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2015年05月01日13:55

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「時には晩秋のように」所感

だいぶ体力も戻って来ましたので、まとめます。

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(写真前列左から古賀千智、耳見みみ、ワシ、後列天野こよみ、平尾吉直さん。今回、初出演はいなかった!)



この公演がこれまでと著しく違ったのは僕が出ずっぱった、男が中心にいる芝居だった、ということでした。うちの芝居はしょっちゅう指摘される通り基本ガールズプレイでありまして、彼女らの空間把握能力によって風景が神事的光景へと異化される仕組みになっており、それゆえ常に男日照りです(ォィ)。そこ何とかならんか、いや別に構わないのか、といつも考えてきたわけですが、要するに人材不足が解消されてから考えろよ、ていう問題ですので、俳優としてはヘボくても(最後に主演したの22歳の時!!)なんたって空間知メソッドのなんたるかを理解してる僕がまず板に乗ってみよう、と思った次第。

僕のまわりに3人の女の子がいる(うちひとりは現役のアイドルで残るふたりは未成年である)という、芝居以前に風紀上どうなのそれっていう構造にしてみた。しかも演目はどっちもかなり濃厚にエロい(汗)。

でもね、敢えて小劇場俳優をひとりも招かず畑違いのメンツばかりの素人芝居で、つまり「巧い」のとは別の次元で舞台を成立させたかったの。演技と謂われる枠組みを一種の安全地帯ととらえ、そことっぱらって日常と芝居が地続きになるような数ヶ月を結構して、そこから何が出てくるか見たかったの。

おととし、チロルの秋は対立項の芝居でした。ステラとアマノの悩ましい近親愛が、エリザとルナアトの純愛で浄化されクリスタッロ山の残照に吸い込まれていく感じ。あの時点ではこの読みで精一杯だったんですが、それだとどうやっても単なる演劇になっちゃうだろうという点を克服できなかった。恋なんてそんな美しいもんじゃないよ、自堕落な肉欲の日々でもあることを伏せてあんま芝居がかった綺麗なこと述べててもなあ、みたいな。

というわけで今回は全員が連鎖的に二股かけてる話にしましたw 両端にはふたつのオブジェ、ステラが読んでるのはダンテの「新生」で、エリザが掛けてるくちびる型のネックレスはマルセイユかどこかの歓楽街から流れてきたもの、すなわち、

【ダンテ】←→ステラ←→アマノ←→エリザ←→ルナアト←→ルナアトの情婦←→【リップ(ベアトリーチェ)】

という交錯した微妙な関係のなかで皆がひたすら野放図な駆け引きを続けるだけ、という話に。ですので長崎のハマが二人の共通の母であることなど二人はハナから承知でそんなもんはねちっこい大人のエロの道具に過ぎず、それどころか近親愛への困惑すら連中の頭にはなく、彼らの悩みは如何にうまいこと相手を出し抜いて口説くかに特化している。それをエリザが見、そしてもうひとまわり外側からユイまでが(!)見ている、という話になりました。

つまり自分なりに悩んでいればいいわけです。何も、役柄を演じなくとも恋と情事の間を揺れ動く気持ちなら自分に照らしてやりゃあできる。だから演じないでくれ、演じそうになったら抑えて自分自身でやってくれ、君ならどうするこんな時…?ってことばかり言ってた気がします。

二人の女子高生が紅い首飾りを下げると、「雪のように白く、黒檀のように黒く、血のように赤い…、」三重の死の表象と謂われる「スノーホワイトモチーフ」が生じ、
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アマノとステラがあたかもベケットの「芝居」のような愚行を続けるのを、遠くで静かに見ている「世界」が感覚されるだろうとの読みもありました。観客は、それではどこにいるのか。おそらくは「世界」の側ではなく、俳優を担当している僕たちと同じ煉獄の側にいて、愚行の片棒を担いでいるんだろうな、と思っています。そういう芝居でありました。

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