人生には「-6」から「6」と言うサイコロがある。
「1」であれば、進めるからずっと良い。
けれども「-1」から「-6」時にはサイコロが無くなってしまうイメージの中に居る事がある。
どんなにサイを振っても「-」の目の出る者が居る。
どんなにサイを振っても「5」や「6」が出る者が居る。
なにより、「サイコロがある」と言う事実は、人生がある事を意味している。
つまり、何をせずとも我々は人生を既に持っている。
気がついたらいきなり人生の中に居る、持たされている。
何もしていないのに持っているのだから、それを失うのは尚怖い。
どうして持てたのかもわからないのに失う事があるのだ。
勝手に与えられて、無理やり奪われる。
これほど怖い事はない。
サイコロが無くなる、失うと言う事は、人生を失うと言う事だ。
この恐怖はそうそう消えない。
これは「死」とは別だ。
「死」はそれほど怖くない。
「人生を失う=死」ではない。
人生を生ききっていずに迎える死は死ではない。
人生を失う事だ。
「死とは人生を生ききる事」
だから、人は最期に死を怖がらない。
寧ろ死を迎えられる。
死に逝ける。
が、死を怖がって死ぬ者は、死を怖がっているのではない。
人生を失う事を怖がっている。
生ききらずに失う事は確かに怖い。
ある時は何をやっても「-」の目しか出ない時があり、事が起こる時サイコロを振る事自体が怖い事がある、ぼくにもあった。
宇宙等に行かずとも、海底5000m等に行かずとも、誰にでも訪れる。
どうしてだろうか?
どんなに正しい事をしていても、まじめに生きていても訪れる、そして、どんなに悪さをしている者にも訪れない事がある。
はっきり言って因果は関係ない、これは、報いは、関係、ない。
そんなものは、誰にもわからないのさ。
どうすれば克服出来るのか、訪れないで済ます事が出来るのか。
そんなものも、誰にもわからないのさ。
それでも、足掻く。
ある感覚が足掻き続けた事で発生したのが生命であり、存在だな。
元宇宙飛行士が教える「消えない恐怖」を克服する方法
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=166&from=diary&id=3231751
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