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2015年08月16日12:25

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なぜ、お釈迦さんは法を説いたの?(続)

前回の日記では、「悟後のお釈迦さんには、「開教し説法するかせざるか」についての自由選択の余地があったが、結果的(仏の眼を持って世界を観察した結果)に、お釈迦さんは法を説く(不死の門を開く)ことを選びはったんや」との説を紹介した。

今日のお話はその続き。
「お釈迦さん自身が、それを主体的に選びはったということには、どんな意味合いがあるんやろ?」

『仏教思想のゼロポイント』の著者は、これを解説するのに、「覚者のあわれみの心」、いわゆる慈悲心というのを持ちだしている。
お釈迦さんは煩悩ゆえに惑わされている衆生を、慈悲心でもって慈しみ憐れまれ、説法をされることにしたんだろうと、一般的には受け止められている。ここで言う慈悲の心とは、我々凡俗が凡俗の世界(著者は、「物語の世界」という)の枠組み内で持ちあわしている慈悲の心そのものだ。
「ライトレフトのジェントルメン。プリーズ、ギブミーサムマネー!」というお乞食さんに、チャリンとコインを投げ与えるあの心。(著者の名誉のために書きますが、「ライトレフトの・・・」は私奴が勝手に北杜夫さんから拝借したもので、この本にはこんな表現はありません)

ところで、仏教徒の基本的な徳目(当然、悟ったお釈迦さんは全てを供えている)に、四無量心(4つの計り知れなく広大な心ってな感じかな? 具体的には、慈・悲・喜・捨)ってのがあるそうな。平たく言えば、「慈は相手(お釈迦さんの立場から見た諸々の衆生)の幸福を望む心、悲は相手の苦しみを除いてあげたいと思う心、喜は相手の幸福を共に喜ぶ心、捨は相手に対する平静で落ち着いた心」ってとこかな。
「慈・悲・喜」については、我々凡俗でもよく分るところで慈悲って、まあそんなところかなと思うが、「捨」については「おや、それ何なの?慈悲となんの関係があるの?」と思わせる。
(諸説によると、相手に慈悲を与えても、オレが与えてやったんやで(コインを投げたのはこのオレやで)なんて思わぬことと解説しているが、チョット苦しい解釈やなあと思う)

著者は、「物語の世界」(凡俗の世界)に積極的に慈悲の心で利他の実践をしてゆく態度と、そのような世界を縁起の法則に従って継起するだけの中立的な現象として観ずる「捨」の態度(智慧)には、一見乖離(理屈上、同一の人に両者が併存することは筋が通らないので、乖離)があって奇妙な態度のように見えるかも知れないと指摘している。
その上で、著者は、「実のところ、これは「悟った」立場、即ち如実の風光からすれば全く見かけ上の問題に属するものにすぎない」「乖離しているように見えてしまう時点で、既に私たちの思考の中に、「物語の世界」の枠組みが、こっそり入り込んでしまっているからだ」と指摘する。
(要するに、我々の普通に理解する慈悲では、良くって「慈・悲・喜」しかなくその範囲でしか考えられず、お釈迦さんの態度が奇妙に見え、その態度には「乖離」があるとしか考えられないことになる。(凡俗はせいぜいがチャリンとコインを投げる程度の慈悲)ということになるのかな?))


で、私奴のような凡俗の疑問「長年に渡って法を説くなんて、何でまたお釈迦さんはそんなシンドイことしたのやろう?」に答えるように、著者は次のように述べている。

 「悟った」ゴーダマ・ブッダが、利他の慈悲行へと踏み出すことを奇妙だと感じてしまうのは何
 故だろう。それは、「物語の世界」への執著から解放されて、それを現象の中立的な継起の
 認識へと転換させたゴーダマ・ブッダが、そこに再び介入しようとすることは、彼にとって「無
 意味」なはずだと考えるからだ。
 だが、よく考えてみたらわかるように、「無意味だ」と云うことが「意味」をもつのは、そのよう
 に規定された対象以外に「有意味」なものが存在している場合である。かりに全てが「無意
 味」であるとするならば、「無意味だ」ということすら、既に「意味」は存在しないはずだ。

従って、私奴の「法を説くことはシンドイこと、だから何で・・・」という思考自体の中に、「物語の世界」(凡俗の世界)の枠組みが、こっそり入り込んでしまっていたんだなってことになる。
(もって銘すべきですねえ。ゴメンナサイ、お釈迦さん!間違いなくゲスな疑問でした!)

以上は、私事にかこつけて、この本の‘ホンの一部’を紹介したまでのことに過ぎない。だが、本全体をカバーするような紹介は、私奴の能力を超えているので、ここらで幕を閉じましょう。

補遺:
一つだけ加えておこう。、グサッとささる耳が痛いこと、いや、本を読んでだから、眼が痛いこと(^^)。

 「お釈迦さんが教えたのは、「無意味だ」と口にしてまで新たな「意味」を生成し続けずには
 いられない、その衝動、その根源的な欲望を深く見つめ、それを滅尽させることである」。
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