あの45歳の男は、虎視眈々と獲物を物色していたのでしょう。
そこに飛び込んできたか弱き餌食(言葉が過ぎるかも知れませんが)。
それが寝屋川の悲劇でした。
顰蹙を買うでしょうが、脱出ゲームのように見えます。
モンスターが近づいていることに気づかず、夜の町を彷徨う少年と少女。
明かりの灯った家にいさえすれば出会わなかったモンスター。
町では何人もの大人たちと出会います。
でも誰一人、「早くおうちに帰りなさい。モンスターが狙っているよ!」とは言ってくれませんでした。
何事もなく夜が明けかけた頃でしょうか、ついにモンスターに見つかってしまいます。
脱出失敗。
GAME OVER。
大人たちの無関心が悲劇の扉の鍵でした。
親も、すれ違った大人たちも。
直接声をかけずとも、警察に連絡することくらいはできたでしょうしやるべきでした。
24時間営業の弁当屋。
ベンチで過ごす二人を、そこで働く大人はどんな気持ちで見過ごしたのか。
ほとんど罪です。
親の責任はもっと重い。
夜の9時に友達の家に行くという息子をどれだけ心配したのでしょう。
家に行ってないことくらい電話すればすぐ分かること。
夜中の1時に「泊めてくれ」という友達への電話。
「ダメ」という友達の親。
それは当然でしょう。でもなら何故そこで「家に帰りなさい」と諭さなかったのでしょう。
親に連絡しなかったのでしょう。
理解不能の輪が相似形に膨らんで不可解な世界が形作られています。
帰ってこない子供たちをほったらかしの親たち。
一晩中商店街にいたのなら、探し出すことなど容易かったはずです。
壊れてます。
倫理も、常識も、何もかもが・・・。
その結果の悲劇。
仮に、あの日獲物が見つからなかったら・・・。
子供たちが家に帰っていたら、あの45歳の男はどうしたでしょう。
新たな獲物を探したでしょうね。
大人たちの無関心が子供たちを魔物への献上物にしてしまいました。
この世に悪は混在します。
目に見えない蜘蛛の巣のように張り巡らされた罠。
邪悪な蜘蛛は、そこで虎視眈々と獲物を狙っています。
悲劇の扉を開けたのは大人たちの無関心でした。
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