新しい主治医の都合で、診察日が木曜日から月曜日になった。
で、昨日がその初日。
薬の成分量を半減させて様子を見たが、ほとんど変化なく好調を維持している。
ただ、3日間ほど酷い頭痛と神経痛に悩まされた。
原因は不明。
もう少し様子を見るということで、薬は前回と変わらず。
前回の日記は「やまなし」というキーワードに対し、不快感を覚えるといった内容。
それを主治医に話してみた。
結論から言うと「トラウマは消えないからトラウマなのである」とのこと。
臨床心理士に相談することも可能だが、効果があるとは断言できないという。
要するに、この体とうまく付き合っていくしかないということ。
最初から期待などはしていなかったので、この回答で十分である。
治療できないものを「できる」と言われる方がよほど残酷だからである。
現在、私は働いていない。
働くことに対してバカバカしさを感じるからである。
それがどこに起因するかというと、過去の散々な記憶からである。
つまり、真面目に働いても努力を踏みにじられる結果にしかならなかったということ。
それを思い出させるのが「やまなし」なのである。
世間が社会復帰を求めるなら、これをクリアしなければならない。
それが難しいから主治医に話したのである。
単なる甘えと認識してもらって結構だと思う。
私の場合、働けない理由はどこにもない。
つまり、わざと働かないということ。
金銭的にまったく困っていないので、その必要がないのである。
だから、危機感を覚えるまで現状維持でよいと考えている。
今の生活を恥じるつもりは毛頭ない。
もしそれを否定されるのなら、そういう人々を論破できる自信がある。
こんな私だが、社会復帰に消極的であるという訳ではない。
働くということは、未来の自分を創造するための一つの手段である。
働く気がないなら他の道を選べばいい。
だから、大学院を受験しようと思うのである。
学生は勤め人と違って、自分だけの意思でいつでも辞められる。
この点は、かつて身を投じていたボランティアと同じである。
下手に雇用契約を結んで失敗するより、はるかに生産的な生き方ができるということ。
まだ受験前なので、この話はここまでに止めておく。
そもそも、働くだけが人生ではないと悟ったからこそ今の自分があるのである。
人生に答えなどはないのだから、できることを確実に行っていけばいいと思う。
つまり、今までどおりのマイペースでいいということ。
道を外れてしまった人間には、開き直りと図々しさが必要なのです。
とりあえず、また4週間ほどのんびり過ごしますわ。
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