mixiユーザー(id:1057202)

2014年10月21日20:30

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それに該当するのかな?


ここ数日は毎日雨が降るようになった、どうやら本格的に雨季入りしたもようである。この雨の合間を縫うような感じでギリプラダクシナの写真撮影を分割して実施中である。


昨日は昼以降は何とかお天気が持ちそうなのでオートリキシャにて「第3分岐点」へ、ちらと雨もぱらついたが影響はなく撮影実施。


雨季なのでどうしてもアルナーチャラ頂上付近に雲が懸かっているケースが多いがしかたあるまい・・大体アルナーチャラのお姿自体が10年前と比べて大変化したわけではないわけで、各所からの御山の眺めの写真は前回の撮影のものでもいけるはずだ(・・もっとも植林運動の成果で10年前よりは「緑」基調になっているかな?とは思うが)。


・・それにしても「昼の時間帯」にこの辺りからの御山の姿を拝むのはあんまり機会がないだけに興味深いですなあ!!


以前紹介した南インド神話に出てくる「ミナクシ女神のおっぱい」ではないか?・・と勝手に思っている「おっぱい」そっくり?の形の副峰もこの辺から見えるのだが、よくよく眺めると色合いもその副峰だけ地肌が見えてピンク色だしね。




いかがかな・・なかなか艶めかしい「美乳」ざんしょ?(笑)


北東方エーサニア・リンガムを過ぎるとギリプラダクシナの最大の難所である街中の繁華街に出るのだが、日曜とあって休業している商店も多く「雑然ぶり?」のインパクトがやや落ちているが、第5・6分岐点(通称「魔のロータリー」・「魔の十字路」と私は勝手に名付けている)のスリリングな状況はなんとか撮影できたようだ(笑)


1時間ほどで目標の大寺院までの撮影を完了、時間的にはそのままアシュラム正門まで歩ける余裕があったが、翌日のギリプラダクシナのために体力温存することにして、ちょっとした買い物をしてからオートリキシャにて帰投した。



これで今回の撮影作業も山場を越えてなんとか見通しがついてきた・・感じであり、残るはアシュラム正門〜「(私的)第1休憩ポイント」及び大寺院〜アシュラム正門の2ゾーンということで、

本日のギリプラダクシナは16時前に出発、アシュラム正門からの撮影を実施・・しかしながら目標の「(私的)第1休憩ポイント」までたどり着く前に降雨となり、南西方ニルディ・リンガムまでで撮影中止(もちろんギリプラダクシナ自体は続行・完了)。


・・・なかなか一発ですんなりとは終わらないざんすねえ(笑)、かくして次回のギリプラダクシナの際に、ニルディ・リンガムから「第1休憩ポイント」まで撮影の予定。

天候次第では更に早めにリキシャで大寺院まで行き、そこからギリプラダクシナ開始してもう一つ残っている大寺院〜アシュラム正門の方も一緒に撮影して歩き、大寺院まで周回し終えたらリキシャで帰投する・・方法もあるざんすね。



さて23日からは「初インド・初アルナーチャラ」の訪問者がやってきて5日間のアシュラム滞在予定ということで、例によって「ご案内業務」もあるのでぼんやり暮らしながらも、これでなかなか忙しかったりする身の上だったりするのだよ。


もちろん第2次「美代ちゃん」論考の執筆という何よりも大事な用件?もあるわけで今日も午前中はその執筆をしてたし、ギリプラダクシナの直前にはネカフェで関連項目の検索をしていたのであった・・・。


今回結果的にはアルナーチャラ滞在が3ヶ月強に及ぶわけだが、何だって私はサーダナそっちのけで「40年前の女性アイドル」について考え続けているのだろうか?・・・と省みてみると、


何というか要するに、私の資質として純粋に「説明」癖があるのですな。

自分が深く感動・感銘を受けた物事をひたすら「説明したくてたまらない・説明せずにはいられない!!」のであるよ・・時にそれを聞かせる相手がいなくて自己満足であろうとも(爆・・実際「説明的な」独り言?も多いようだ)


・・・だから本当は「講師」とか「著述家」なんてあたりが天職だと思うのだが、いかんせん悲しいかな「自分が興味のある対象」にしかその情熱は向けられないのだねえ、


それが現状では、ラマナ及び美代ちゃんなのですなあ・・わははははは・・・・・!!!!!(ラマナの方はもう18年も説明をやっているぞよ)



そしてその説明癖自体は本来「純粋な表現衝動」であるのだが、問題なのはそれがいつの間にか劣等感・優越感の「他者との世間的価値観上の評価に準じた」比較という位置取のための「承認欲求」と結びついて、アイデンティティの発露としての「自己顕示」欲にすり替わっていく・・・ということなのだよな。


今回当地到着までは、そういうような「自己分析」を掘り下げて追求していく・・のも目標の一つだったのだが、なんだかいつの間にかそういうことがどうでもよくなってしまった・・・感じなのだねえ。



かってラマナ在世中にあっては、


悩み続けてきた「質問」を抱えてやってきた訪問者が、一度ラマナの「サットグルの沈黙の一瞥」というダルシャンを受けると、その悩み続けてきた「質問」がいつの間にか消失する、というより「どうでもよくなってしまった」・・というケースが頻繁にあったそうである。


さあて、私の場合もそれに該当するのかな?

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コメント

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