けれども、肉体にしても人生にしても、ひとりで生きていない限り、結構多くの人のもの、もしくは、自分=他と言える。
「自分がすべて自分のもの」と言える人生なんてまず無い。
また、そうであった時、これほど寂しいものはない。
そして、ぼくはひとりになどなりたくない。
「ぼく」とは、嫁さんのものであり、娘のものであり、または同僚友達、恋い焦がれる相手のものであり、恋してくれる相手のものであり、親のものであり、マイミクのものであり、自分のものでもある。
また、ぼくは、そう言う関係性を保てる。
そして、誰でも、そう保ちたい筈だ。
「おっぱいは誰のもの?」京都新聞が不適切発言で炎上 ツイートを削除して謝罪
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=3238361
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