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2015年03月12日23:30

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CD時代になって【3】「マタイ受難曲」

マタイ受難曲。
バッハ作品を総括する他、これまで世に知られている音楽作品全ての中で最大級の音楽遺産であると言っても決して過言ではないと思う。

カテゴリーはキリスト教、宗教(教会)音楽、オラトリオ、声楽曲、合唱曲、バロック音楽…

人気が出るジャンルじゃない。

巨大かつ人類の犯した最大級の過ち(キリスト教世界にとって)を扱ったテーマは、仏教世界の国にあってすら、頻繁に聴くのは辛い。

実際、こんなスゴイ遺産でも一生に数回聴くか聴かないかだと思う。
正直3時間超え(クレンペラーはその位ある)を聴く機会は滅多にあるもんじゃない。

素晴らしいのは分かっていても、実際聴く機会が最も少ない作品。
イスラム教徒だと、イエス・キリストを一預言者としか捉えていないから、なぜこのような壮大な音楽が書かれたのか理解し辛いと思うから、まず聴かない最右翼だろうな…と思う。

そんな特殊作品。

それが何故、デジタル録音時代を迎え、沢山録音され発売されるようになったのか?
先に挙げた無伴奏チェロ組曲なら、頻繁に聴けるし、個々の解釈をじっくり聴こうという気が起きるものの、こんな巨大作品を聴き比べるなんて容易ではない。

素人目線で見た時に区分ける方法はいくつかある。

一番分かりやすい区分けは、怖いか怖くないか。
これは、二人の死刑囚の内、どちらか一人を助けることが出来るという当時の風習に習い、聴衆にどちらの犯罪者を助けたいか総督ピラトが問うシーンに象徴される。

複数殺人犯のバラバか、この罪もないイエスか?
ピラトとしては、イエスは死刑に値するようなことはしていないと思ており、ユダヤ教の祭司による陰謀だと思っている。
自分はそんな陰謀裁判に関わりたくないから、出来ればイエスに死刑判決を下したくない。
だから比較対象にバラバを選んだ。

しかし、彼の意図とは逆に、祭司から買収されていた聴衆は「バラバ」と叫ぶ。
この怖さの度合いを指す。
概ね1980年以前の録音は、このバラバを叫ぶ聴衆の合唱が怖い。
今なお圧倒的な支持を得るカール・リヒターの1958年録音は、その典型だし、クレンペラー、ヴェルナー、ヨッフム…皆怖い。

しかし、CD時代に入る頃、それまでのモダン楽器による大編成オケ&大合唱では無く、バロック楽器による小編成オケ&小合唱が登場したところ、このバラバが怖くなくなって来た。
迫力が無いと言えば、それまでだろうが、どうも作品のウェイトを別な場所に持って行った気がする。

そう、ラストのイエスが「神よ、何故我を見捨て給うか…」と十字架上で息絶え、その後の天変地異を迎えた後の素晴らしく美しいバス・アリア部分にシフトしたのではないだろうか。

代表例は、レオンハルト。トン・コープマンになると更に全く怖くないし、マクリーシュ盤に至っては各合唱パートをソリストのみで行う超小編成のリフキン・スタイルで怖さの欠片もない。
実にサラリと通過してしまう。

ビジネス的に言えば、小編成であれば予算は少なくて済むから、そんなに売れなくても赤字にはならないかもしれない。
しかし、100万枚とか絶対に売れないジャンルを頻繁に出す理由にはならないはず。

合唱指揮者を志した人であれば、人生で一度は残したい作品かもしれないが、需要は極めて少ない作品。

私のようなバッハ・フリークでない限り、一生で数回聴くか聴かないかの作品を複数セットは持たないし、聴きもしないはず。
少し調べただけで、以下

鈴木雅明、クレオバリー、コープマン(2回)、ヘレヴェッヘ(2回)、アーノンクール(3回?)、グッドウィン、クイケン、ヤーコブス、ビラー、マクリーシュ、バット、ガーディナー、レオンハルト、マックス、トーマス、オベルフランク、 ミュラー=ブリュール…

私がうろ覚えしているだけでも20種以上は発売されたのではなかろうか…
どなたか、その理由をご存じなら教えて頂きたいものだ。
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