命日は2009年8月28日・・・なんと今日が6回忌当日ではないか!!!(もっとも現地での法要はタミル暦計算なので日付が違っていることだろう)



今回この「聖アルナーチャラ山とは?」のファイル編入は、ラマナがアルナーチャラにやってきた日(アドヴェント・デー)を期して・・の予定だったのだが、当日は私の方が身辺どたばたしていてサイト作業実施が危ぶまれるため、前倒しして明日29日に実施するわけだが、

8月29日はラマナがアルナーチャラに向かって住んでいたマドゥライの叔父の家から出発した日でもある・・・それとその前日のキャプテンの命日、ということで不思議な感慨を覚えるのであった。


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