mixiユーザー(id:4324612)

2015年04月21日12:54

210 view

「新世界」へ。(1/2)

フォト

フォト



「チロルの秋」のキモは間違いなく「長崎のハマという女」をどう捉えるかにあって、いきなり結論を言うと彼女はステラとアマノ、共通の母親であろう。アマノの父については何も分からないが、ステラの父親はどうやらユダヤ系シチリア人水夫で、ハマは出島かその名残の遊廓あたりで彼と出会い、すでに生まれていたアマノを残して日本を出奔し、どこか海外でステラを産んだ。

アマノがどれだけステラの存在を把握していたかは分からないし、妹捜しのために旅に出たのかどうかも分からない。たぶん大半は可能性に賭けた、それもかなりほのかな空想だったろうが、ステラの父がマドロス稼業を続けていれば遊廓がらみで何らかの消息はつかめた筈だし、その経緯において彼は何かと嫌な思いもしたろう。長崎って良いところ?と尋ねるとき長崎はステラにとっては未だ見ぬ憧憬の対象であり得ても、具体的に靴底をすり減らせたアマノにとっては苦々しい過去を伴う旅の出発点だ。だから彼は問い掛けに答えられない。

いずれにしても棄てられっ子として育ったアマノが、もし自分に父の異なる妹か弟がいたとして、彼らもまた棄てられっ子として生きている可能性を思うのは当然である。彼らの父が家に居着かない流れ者であることが分かっているなら尚更だ。そして欧州は今まさに未曾有の大戦争に嵌まり込んでいる…。実在するかも知れないきょうだいの暮らしや安否が気掛かりでいてもたっても…、という以外に、ジャーナリストでも野次馬でもなさそうなアマノがわざわざ大戦中のヨーロッパを選んで数年にわたる旅をしている合理的な理由がぼくには思い当たらない。

アマノがなぜ関東大震災の翌月かつ連合国側の国境確定委員会がオーストリアからの南チロル割譲のため進駐しているというこの時期をえらんでこのコルティナ・ダンペッツォに来ているかについてはかなり執拗な美学的考察が必要で本稿の範囲を超えるので割愛するが、ステラに関しては根なし草的疎外感の頂点においてのクリスタッロ山との対峙、という明快な必然が見てとれると思う。黒髪と黒い瞳はラテン世界にいれば目立たないが、ドイツ圏に踏み込めばたちまちユダヤ系のマークになる。そしてひとたびユダヤ系と見なされ・見抜かれしたときに、ステラ(星)という名前は余計な表象を帯びてくる。仮令、その名がゴマノハグサ科の可憐な草花か、あるいは彼女が生まれた1月19日の夜、どこか遠い南国で娘を抱く両親を見つめていた南十字星にちなんでいるとしても。

(続く)
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年04月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930