●プラトン著・副島民雄訳『ソクラテスの弁明・クリトン・パイドン』<講談社文庫>(文庫初版72)
正直読み難いが、ソクラテスの、真理を捉えんとする熱意は伝わってくる。被告の身なのに、自己弁護ではなく、普遍的真理の説明を第一義としている。結局、真意は通じなくてもどかしいのだが、本人はそんなレベルを超越している。超越していたからこそ、死罪になったのだと思うが。ギリシャ時代に於ける「国家」や「神」の絶対性。ソクラテスはそれらを蔑ろにはしていないが、超越した論理(正鵠を得た論理)は絶対的なものを騙っていると取られてしまうのだろう。
「ソクラテスの弁明」「クリトン」に比べ、晩年に書かれた「パイドン」は、ソクラテスの思想が総合的に纏められており、ドラマチックな箇所もあるので、比較的読みやすい。
人間の死後、肉体は朽ち果てるが霊魂は不滅で、一旦ハデス(一種の黄泉の国)へ向かい、善き霊魂は再び肉体へ戻る。というのを論証している。現代から見れば、非科学的だと一笑に付されるだろう。でも、ここで語られているのは、そもそも科学的事実ではない。善く生きる為の指標のようなものかと。目に見えないが、とても大事なものなのだ。
ソクラテスが言うような霊魂が、本当に自分の中にあるとしたら・・・自分の、一生という時間軸が無限の拡がりに繋がる気がするのだ。つまらない人生なんてひとつもない事に気付く。
ソクラテスの思想で、理解しやすく好きなものが2点ある。本書の内容からは逸れる部分もあるが・・・。
一つは「無知の知」。平たい書き方をすると(というかそれしか出来ないが)、自分の知らない事柄を把握する事だ。これを徹底すると中途半端な理解が無くなる。逆に、確実に知っている事の少なさに気付く。すると、知識を得る以前に必要な普遍的真理が朧気ながら自覚される。
もう一点は、「善く生きる」という事。品行方正に生きるとか、他人の助けになるように生きる、というのとも違う。それも「善く生きる」事かも知れないが、それらは「行動」の結果であり、その行動に至った「意識」の方を意識すべきだと思う。私の考えでは「自分が心から納得する事」だ。社会と関わる以上、ストレスは必ず発生する。その時、周りに振り回されずに、しかも自分勝手にならないようにする為には、(普遍的な)確信を持って行動すべきだと思う。そういう「意識」の部分が「霊魂」なのかも知れない。
紀元前に生きた人の思想が、いまだに紹介され続けているのは、単なる知識や教養のレベルを超越している。そこを先ず納得してみようか。
ログインしてコメントを確認・投稿する